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[今治東中等教育学校]初出場に導いた名将が挑む“4度目”の選手権【高校サッカー選手権】

2020.01.02

今治東中等教育学校を選手権初出場に導いた谷謙吾監督 [写真]=安藤隆人

「初出場って感じ。これからが彼らの歴史の始まりやなと思っています」

 2019年12月30日の開会式。選手権初出場の愛媛県代表・今治東中等教育学校が入場行進している時、チームを率いる谷謙吾監督はスタンドからこの様子を見つめていた。

 谷監督にとって同校は大学を卒業して教員になってから3校目。しかもその全てで選手権に出場を叶えている。出身は静岡で、名門・清水東ではGKとして選手権準優勝を経験。日体大を経て愛媛の名門・南宇和で教員としての人生をスタートさせた。

 南宇和といえば谷が赴任する前年に愛媛県勢として選手権初制覇を成し遂げた。名将・石橋智之監督の下で、全国トップレベルの実力校として名が知れ渡っていた。

「石橋さんのチーム作りの緻密さ、トレーニングの構築は僕の指導者としてのベースになっています。石橋さんは本当に繊細で緻密、サッカーを見る目が物すごく鋭いんです」(谷)

 石橋氏から名門の指揮を任されたのは26歳の時だった。就任当時、3年生には吉村光示(現・大分トリニータヘッドコーチ)、2年生にはGK羽田敬介(現・清水エスパルストップチームコーチ)がいた。

「南宇和の看板は正直重くて苦しかったですが、僕の中ですごく土台になっています」

 南宇和では選手権に連続出場を達成。1999年に同県の松山工に就任すると、今度は2002年度の大会でチームを37年ぶり2回目の選手権出場に導いた。2005年度に中野圭(現FC今治)を擁して3度目の選手権出場を果たした後は、済美や松山北の台頭で選手権からは遠ざかった。それでも、プリンスリーグ四国では2003年〜2005年と2011年に2位、2009年と2010年に3位と、常に四国の上位に導いた。松山工での最終年には最後の卒業生として、松下佳貴(現・ベガルタ仙台)を育てた。

 そして、2012年に今治東の指揮官に就任。当時、2001年にインターハイに3度目の出場をして以降、全国大会出場は皆無だった。

「その時だけ強いチームは作りたくなかったし、毎年コンスタントに力を発揮できるチームにしたかった。動き出し、体の使い方、ボールの扱い方を徹底してやりました。特に動きの部分は地道に刷り込んだ。基本を大切にしながら、それを試合でいかすことを考えた」

 谷監督の下でめきめきと力をつけたチームは、就任2年目で県予選の決勝に進み、プリンスリーグ四国に2度目の昇格を果たした。その後、僅か1年で降格を味わったが、2年後の2016年に3度目の昇格に導くと、2017年から今年に至るまで県リーグに落ちることなく戦い続けている。

 2017年度に大きな転機が訪れる。選手権予選決勝、かつて率いた松山工と対戦して1-2の惜敗を喫した。

「前回の決勝は勢いで行ったけど、この時は本気で優勝を目指した上での決勝。あの負けは僕も選手も相当悔しかった。でも、そこでみんなのスイッチが入ったというか、『今治東で全国に行く』ということの信憑性が増して、選手たちも自信を持つようになったんです」

 迎えた2019年、インターハイ予選こそ新田に敗れたが、プリンスリーグ四国では3位に輝き、選手権予選では準々決勝で松山工を4−0で一蹴し、リベンジを果たした。勢いそのままに準決勝では済美を(4-2)、決勝では新田を退け(1-0)、今治東としては初、谷監督としては2005年度以来14年ぶりとなる選手権出場を手にした。

「インターハイ予選で新田にやられて、みんなが『このままでは終われない』と思ってくれた。目の色が変わった。8年という思った以上に時間はかかりましたが、選手たちに選手権という素晴らしい舞台を経験させてあげることができてよかったです。もちろんここから先の景色も見せてあげたい。まずは選手権初勝利を掴んで、より多くの経験を積ませてあげたい」

 南宇和、松山工、今治東は全て公立校だ。谷監督は優しい目でピッチを行進する可愛い教え子たちを見つめていた。1月2日には初陣となる山形中央戦を迎える。その時、谷監督の目は一変して鋭い勝負師としてピッチ上の選手たちを鼓舞しているだろう。今治東のまた新たな歴史を作る一歩を力強く踏み出すために。

取材・文=安藤隆人

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