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セレッソに躍動感をもたらすために 後編/選手、スタジアム、すべてを育成しセレッソを文化へ

2016.07.20

インタビュー・文/前田敏勝
写真/安田健示

セレッソ大阪では、クラブスローガンとは別に“SAKURA DNA”という育成スローガンを掲げている。そこでキーマンとなっているのは、一般社団法人セレッソ大阪スポーツクラブで代表理事を務める宮本功氏だ。このインタビュー連載の前編で紹介した玉田稔社長とタッグを組み、育成部門の強化やスタジアム改修などクラブの発展に尽力している。
キンチョウスタジアムの段階的改修というハード面の整備。そして昨年、育成年代の男女すべてのカテゴリーにおけるタイトル獲得の要因を作った、アカデミー部門のトップに迫る。

未練の残る引退と営業マンへの転身


——宮本さんは、1992年からヤンマーサッカー部に入り、94年まで選手として現役をされていました。

宮本 功 そうです。僕がデビューしたのは1993年、アウェイでのヤマハFC(現・ジュビロ磐田)戦。そのときに玉田(稔)さん(当時、ヤンマーにて、サッカープロ化推進部推進グループ課長。現、大阪サッカークラブ株式会社代表取締役社長)が現場にいて、わざわざ選手更衣室まで来てくださり、「おめでとう」とデビューを祝ってもらえたのを覚えています。交代出場して、終わってからも汗だくだったのですが、今でもそのときのことは忘れませんし、そういうことを言われると嬉しいものですよね。チームがセレッソ大阪になって、1994年限りで戦力外になったんですが、鬼武(健二)さん(当時の大阪サッカークラブ株式会社代表取締役社長、後のJリーグチェアマン)に、「今年のおまえはチームのなかで一番伸びたけれど、これ以上は伸びん」と言われて戦力外になりました。でも、その伝え方は勉強になりましたし、今のアカデミーでも、そのときの言われ方が参考になっています。当時、玉田さんが事業部長を務めていらっしゃって、僕をクラブ側に引っ張り上げてくれました。

——現役を離れて、クラブで仕事をしたときの思いは?
宮本 功 3年間セレッソで仕事をしたのですが、そのうちの2年間は、試合を一切見ていません。見られなかったというか、見たくなかったんです。未練というか、当時一緒にやっていたチームメイトが試合に出ていて、一方で、自分は選手ではなく、クラブスタッフとして働いている。支援する立場になったのは、たぶん僕がセレッソで第1号でした。仕事には一生懸命没頭していたものの、心の整理がつかないところもありました。

——セレッソからヤンマーでの仕事に移られたときは、サッカーから離れて違和感はなかったのですか?

宮本 功 そういう状態からヤンマーに戻っているので、サッカーから別の仕事に移っても、違和感はなかったです。はじめからサッカーばかりという感覚でもありませんでしたし、物理や化学などにも抵抗はなかった。元々高校のとき理系だったので。ヤンマーでは、空調とか、コージェネレーションシステムとか、電気と熱に関わる仕事を6年間担当していました。

——そのときのヤンマーでの仕事や実績が充実し、後のセレッソでのスキーム作りに活かされているようですが。

宮本 功 当時、ヤンマーでも玉田さんの下で働いたのですが、要求が厳しかったんですよ(笑)。玉田さんのほうが、もっと求められることが厳しかったと思いますが。僕は営業をずっとしていたのですが、僕の年間予算は150億円くらいあったと思います。そのなかで、玉田さんが当時、僕に新しい事業を任せてくれたんです。まだ世の中にない、新しい商材を世に問うみたいなところ。商品戦略、製造、販売、メンテナンスなど、要はその1個のモノを作るすべての流れをやらせてもらった。それが今のセレッソでのスキーム作りに利いていると思います。当時のことを思うと、なつかしいなぁ(笑)。

——では、セレッソに戻るにあたって、そこへの未練は?

宮本 功 すごくありました。セレッソに戻ることになったとき、面白いエピソードがいくつかあるんです。1つは競合メーカーの方が、僕がサッカーの世界に戻ると聞いて、わざわざお祝いをくれたこと(笑)。もう1つは、ガス会社さんが仕事のパートナーだったのですが、そこの責任者方が僕がその日で仕事が終わりというときに、タクシーを飛ばして挨拶に来てくださったこと。そういったことが嬉しかったから、未練はとてもありました。

強い育成世代を育む環境整備

——セレッソでは育成型クラブに舵を切り、ハード、ソフト、様々な側面で新たなものをもたらしています。

宮本 功 変えてきたというか、元々やりきれていなかっただけなんです。当時のセレッソは、育成のところにお金を投じていたかもしれませんが、今ほど力は入れていない。ただ、その一方でセレッソはJ2に降格したりして、トップチームに、それ以上お金をかけられなくなっているところもありました。モノづくりと人作りはよく似ていると思っているので、何もできていなかった育成のところに、その経験をいかして、システムをカチっと入れただけの話しなんです。たとえば、選手を生むということを、運とかではなく、計算できるシステムに変えました。手組みしていた工場を、ちゃんとラインをきちっと敷いたようなもの。そんなにむちゃくちゃに変えたわけではなく、ストーリーを作ったんです。

——その成果が、アカデミーでは全カテゴリーでタイトル獲得に至ったり、選手をトップに輩出するといった形で表れています。

宮本 功 昨年、272人のアカデミーの選手がいて、世代別の日本代表、Jリーグの選抜に呼ばれたことのある選手を数えたら、54人。女の子(レディース、ガールズ)がそのうちの約半数となる25人ですが、それだけ代表選手がいたということが示すように、U-12、U-15、U-18、レディース、ガールズと、みんな全国大会で優勝してタイトルを取ることができました。

——そういった若くていい人材を呼び込めるのは、今の舞洲などのハード面のよさがあるのでは?

宮本 功 システム化していくうえで、環境投資するのは当然ですし、それはどうしてもやらなければいけないラインに乗っかっています。ただ、アカデミーでも、スクールでも、当初はまさかそんなことはできるわけがないだろうという感覚でした。社内でも、誰も信じてもらえませんでした。表には出ていませんが、舞洲のセレッソハウス、練習場ができるまでに7年かかっているんです。あのプロジェクトは、当時の社長だった出原(弘之)さんから出されたミッションの1つでした。7年かかる間に本当に実現しそうになったことは、過去2回ありましたが、あの場所になったのは、3度目の正直。簡単にはいかないところがあったんです。

——ハード面でいうと、球技専用であるキンチョウスタジアムの整備も、新たに取り組まれたことが挙げられます。

宮本 功 キンチョウスタジアムについては、「急がば回れ」の考えでした。当然、サッカークラブを強くしていこうとしたら、スタジアムビジネスが練習場やクラブハウスと同じく必要で、みんな当たり前には理解していることだと思います。そのときに、「ウチはどうするの?」ということになりました。今のヤンマースタジアム長居(大阪長居スタジアム)がコンサートにも使えるという側面もわかっているし、大阪府内で1種公認の陸上競技場はここしかない。そうなると陸上競技場から変わることはない。一方で、長居球技場(現、キンチョウスタジアム)をサッカー場に変えるのは可能でした。だから、こういう形になったんです。さらに、J2では、お客様の人数が減り、今でこそ1万人を越えていますが、当時は3千人とか5千人。ここなら少ない人数でも満員感を作りやすいと考えました。なにより当時のシミュレーションのなかでは、キンチョウスタジアムのほうが、クラブの収益が向上したんです。最小のコストでここを改修でき、顧客満足度をあげて、リピーターを増やせば、要は満員戦略ができる。アカデミーやスクール事業などを社団化したのも、トップチームの状況や成績を見据えて準備していたものでした。

——キンチョウスタジアムの育成型複合スタジアム化改修に関しても準備されていたものですか?

宮本 功 元々あったものです。当時の計画では、順番に改修していくということをやっていたので、次はバックスタンドだけをやろうと思っていましたが、規模感をどうするかということだけは決まっていませんでした。ガンバ大阪さんが新しいスタジアム建設を成し遂げたということは、キンチョウスタジアムの拡張が進む、大きな要素にもなっています。どんどん改修できるメリットも、ここだからできるもの。今まで、ヨーロッパにあるたくさんのスタジアムを見てきたのですが、イングランドなどでは、だいたいこういう改修を順次続ける作りになっています。順番に、お金のあるときに作っていく形ですね。

——キンチョウスタジアムの育成型複合スタジアム作りには、公園にあったものというのもコンセプトにあるようですが。

宮本 功 これも元々構想にあったもので、「セレッソの森」という形です。そういう準備のなかで、人にやさしい、家族にやさしい、地域にやさしいというところを掲げてやっているのが、うちの強みの部分。それはずっと続いていくものです。緑があるとか、木を使うということに関してもそう。セレッソのファンの人や、周りに住んでいる人たちにとってベストなものをチョイスできればと思っています。

——最後に、宮本さんの考える、セレッソ大阪の理想像とは?

宮本 功 難しい質問ですね(苦笑)。理想といま言われると、どうしても今ないものの裏返しが出てくるし、セレッソの掲げる”SAKURA SPECTACLE”感も大切。でも、理想といえば……、やっぱり信頼かな。一言でいえば、リスペクトという言葉。そういうことの一番上に来る言葉としたら、文化かな。セレッソが大阪で文化になること、これが理想です。時間はかかるけど、50年近くかかるかもしれないけど、そこに向かってやっていきたいですね。

セレッソに躍動感をもたらすために 前編/クラブ復帰後に感じた違和感の払拭

一般社団法人セレッソ大阪スポーツクラブ
代表理事 宮本 功(みやもと いさお)

■生年月日
1970年1月10日

■出身地
徳島県

■経歴
1992年 3月 高知大学 教育学部卒業
1992年3月 ヤンマーディーゼルサッカー部(選手)
1994年1月 セレッソ大阪(選手)
1994年12月 大阪サッカークラブ株式会社 事業部
1999年2月 ヤンマー株式会社/ヤンマーエネルギーシステム株式会社
2004年10月 大阪サッカークラブ株式会社 チーム統括部
2008年2月 同 事業部長 兼 広報部長 兼 ホームタウン推進部長
2010年2月 同 育成部長 兼 普及部長 兼 広報部長
2011年4月 同 普及育成部長 兼 広報部長
2012年4月 同 普及育成部長
2014年4月 同 取締役
2014年9月 同 取締役強化本部長
2010年12月 一般社団法人セレッソ大阪スポーツクラブ 代表理事

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