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興梠のOA受諾に隠された真実…大きな“決断”を後押しした柏木の一言とは

2016.07.18

浦和に所属するFW興梠慎三。オーバーエイジ枠としてリオ五輪に臨む [写真]=Getty Images

 大きな花束と靴底のポイントに芝生がこびりついたスパイクを手にしながら、浦和レッズFW興梠慎三はチームバスへと乗り込んでいった。直前まで取材を受けていた際にはスパイクしか持っておらず、その後に一度戻ったロッカールームで仲間たちから「手渡されました」と照れくさそうに笑った。

 埼玉スタジアム2002に大宮アルディージャを迎え撃った17日の2016明治安田生命J1リーグ・セカンドステージ第4節。クラブ側はこの“さいたまダービー”に勝利し、リーグ優勝した2006シーズン以来10年ぶりとなる6連勝を達成することを前提とした上で、あるセレモニーを企画していた。

 開幕まで3週間を切ったリオデジャネイロ・オリンピックへ臨む興梠とDF遠藤航への花束贈呈式。しかし、2度奪ったリードを追いつかれて引き分けに終わり、今シーズン最多となる5万3951人で埋まったスタンドからブーイングを浴びせられたこともあって“幻”に終わっていた。

 大宮戦を一区切りとしてチームを離れ、キャプテンを務める遠藤とともに五輪代表としての活動に専念する。57分にFWズラタンとの交代でベンチへ下がり、ゴールやアシストという形で得点に絡めなかった興梠は、不完全燃焼の思いを隠しきれなかった。

「最後なので気持ち良く(オリンピックへ)行きたかったけど、何か気持ち悪い感じで行くことになりました。どうしてもゴールという結果が欲しかったんですけど。でも、行くからには頑張ってきます」

 塩谷司(サンフレッチェ広島)、藤春廣輝(ガンバ大阪)の両DFとともに、23歳以下の年齢制限にとらわれない「オーバーエイジ枠」として、4年に一度のスポーツ界最大の祭典に臨む。もっとも、塩谷と藤春の内定が6月14日に日本サッカー協会から発表されていたのに対し、興梠の発表は同23日まで遅れた。

 日本サッカー協会から届いたオファーに対して、興梠は一度断りを入れている。ちょうど鹿島アントラーズ、G大阪、広島に3連敗を喫し、ファーストステージの優勝争いから脱落した時期のこと。浦和のタイトル獲得を何よりも優先させるからこそ、最大で2ndステージの5試合を欠場するするリオ五輪への想いを自ら封印した。興梠の内定発表までに9日間の“タイムラグ”が生じた理由がここにある。

 代表チームを率いる手倉森誠監督からかかってきた電話を通じて、「一緒に戦ってほしい」と直接ラブコールを送られたことが決意を覆させる理由となったと、興梠自身はオーバーエイジ内定会見の席で明かしている。実はもう一人、興梠の背中を押したチームメートがいた。

「こんなチャンスはない。一度きりの人生で、(オリンピックに)行かないのはもったいないよ」

 興梠から持ちかけられた相談に対して、熱い言葉を投げかけたのはMF柏木陽介だった。いつ、どのようなタイミングでのやり取りだったのかは「それを言ったらダメでしょう。単なるチクりになる」と苦笑いしながら口を閉ざしたが、一つ年上の先輩にぶつけた意見は奇譚のないものだった。

「アイツって意外に恥ずかしがり屋というか、うれしいけど素直に受け入れられないというか。でも、これがオレだったら絶対に行く。たぶん海外(への移籍)どうこうは考えてないやろうけど、あの舞台で活躍できたら別に年に関係なくいいことやし、俺自身は(興梠)慎三が出ていたほうが(五輪を)見たいと思うから、行って全力でプレーしてほしいという気持ちがあった。監督から『出てくれ』と言われることほど光栄なことはないし、(オーバーエイジ枠は)3人しかおらんわけだから。(興梠と遠藤の)2人が頑張ってきてくれる分、俺らはしっかりとチームで結果を残さなきゃいけないし、そういう話はしました」

 当時広島に所属していた柏木自身、ケガもあって2008年の北京五輪出場を逃している。当時は鹿島アントラーズでプレーしていた興梠とも一緒にアジア予選を戦ったが、どちらも本大会の舞台には立てなかった。興梠の能力を認め、銅メダルを獲得したメキシコ大会以来、48年ぶりとなるメダル獲得を目指す手倉森ジャパンの力になると信じて疑わなかったからこそ、真正面から思いの丈をぶつけた。

「(言葉をぶつけたあとは)『うーん』と言いながら、『まあ、そうやな』という感じでしたけど。あとは自分で決めたわけですから」

 その時の興梠の様子をこう振り返った柏木だったが、盟友の檄もあって参戦を決めた今、サッカー人生で初めて世界大会の舞台に立つストライカーは日本に何をもたらすのか。興梠の内定に関して、手倉森監督はこんなコメントを残している。

「体のしなやかさと野性味を繰り返し発揮し続けられるタフさがあるし、ポストプレーも(相手の最終ラインの)裏へ抜け出すプレーもできるし、引いた相手に対する攻撃とカウンター攻撃の両方に対応できる。オリンピックで間違いなく攻撃のバリエーションを増やしてくれる選手だし、身体能力の高い相手に対しても彼のしなやかさは効果を発揮すると思う」

 175センチ、72キロの体に搭載された興梠の“強さ”を、シャドーストライカーとしてともに浦和の攻撃を担ってきた元日本代表のMF李忠成も太鼓判を押す。

「普通の選手ならば届きそうにない、ちょっと無理っぽいボールでもマイボールにしてくれるのが慎三の強み。オリンピックではツートップを組むはずの久保(裕也/ヤングボーイズ)くんも、ものすごくやりやすいと思いますよ。ただ、万能型の選手ですけど生粋のフィニッシャーでもないので、そこは久保くんがうまくストライカーになってくれればいいんじゃないかな」

 手倉森監督は本大会登録メンバーから、185センチの鈴木武蔵(アルビレックス新潟)、180センチのオナイウ阿道(ジェフユナイテッド千葉)といった長身FWを最終的に外している。選ばれた興梠、久保、アーセナルへの移籍が内定した浅野拓磨(広島)は全員が170センチ台。守りに回る時間帯が多くなることを想定し、体を張った粘り強い守備からカウンターを仕掛ける“地上戦”に勝機を見いだす戦略を描いていることがFW陣の顔触れからもうかがえる。

 だからこそ、奪ったボールを収められる起点が前線に必要だった。5月のガーナA代表戦を3-0の快勝で終えた直後にも、指揮官は「前にはボールを収められる選手が欲しい」という言葉を残している。

 ベガルタ仙台時代に3シーズン、手倉森監督の指導を受けた経験があり、指揮官の好みと興梠のプレースタイルの両方を熟知している武藤雄樹はこう語る。

「テグさん(手倉森監督)は前でボールが収まる選手が好きなので、慎三さんというチョイスは素晴らしいと思っています」

 もちろん周囲を巧みに使うだけでなく、自らがカウンターにおける“矢”となることもできる。2ndステージ第3節仙台戦では柏木のスルーパスに反応して最終ラインの裏へ抜け出し、飛び出してきたGK関賢太郎を巧みにかわして決勝ゴールを決めている。

 この後半アディショナルタイムに決めた劇的な一発で、鹿島アントラーズで最後にプレーした2012シーズンから5年連続となる2ケタ得点をマーク。通算でも日本人選手で8人目となる100ゴール到達にあと4と迫っている興梠の稀有な得点感覚に、今シーズンから浦和でチームメートになった遠藤もリオデジャネイロの地でもホットラインになると言葉を弾ませる。

「縦パスを入れるタイミングがすごく合う。動き出しが非常にうまいので、一緒のチームになってやりやすさを感じました」

 大宮戦では37分に柏木の直接FKで先制しているが、自陣からMF阿部勇樹が送った縦パスに素早く反応して抜け出し、ペナルティーエリア付近でDF山越康平のファールを誘ったのは興梠だった。

 興梠の“体”と“技”が五輪代表の攻撃にプラスアルファを加えることは、浦和のチームメートの証言からも伝わってくる。ならば、心技体の中で残された「心」はどうか。大宮戦の前半に、興梠はこんな言葉をベンチに伝えている。

「交代枠だけは残しておいてほしい。限界に達したら、自分から(ダメだと)言うので」

 実は前半がキックオフされてすぐ、興梠は腰に違和感を覚えていた。

「ちょっとピキッときて。どのプレーでやったのかは分からないけど、急に痛くなりました。歩くとの走るのには問題ないけど、曲げた時にちょっと痛いかなという感じで。前半はお互いに体力があって、ハードワークして頑張れるところがあったけど、後半になると相手も疲れてくる中でスペースも空いてきた。自分も生きてくると思ったし、その意味で“これから”という時に交代させられたのは、個人的にはちょっと納得がいかないというか。でも、それは監督が決めることなので」

 本人が「これから」とギアを上げようと考えていた点から見ても、それほど大事に至る痛みではないのだろう。同点の状況で交代を告げられたミハイロ・ペトロヴィッチ監督の采配に対して浮かべた苦笑いは、多少の痛みがあってもチームのためにすべてを捧げ抜く献身かつ情熱的な姿勢と、プレーできなくなった場合には自ら退く勇気を持ち合わせていることを物語っている。

 大宮戦から一夜明けた18日はオフ。鋭気を養った上で、19日から千葉県内で始まる短期合宿に参加し、久保や南野拓実(ザルツブルク)の海外組や一部選手を除いたチームメートと初めて顔を合わせる。興梠は努めて前を向き、気持ちを切り替えた。

「とりあえずチームに馴染んで、テグさんが目指しているサッカーを一日でも早く身につけてチームに貢献しなきゃいけない。自分にできることは最大限、発揮できるようにしたい」

 ツートップを伝統とする鹿島からワントップ、しかも独特の「可変システム」を採用する浦和の戦い方にすぐに順応。移籍1年目の2013シーズンに現時点で自己最多となる13ゴールを挙げている軌跡を見ても、戦術的な部分で戸惑うことはないだろう。

 ならば、性格的な部分はどうか。ブラジル入り後の31日に誕生日を迎え、歴代のオリンピック代表で10人を数えるオーバーエイジ組で初めて30歳代の選手となるが、興梠なら年齢の壁を飛び越えて、23歳以下の若いチームに問題なく溶け込めると遠藤は笑う。

「普段はすごく性格的に穏やかな人なので。そのへんはちょっと意外でしたね。あまり(年上だからと)オラオラしていない感じなので」

 本田圭佑(ミラン)や岡崎慎司(レスター)、長友佑都(インテル)と同じ1986年生まれ。3人と同じ2008年に日本代表デビューを飾りながら、控えめで欲のない性格から定着できなかった興梠は今、その胸中に静かに闘志を燃やしている。

「向こうで(30歳の)誕生日を迎えるということで、特別な感情移入があると思う。あとは自分でバースデーを(遅れて)祝えるように、結果で示したい」

 紆余曲折を経て、一世一代の戦いに臨むストライカー。その思いを代弁するかのように、リオデジャネイロへ持参するスパイクのかかと部分には、本人たっての希望で小さな“日の丸”が縫い込まれている。

文=藤江直人

By 藤江直人

スポーツ報道を主戦場とするノンフィクションライター。

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