リオ五輪への決意を語った鈴木武蔵 [写真]=兼子愼一郎
一度は諦めたリオデジャネイロ・オリンピックのピッチに立つチャンスが巡ってきた。しかし、FW鈴木武蔵(アルビレックス新潟)の表情に笑みはなかった。
「複雑な気持ちではありました。久保の思いを考えると、やっぱりアイツの分も頑張らなきゃと思います」
7月26日にスイスのヤング・ボーイズが公式サイトで突然の派遣拒否を発表したことに端を発した久保裕也の招集問題。ここまで日本サッカー協会(JFA)の霜田正浩ナショナルチームダイレクター(ND)が粘り強く交渉を続けてきたが、8月2日になってヤング・ボーイズから「3日のチャンピオンズリーグ(予選3回戦セカンドレグ)が終わるまでは派遣を確約できない」という連絡が届いたため、JFA側は久保の招集を断念。代わりにバックアップメンバーとしてブラジル入りしていた鈴木を登録することで決着した。
鈴木を選んだことについて、霜田NDは「FWを(久保)裕也と浅野(拓磨/アーセナル)と興梠(慎三/浦和レッズ)の3人で回すプランが崩れてしまったので、中盤をどこでもできる野津田(岳人/アルビレックス新潟)より、まずはFWをシンプルに補充したほうがいいという監督の判断」と説明した。
鈴木はもともとチームが立ち上げられた2014年1月からのメンバーで、手倉森誠監督からの信頼が厚い“手倉森チルドレン”の一人。長い間「9番」を背負い、堅守速攻の急先鋒役を担ってきた。
今年1月のアジア最終予選(AFC U-23選手権カタール2016)では、初戦の朝鮮民主主義人民共和国戦では久保と、2戦目のタイ戦では浅野と2トップを組んで2試合連続スタメン出場を果たしたが、先制ゴールを決めたタイ戦で負傷し、サウジアラビアとの第3戦、イランとの準々決勝を欠場していた。
何とか回復して臨んだ準決勝、イラクとの大一番ではカウンターから左サイドを独走し、グラウンダーのクロスで久保の先制ゴールを演出。チームは晴れて本大会出場権を獲得する。だが大会終了後、左大腿四頭筋肉離れが判明して全治約3カ月という診断が下り、長期の戦線離脱を余儀なくされてしまう。ようやく6月5日のヤマザキナビスコカップ・グループステージ第7節で実戦復帰し、手倉森ジャパンとしては最終メンバー発表前最後のテストマッチとなった6月29日のU-23南アフリカ代表戦で途中出場を果たすも、残念ながら本大会ではバックアップメンバーでの選出に留まっていた。
ブラジル到着直後の1日は別メニュー調整だった鈴木だが、2日のトレーニングでは[4-3-3]の左ウイングやセンターフォワードに入り、戦術練習や紅白戦をこなした。
「武蔵には『2トップの一角だけではない』という話をしました。今日もサイドでのプレーを少しやらせましたけど、彼にも柔軟性が求められる。戦術理解力を高めてほしい」と手倉森監督が話せば、鈴木もサイドでの起用に関して「新潟でも(吉田)達磨さんにそこで起用されることがあるので、抵抗はないです」ときっぱりと言った。
ストライカーとしての総合力では、スイスで活躍する久保に劣るかもしれないが、鈴木には久保にはないものがある。スピードとパワー――。それは指揮官が今大会で攻撃陣に求めているものと合致する。
「せっかく巡ってきたチャンスなので、やっぱりモノにしたい。バックアップの時からチームのためにできることをやろうと思っていたので思いはあまり変わらないですけど、チームのためにできることをやってメダルを取って帰りたいと思います」
バックアップメンバーだろうと、オリンピック本大会のメンバーに繰り上がろうと、チームのために自分ができることをする――。長らくチームとともに歩んできたストライカーの決意は、今までもこれからも変わらない。
文=飯尾篤史