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“天才”柿谷曜一朗の現在地…苦境の中に見えた成長と復活への道程

2015.10.30

バーゼルに所属する(左から)エンボロ、柿谷、ジャカ

 圧倒的な技術と得点感覚を武器に、セレッソ大阪でJリーグを席巻した柿谷曜一朗。“ジーニアス(天才)”とも称された彼は今、どのような状況にあるのだろうか。なかなか活躍の報が入ってこない柿谷の現在地を確認するために、彼が所属するスイス・バーゼルへと足を運んだ。

 10月22日のヨーロッパリーグ(EL)・グループI第3節、バーゼルは本拠地であるザンクト・ヤコブ・パルクにベレネンセス(ポルトガル)を迎えた。彼らは早い時間帯に先制するも、ミスによるカウンターから2失点し、手痛い敗戦を喫した。この試合で出場が期待された柿谷はまさかのベンチ外。直近のスイス・スーパーリーグ3試合(10月1日=レフ・ポズナン戦、4日=チューリッヒ戦、18日=シオン戦)では控えに名を連ねていただけに、本人にとっても悔しい扱いだったに違いない。

 その翌日、朝10時過ぎからのトレーニングに彼の姿があった。バーゼルの選手はスタジアムから自転車で練習場に行き来しており、柿谷もペダルをこぎながら颯爽と登場。明らかに体つきが一回り太くなったように見える。セレッソ大阪時代は67、68キロだった体重が、スイスに渡ってから70キロに増加。厳しい球際やフィジカルコンタクトに耐えられる強さを手に入れたようだ。

 彼はこちらを見るなり「取材に来るの、今日やったっけ?」と驚いた表情でこう言った。そして「最近、誰も来ないから、ついに俺も終わったと思ったけど」と冗談交じりにつぶやきながら、スイス代表MFルカ・ズッフィとともにランニングを開始した。

「カキタニとルカは同い年で親友なんだ。いつも一緒にいるよ」と地元紙『Basler Zeitung』のドミニク・ウイリマン記者が言うほど、2人の仲の良さは周囲によく知られている。日本を離れて約1年半、仲間と意気投合した柿谷は、すっかり異国の環境に馴染んでいる様子だった。そういう雰囲気だけに、試合出場機会がもっと増えていいはず。ここまでリーグ戦4試合出場というのはあまりにも少なすぎる。

 とはいえ、今シーズンから指揮を執るウルス・フィッシャー監督はシーズン当初、柿谷に少なからず期待を寄せていた。キャンプから猛アピールを見せた彼は7月19日、ファドゥーツとのリーグ開幕戦でついにスタメンの座をゲット。「4-2-3-1」の右サイドで出場し、後半33分にはダメ押しとなる2点目を奪い、いきなり初ゴールを挙げることに成功した。

 最高のスタートを切ったかに見えた柿谷だったが、直後にアクシデントに襲われる。キャンプ中から痛めていた左足打撲が急激に悪化し、プレーできない状態になってしまったのだ。これで約1カ月間の戦線離脱を余儀なくされ、その間に加わった新戦力にポジションを奪われてしまう。その後もケガを繰り返す悪循環に陥り、「こんなにかってくらいケガが多い。こういう状況はプロになって初めて」と本人も戸惑いを隠せなかった。

 10月に入ってから3戦続けてベンチ入りしたが、「ケガ人が多いから、それで繰り上がっただけ。俺だけ一度もアップしてない」という厳しい状況。ベレネンセス戦から中2日で行われた10月25日のヤングボーイズ戦もやはりベンチ外。悔しいことに、ピッチに立つチャンスは日増しに遠のいている印象だ。

 フィッシャー監督は開幕前後の時期こそ「攻撃は自由にやっていい」と特に指示をしなかったようだが、ここ最近は練習中に「どんどん前へ行け」と強く要求してくるという。23日のトレーニング中に行われた6対5のクロス&シュートの練習でも、柿谷は強引なドリブル突破に繰り返しトライし、ゴールに結びつけようとしていた。

「サッカーは状況次第。もちろん行ける時は行くけど、ムリヤリに行けと言われても難しいところがあるよね。今はそういうスタイルに合うタテにガンガン行けるやつが使われることが多くて、少し面白くないなと感じる。要求に合わせることも大事やけど、やっぱり自分のプライドは失いたくないから」

 揺れ動く胸中をこう吐露した柿谷だが、それでも監督と英語でマンツーマンのミーティングを行うなど、コミュニケーション力は着実にアップしている。練習時は今も通訳が帯同しているが、ピッチ上で彼の手を借りる必要はほぼなくなったという。ツッフィのみならず、他のチームメートとの関係も至って良好。練習後に柿谷を見かけた18歳のスイス代表FWブリール・エンボロとアルバニア代表MFのタウラント・ジャカの2人が「カキ~」とうれしそうに寄ってきて、じゃれあっていたほどだ。

 人懐こい性格のエンボロは、前出のウイリマン記者が「近い将来、イングランドのビッグクラブに移籍する可能性が高い」と太鼓判を押すほどの逸材。開幕時は彼が1トップ、柿谷が右サイドに入る形でプレーしていたが、このところはエンボロが右サイドに回り、1トップにオーストリア代表の長身FWマルク・ヤンコが陣取るケースが大半を占めている。つまり、柿谷とエンボロは目下、ポジション争いをする間柄にあるのだ。

「あいつはホンマもんの化け物。早く(スイスの)外へ行かなあかん。そう思えるほどの化け物にこっちで初めて出会えた。日本にいた時も身体能力の高いヤツを見たけど、18歳であれだけパワーやスピードがあるヤツはそうそういない。バルセロナレアル・マドリードへ行けるくらいの素材やと感じる。自分のプレースタイルを考えた時、ああいう身体能力の選手と勝負したってしょうがない。違う部分を出していくしかないと思う」と柿谷は柿谷なりに割り切っているようだ。

 こうした刺激も日本にいた頃には得られなかったもの。2013年のEAFF東アジアカップ(韓国)で見せた大活躍からすさまじい注目にさらされ、喧騒の最中にいたJリーグを離れて海外挑戦を決意し、自分自身を客観視できる時間を持てたことを柿谷はプラスに捉えている。スイスで長期間、公式戦から遠ざかっている日々は辛く苦しいはずだが、すべてがネガティブなわけではないのだ。

 ただ、ピッチに立てない時間が長くなればなるほど、再浮上のきっかけをつかみにくくなるのもまた事実。それを本人も十分理解した上で、「残された時間が少ないわけじゃないから、もう少しゆっくり考えたい。『何が一番正しいか』じゃなくて、『一番やりたいと思えるところでやる』ことがベスト。今はそれがバーゼルだと俺は思ってる」

 柿谷は静かにこう語った。

 2014年10月のブラジル代表戦(シンガポール)を最後に日本代表から1年以上も遠ざかっていることもあり、大勢の人々が彼のことを心配している。それに対して柿谷は「俺は元気やで。みんな『あいつ何してんねん』とか『元気でやってんのか』って言うんだろうけど、元気やから」と改めて強調していた。

 スイスで尋ねた本人の表情と言葉から、彼が地道な取り組みを続けていることは伝わってきた。今はとにかく、その元気な姿をぜひともピッチ上で見せてもらいたい。“天才”柿谷曜一朗の復活、そして異国での成功を多くの人が待ち望んでいる。

文・写真=元川悦子

By 元川悦子

94年からサッカーを取材し続けるアグレッシブなサッカーライター。W杯は94年アメリカ大会から毎大会取材しており、普段はJリーグ、日本代表などを精力的に取材。

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