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栄光から30年…ディエゴ・マラドーナの現在を追う

2016.06.17

ユーロ2016を観戦するマラドーナとパートナーのロシオ・オリーバ [写真]=Getty Images

 1986年メキシコの空の下、ディエゴ・マラドーナはW杯トロフィーを掲げて名実ともにサッカー界の頂点に立った。それから2016年6月で30年が経つ。

 現役時代の姿を知らずとも2010年南アフリカ・ワールドカップで、グレーの上質なスーツに身を包み、立派なあご鬚をたくわえ、アルゼンチン代表監督としてベンチから情熱的に指示を飛ばしていたディエゴ・マラドーナの姿を覚えている人は多いだろう。あれから6年、マラドーナを取り囲む環境はがらりと変化した。ここまで何もかもが変わるとは、きっと本人も想像できなかったに違いない。

 南アフリカ大会後、アルゼンチンサッカー協会から「代表監督を辞めざるを得ない条件を突きつけられた」として当時のフリオ・グロンドーナ会長(故人)とマネージャーだったカルロス・ビラルドを「嘘つきで裏切り者」と呼んだマラドーナは、翌2011年8月、アラブ首長国連邦のアル・ワスルFCの監督に就任して母国を離れた。アル・ワスルの本拠地ドバイの人口島パーム・ジュメイラにある豪邸に居を構え、監督を1シーズンで辞めた現在も王室からもVIP扱いを受けながら、まさに王様並みの暮らしを保証されている。

[写真]=Getty Images

 しかし、ドバイでの優雅な生活の裏で、マラドーナの周辺では様々なドラマが展開してきた。

 母国を離れて間もなく、母トタが他界。最愛の母を失ったマラドーナのショックは大きかったが、アル・ワスルでの監督業が心の支えとなった。本人も後に「仕事をしていなかったらトタの死から立ち直るのにもっと時間がかかっただろう」と話している。

 2012年10月には7年来のガールフレンドだったベロニカ・オヘダと破局。子どもを授かったベロニカに対し、妊娠を望んでいなかったマラドーナが別れ話を持ち出したとされ、アルゼンチンでも「女性の敵」として非難の的となったが、さらに間もなく22歳の女子サッカー選手、ロシオ・オリーバと交際していることが発覚。30歳も年下のガールフレンドを早速ドバイに呼び寄せ、彼女の美容整形に出資するほどの熱の入れように、国内のメディアも連日この話題を大々的に取り上げた。

現在のマラドーナのパートナーであるロシオ [写真]=Getty Images for Soccerex

 そして2013年4月、ベロニカが出産。生まれた男児にはディエゴ・フェルナンドと名付けられ、マラドーナも自分の子どもであることを認めている。これで「マラドーナの子ども」は、前妻クラウディアとの間に授かった二人の娘ダルマとジャニーナ、イタリアで生まれたディエゴ・アルマンド・ジュニオル、そして95年にアルゼンチンの女性バーテンダーとの間に生まれていたハナに続いてなんと5人目となった。

 比較的穏やかで、コカイン中毒のリハビリにも根気強く付き合ったベロニカと異なり、若いロシオはマラドーナに負けないほど激しい気性の持ち主で、これまでに何度も衝突し、別れては仲直りをするというエピソードを繰り返しているが、昨年、二人を団結させる決定的な出来事があった。父ドン・ディエゴの死、そして元妻クラウディアに対する訴訟だ。

 貧しかった幼少期、家族のためにひたすら働いた父ディエゴを尊敬してやまなかっただけにマラドーナの落胆ぶりは相当なものだったが、その反動と言ってもいいほどの勢いでクラウディアを詐欺罪で訴えたのである。

 15歳のときから交際を始め、別居後も生涯の友人として良好な関係を保ってきたはずだったマラドーナとクラウディアだが、マラドーナが600万ドル相当の財産が不足していること、それをクラウディアが管理していたことを指摘。その他、コレクションしていたユニフォームやサッカーに関するグッズおよそ300点の返還を要求したが、クラウディアが調停に応じなかったため訴訟を起こしたというわけだ。

左から元夫人のクラウディア、長女のダルマ、マラドーナ、次女のジャニーナ(2008年当時) [写真]=Getty Images

 この争いは今も続いており、マラドーナにとっては全面的に母親の味方をする長女ダルマとの間柄もぎくしゃくする結果に。次女ジャニーナだけが父を気遣い、孫ベンハミンの様子を毎日チャットで報告してコンタクトを取っているという。

 このように、相変わらず「争い」の渦中で波乱万丈な私生活を送っているマラドーナだが、その一方で劇的な「和解」もあった。現役時代からずっと敵視し続けてきたFIFA(国際サッカー連盟)と手を組んだのだ。

 FIFA会長選においてマラドーナはヨルダンのアリ王子を支援していたことで知られているが、新会長に就任したジャンニ・インファンティーノとこの度パリで会談。インファンティーノ会長はマラドーナに、不正問題で捜査の手が伸びているアルゼンチンサッカー協会にFIFAから派遣される監査官としての重要な役割を勧めたのだ。

 かねてからFIFA内部の汚職を訴え続けてきたマラドーナは、より透明なサッカー界を築こうとするインファンティーノ会長の姿勢に賛同していることから、今後も様々な活動でFIFAと協力し合うことを約束したという。

 母国を離れ、両親を失い、長年連れ添った彼女と別れ、娘と同年代のガールフレンドと付き合い、孫より年下の息子が産まれ、元妻と法廷で争い、天敵だったFIFAと和解。メキシコでワールドカップを掲げてから30年後、マラドーナは現役時代よりも激しい変化の中で健在ぶりを発揮している。

文=藤坂ガルシア千鶴

By 藤坂ガルシア千鶴

1989年よりブエノスアイレス在住。サッカー専門誌、スポーツ誌等にアルゼンチンと南米の情報を執筆。

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