本連載の著者である安藤隆人氏は、元銀行員という異色の経歴を持つサッカージャーナリスト。今では、高校サッカーを中心に日本列島、世界各国を放浪し精力的な取材を行っている。巷ではユース教授と呼ばれる。本連載では安藤氏の“アンダー世代”のコラムをお届けする。
文=安藤隆人
極寒だった。晴天で暖かかった岐阜から、東海道新幹線と東北新幹線を乗り継いで、着いたのは日本列島最北の青森。盛岡あたりから車窓は一変し、銀世界となっていく。そして、青森に着いたときには、雪は横なぶりで、道の周りは自分の身長を越える高さの雪山が出来ていた。
翌日、私は青森山田高校の取材に向かった。学校の校門は雪で覆われ、グラウンドに着くと、まっさきにゴールよりも高い雪山が目に飛び込んだ。この時期の青森山田高校の取材はこれで6年連続。ゆえにこうした光景は見慣れたものだが、いつ来ても雪国の過酷さを痛感させられる。
練習開始は9時半からだったが、選手たちは8時過ぎにはグラウンドに集まり、雪かきをしていた。あまりにも雪がひどい時は、ブルドーザーを投入して、グラウンド横に雪をかき出す。この日は前の週にブルドーザーを投入していたにもかかわらず、この数日間でまた積もってしまい、人力で雪かきをしていた。
1時間すると、グリーンの人工芝のピッチが顔を出し、狭いがゴールを使って練習できるスペースが生まれた。時間通りの9時半に練習が始まると、黒田剛監督、正木昌宣コーチの厳しい声が飛ぶ。その間も雪は延々と降っている。
グラウンド脇の雪山に上って練習を見ていたが、1時間も経つと足先の感覚がなくなったので、グラウンド周りの雪の上を歩きながら、2時間強の練習を見つめていた。
「雪はもう仕方がない。逆にこれをプラスに変えるよ」
黒田監督は毎年この言葉を口にするが、その度にその言葉の重さを痛感する。青森山田の強さの所以は、逆境とも言える環境を毎年受け入れ、常に前進しようとするメンタリティーにある。雪のない他県出身の選手もこの環境を受け入れ、順応している。それを毎年繰り返す黒田監督の手腕とメンタリティーには、本当に頭が下がる。
極寒の豪雪地帯で息づく強豪校のスタートを見届け、私は青森の地を後にした。