文=池田敏明
写真=市川陽介、ウニベルシダ・デ・チリ
ウニベルシダ・デ・チリは1927年5月24日、チリの首都サンティアゴで誕生した。その名前が示す通り、創設したのはチリ大学に通う学生で、当初は同大学のスポーツ部門に所属するチームだった。38年にプロリーグ参入を果たすと、40年には早くも初優勝。59年からはレオネル・サンチェスらを擁して第一期黄金時代を迎え、69年までの11年間で6度の国内リーグ制覇を達成したチームは“バレット・アスール”(青い弾丸)の異名を取った。
1980年には大学学長とクラブ会長の話し合いにより、クラブが大学から分裂。以来、クラブは「ウニベルシダ・デ・チリ」の名を残しながらも、チリ大学からは独立した団体として運営されることになる。ただしファンの間では今でも両者の結び付きは強く、チリ大学の学生の中には「ウニベルシダ・デ・チリのファンだったからこの大学に入った」と胸を張る者や「子供の頃から大好きで、ソシオの会員証も持っている。週末は常にスタジアムに行って、ゴール裏で応援しているよ」という筋金入りのサポーターもいる。
88年には2部降格を経験したが、90年代に入ると復活の兆しを見せ、94年、95年と国内リーグを連覇。その中心にいたのは、現在もファンの間で絶大な人気を誇るマルセロ・サラスだった。
サラスは16歳の頃に出生地テムコからサンティアゴに移り、ウニベルシダ・デ・チリのアカデミーに加入。93年にトップチームデビューを飾り、4シーズンを過ごした。その後はアルゼンチンやイタリアで活躍し、05年にはウニベルシダ・デ・チリに復帰。キャプテンとしてチームをけん引し、08年12月に現役を引退した。ウニベルシダ・デ・チリで公式戦通算208試合113ゴールという偉大な成績を残し、今やその存在は伝説と化している。
チリ大学のアンドレス・ベージョ・キャンパスでカフェテリアを経営するマリア・クリスティーナ・サラスさんは、自身のアイドルにサラスの名を挙げ、敬愛する理由を次のように語ってくれた。
「サラスはプレーヤーとしても超一流だったけど、紳士的な人物でもあった。まさに完全無欠の男だったのよ」
若いファンや現役プレーヤーの中にも、サラスを憧れの存在に挙げる声は非常に多い。
21世紀に入るとクラブの経営状態が徐々に悪化し、06年に経営破綻。翌07年は、「アスル・アスル」という企業に経営権を譲渡する。だが、この変化がピッチ内外に多くのメリットをもたらした。
09年の国内前期リーグを制すると、10年には最新鋭のトレーニング施設兼クラブハウスが完成。11年には国内前期、後期を制し、初の国際タイトルとなるコパ・ブリヂストン・スダメリカーナ制覇も実現させた。
チームは現在、62年チリ・ワールドカップでも使用されたエスタディオ・ナシオナルを本拠地としているが、2014年のオープンを目指して3万5000人を収容する新スタジアムの建設を進めるなど、クラブの成長はとどまるところを知らない。
チームの勢いは今年に入っても全く衰えていない。国内前期リーグでは第5節オイギンス戦で不覚を取ったが、13勝3分け1敗という圧倒的な成績でプレーオフに進出。第14節、コロコロとの“スーペル・クラシコ”では、積年のライバルに5−0という大差をつけて圧勝している。また、コパ・リベルタドーレス2012でもグループステージを首位で勝ち上がり、決勝トーナメントではデポルティボ・キトにファーストレグ1−4からの大逆転勝利(セカンドレグ=6−0)、リベルターにPK戦の末に勝利と勝負強さを発揮している。「南米で最も攻撃的で魅力的なサッカーをする」という現地での評価は、偽りでも大げさでもない。
【動画編】ウニベルシダ・デ・チリってこんなチーム