「引退してもみんなグレのこと見てるから」
現役最後の大会直前、元フットサル日本代表の木暮賢一郎氏は、キング・カズからこう言葉を掛けられたという。
2013年3月、木暮氏は、通算14年間の現役生活に終止符を打った。まだ、競技の存在が世間に認知されていなかった1999年から、アマチュア選手としてキャリアをスタートさせたフットサル界の先駆者である。
彼自身、幼稚園から高校生までは一貫してサッカーをプレーしていたが、フットサルを始めた転機は、大学浪人時代だという。
「たまたまその頃、横浜のコートで、読売ジュニアユース時代の先輩と遊びで週1回やってて。その隣のコートで、今も現役の甲斐修侍選手(ペスカドーラ町田)、前田喜史選手(ペスカドーラ町田)、市原誉昭選手(湘南ベルマーレ)とかが、たまたま同じ時間に練習していたんですが、そこにも読売の先輩がいて。ちょっと練習試合やろうかみたいな交流がなんとなくの始まりですかね」
フットサルの魅力に引きつけられ、大学進学後、神奈川県フットサルリーグのWINNING DOGSでプレー。全国選抜フットサル大会の関東選抜に1年時、2年時と立て続けに選出され、2年時には優勝も経験。3年時には、第3回AFCフットサル選手権の日本代表にも初招集される。この大会で、元横浜マリノスの鈴木正治選手と共にプレーした経験が、本格的にプロを志す契機になる。
「正治さんは現役を退いていて、フットサルをやっていなかったのに、アジアの舞台でしっかりとプレーできる。一方、僕は若くて、フットサルをやっていたのに、全然いいプレーができない。当時、僕は日本一にもなっていたし、フットサルなんか簡単だという勘違いですよね。競技は違うけど、プロで10年以上やって、国際舞台で日の丸を背負い生活を懸けて闘う人たちと、全然違うことを思い知らされて。フットサルは当時プロが無くて、サッカーでプロになれなかったやつの集まりだろみたいな非常に馬鹿にされた見方をされていて。それに対しての反発心から、お金はもらえなくてもプロフェッショナルな選手になって、取り組む姿勢や気持ちを認めてもらいたい。それが、本当にフットサル選手として生きていこうと強く思ったきっかけですね」
Tシャツにデニムというラフな装いとは裏腹に、言葉を選びながらも、節々に当時の固い意志を垣間見せる。
アマチュアからプロへの転身。夢を追ってスペインへ
2001年、関東フットサルリーグのFIREFOXへ移籍すると、在籍4年間で地域チャンピオンズリーグ1回、全日本フットサル選手権2回の優勝を果たす。またこの頃から日本代表にも常に名を連ね、2005年の第7回AFCフットサル選手権では準優勝を果たし、大会MVPに選出された。
こうした輝かしい戦績を残しながらも、国内にプロチームが無いことに対して憤りを感じていた。
「日本一にもなりましたけど、アマチュアでやることはやって、先の目標が無かったですね。周りに認められるにはプロにならないといけないと。サッカーでプロになる夢はかなわなかったですけども、フットサルに出会って、日の丸も付けさせてもらったし、ここで挑戦しないと悔いも残る。でも、日本にはプロがないので、何とか世界最高のリーグであるスペインで成功したいと思うようになりましたね」
木暮氏は2005年から2008年の4年間スペインでプレーし、1部で2チーム、2部で2チームと通算4クラブに所属。初年度に在籍した2部リーグのCLIPEUS F.S. NAZARENO(ナザレノ)で年間35ゴールを記録するなど、念願だったプロ生活を着実に歩み始める。
スペインでは、試合数が毎週末ホームアンドアウェーで年間35試合、更に合間を縫ってのカップ戦や代表戦と、ハードなスケジュールをこなさなければならなかった。また、今までになかった二部練習も経験。こうした環境面の差に驚かされながらも、日々新しい発見を得る充実感が苦労を上回った。
「その頃は本当にプロになりたくて、絶対スペインで成功するんだっていう思いがありましたから。全てが新鮮でしたし、どんどん知らなかった知識や経験を吸収することができました。引退した今でも、自分の中でフットサル観のベースとなっているのは、衝撃を受けたスペイン1年目。そこが軸になっていると思いますね」
日本のフットサル発展に求められるのは競技力
2007年、日本においても初の全国リーグとなるFリーグが開幕すると、自身も翌年11月にスペインから帰国し、名古屋オーシャンズへ移籍。リーグ唯一の完全プロチームで引退までプレーを続け、プロとしてのキャリアにこだわった。
Fリーグは今シーズンで創設7年目と、まだ発展途上にあるが、昨シーズンの総観客動員数は23万人を突破。初年度の8万1998人から、約3.5倍に増加しており、人気は確実に高まっている。
「リーグ関係者は、イベント運営面で興味を引く努力を本当にしていますし、それが観客動員数アップにつながっている。また、カズさんがワールドカップに出てくれた時のように、今後も注目が集まる機会が多々あると思うんですよね。けれども、一瞬のブームで終わるとか、何かの力に頼るより、一番大事なのは、誰が見ても面白いと思える競技力。Fリーグが魅力を発信できないかぎり、本当の意味でフットサルが、野球やサッカーと肩を並べるメジャーなスポーツにはなれないですから。パス、スピード、技術、戦術が世界レベルになれば、必然的にお客さんが熱狂してくれると信じてるんで」
現役生活に別れを告げた現在は、FリーグU23選抜チームの監督を率いており、指導者として競技力向上に注力する。世界の強豪国と比較すると、若手の育成土壌には歴然たる差が存在するが、根底からフットサル界の改革に取り組んでいる。
「スペイン代表とかブラジル代表は、6歳くらいからフットサル一筋の選手しかいないし、リカルジーニョ選手(フットサルポルトガル代表・元名古屋オーシャンズ)もサッカーなんてほとんどやったことない。現状、U23の選手たちは、高校までサッカーをやっていた選手がほぼ全員。そういう子たちが短いスパンで成長するには、月2~3回のU23の活動だけでなく、各自がA代表や所属クラブで一早く試合に出ることが必要です。U23では、Fリーグの下部組織に所属するプレーヤーや、大学生、地域リーグなど関わる選手全ての情報を集めているので、この活動がたくさんの選手のモチベーションになったり、日本代表を目指すきっかけになってほしいと思います」
U23選抜組成は、フットサル界にとって試金石であるとはいえ、未来に影響を及ぼす重要な仕事だ。だが、これまで未開拓の地を開墾し続けてきた彼なら、新たな道も切り開くことができるはずだ。
「何年後か分からないですけど、指導者として世界に出たい。現役の頃と同じように、海外とか世界のトップに行くことを目指して、そのスタートを若い選手たちと共に歩んでいきたいですね」
昨今、フットサルコートの数は10年前の4倍に増えており、老若男女問わずフットサルがようやく市民権を獲得した。フットサルを取り巻く環境はかつてより大きく様変わりしているが、その影には、木暮氏らがプレーだけではなく、常に挑戦を続けてきた努力の功績がある。新たにセカンドキャリアの扉を開いたこれからも、この潮流は続いていくに違いない。
木暮賢一郎、彼の視線は既に次の未来を見据えている。
インタビュー・文=谷口寛樹(サッカーキング・アカデミー)
写真=赤石珠央(サッカーキング・アカデミー)
●サッカーキング・アカデミー「編集・ライター科」の受講生がインタビューと原稿執筆を、「カメラマン科」の受講生が撮影を担当しました。
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