「あとおにぎり1個分ですよね」
カロリーの話ではない。とある試合での玉乃淳さんの解説だ。
このフレーズは、2013年J1第33節 セレッソ大阪対鹿島アントラーズ戦で、シュートがポストにはじかれゴール外へ飛んだ際に、あとどれくらいでゴールに入ったかを伝えるために玉乃さんが使った表現である。
テレビのサッカー観戦において、視聴者はどれほど解説者の言葉を意識しているだろうか。元日本代表という肩書の下、どのような意図を持って選手が動いているのかを自らの体験談から語る解説者がいる。サッカーの造詣が深く、ジャーナリストとしての目線で話すことができる解説者、そして視聴者とともにひたすら熱くチームを応援する解説者もいる。聞いてみると解説者にも多種多様なスタイルがある。
その中で、サッカーファンの間で話題の解説者がいる。玉乃さんだ。
最大の魅力は、解説らしくない、フランクな語り口だ。サッカー好きの知人が隣で盛り上がっているかのような親しみやすい解説は、観戦の楽しさをより際立たせている。
スペインでのプロ選手生活
25歳という若さで解説者デビューを果たした玉乃さんのサッカー人生は、小学校1年生から始まる。
「幼少時代はただのサッカー好き少年。家の前の公園で、みんながサッカーをやっている環境で育った」。小さい頃からサッカーばかりの毎日で「あの頃はとにかく楽しいからやっていた」と振り返る。
最初の転機は、15歳でヴェルディジュニアユースとして出場したナイキプレミアカップだった。玉乃さんのレベルの高いプレーが、アトレティコ・マドリーのスカウトの目に留まったのだ。1999年にアトレティコ・マドリーのユースチームに加入。プロとしてのスタートを切ることとなる。
「チーム初日のことは鮮明に覚えています。初日から紅白戦で、チームの幹部も新加入選手の視察で勢ぞろいでしたね。そんな中、周りとのレベルの差もそこまで感じず、思いどおりのプレーができました。幹部からのおおーっ!という反応にうれしくなったのをしっかり覚えています」
2002年9月18日、東京ヴェルディ1969(現東京ヴェルディ)に移籍した玉乃さんは、Jリーグデビューを果たした。そして徳島ヴォルティス、横浜FC、ザスパ草津(現ザスパクサツ群馬)へと移籍をし、2009年に25歳という若さで引退を決意した。
「スペインでは周りの選手の成長スピードが全然違っていて、年月がたつにつれ、体格でも差がついていた。Jリーグに帰ってからは日本とスペインのレベルの差を感じ、できて当たり前という思いで調子に乗っていたんです。その勘違いも年々減っていって、気付いたら周りに追い抜かれていた。勘違いできなくなったときが終わりのときだったのかなと、今振り返るとそう思います。でも完全燃焼で終わったから。これ以上は無理だろうと思えたから、幸せな終わり方でしたね」
25歳にして解説者デビューへ
選手としてサッカー人生に一区切りをつけた玉乃さんは、英語を学ぶためにカナダで過ごしていた。その中でも日本から仕事の依頼が来たら、小まめに日本へ帰国し、地道に仕事をこなしていった。
「引退して何をやればいいか全く分からなかった。頂ける仕事は何でもやろうと思って、
依頼されたらカナダから日本へ帰って仕事をして、またカナダに帰るということを地道に繰り返していました」
そこでJ SPORTSのプロデューサーと出会い、解説という仕事と巡り合った。
「たとえやりたくても誰もができるものでもなく、自分にしかできないものっていうのが、昔から好きでした。なので、最初にJ SPORTSのプロデューサーから解説のお話を頂いたときも、自分が解説!?と信じられない思いで引き受けたんです。好きなことを言えるんだったら、超楽しいじゃんっていう気持ちでした」
突然の抜擢にも臆せず、玉乃さんは依頼を受け、解説者として、サッカーと共に生きる人生を再スタートした。
「当時25歳だった僕を抜擢ということで、それはすごいと思いました。テレビ局側も局の看板を背負っているので普通ならリスクを考えてしまうはず。他社が経験豊富な元日本代表選手を起用する中、いきなり何の解説経験もない25歳で引退した若造を抜擢したわけですからね。試合前にはしっかりレクチャーしてくださって、後はもう任せたという感じでした。その器の大きさには本当に感謝しています」
たとえどんなにつまらない試合展開でも、解説の善しあしでとても面白くなることがある。どこを見ればいいのか、何をどう楽しめばいいのか。それを教えてくれるのが解説の仕事だ。玉乃さん自身、視聴者がより楽しく観戦するために、どのような解説が面白いかを考え、思ったことを言って気持ちを前面に出して解説をするという自分のスタイルを少しずつ確立していった。
その解説はとても独特だ。自分の体験談から的確な解説をするときもあれば、チームの地元名産物の話を試合中に繰り返すこともあり、冒頭の「おにぎり」のような、独特の表現もある。また、素晴らしいプレーのときは、視聴者と同じ目線でストレートに感情を爆発させる。その自由な解説は、とても分かりやすく、何より視聴者が試合を楽しむための新しい要素となっている。
「正直言うと、思ったことを口にしているだけなので、1ミリも計算はないんですよ。あえてテレビを意識しないようにしています。それでいいって言ってくださるスタッフのおかげで、成り立っています。解説というのは試合の臨場感が伝わり、言葉に気持ちが入った方が面白いですよね。感情や気持ちが表に出た方が、見ている側に思いが伝わる。面白い解説であるべきだし、それが責任であって仕事だと思っています。チャンネルを変えられたら負けですから。絶対に離さないという熱い思いを持った解説をしたいですね」
サッカーとは、夢が見られる仕事
25歳という若さでサッカーから一度退いた玉乃さんだが、解説という別のフィールドで再び戻ってきた。サッカーを仕事にする魅力について、玉乃さんは「夢が見られるもの」と語る。
「サッカーに関わる仕事をしていると、常識的なことを覆せる瞬間がたまに来る。サッカーをやっていたから25歳で解説をすることができた。普通に生きていたらまずあり得ないです。夢なんて大概かなわないじゃないですか。それなのに、サッカーに関わっていると自分が夢見ていないことでも実現することがあるんです」
サッカーには夢がある。この業界を目指す方々には、希望に聞こえる言葉だ。その夢をかなえるために、何かを犠牲にして夢をかなえようとする人は多いが、厳しい現実を知っているからこそ、玉乃さんはくぎを差す。
「サッカーに関わる仕事に就くというのは、なかなか厳しいのが現実です。何か仕事に就いていてサッカーに関わりたいと思うのならば、仕事を辞めずに生活の基盤は残しつつ、サッカーに関わった方が僕はいいと思う。好きだから仕事を辞める、という考えはとても危ないと思います。今の仕事のスキルをしっかり身につけ、視野を広げることが大事です。社会とのつながりがあって成り立っているのだから。サッカーばかり見ていては視野が狭くなってしまうんですよ」
栄光と挫折を味わい、一度サッカーから離れた玉乃さんだからこそ、それ以外の世界もたくさんあるということが身に染みている。
「選手を辞めたときに気持ちがはじけましたね。今までサッカーしかやってこなかったので、何をやっても面白い。もちろん失敗することもあるけど楽しいです。なぜならサッカーが自分の中心にあるからね」
2014年、日本サッカーはかつてない盛り上がりを見せている。セレッソ大阪に南アフリカワールドカップの得点王・MVPのディエゴ・フォルランが来日し、4万人を集めた大阪ダービーで見事2得点を決めた。また柿谷曜一朗をはじめ、日本代表に選出された若手選手の台頭により、Jリーグに注目が集まっている。そして4年に一度の祭典ブラジルワールドカップもあり、解説者の出番はかなり増える一年となる。
「『Jリーグの解説といったら玉乃淳』と言われるようになりたい。そしてJリーグから日本代表に選ばれた選手をそのまま追い掛けていきたいですね。代表の試合にも注目していきたいです」
解説という要素は、テレビ観戦において大事なスパイスであり、さまざまな種類があって、楽しみ方がある。今年一年テレビ観戦をしていれば、玉乃さんの解説にきっと出会うだろう。その独特で刺激的な玉乃さんというスパイスを一度味わったとき、視聴者はまた新たなテレビ観戦の楽しみ方を発見することになる。
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インタビュー・文=石川祐介(サッカーキング・アカデミー)
写真=高山政志(サッカーキング・アカデミー)
●サッカーキング・アカデミー「編集・ライター科」の受講生がインタビューと原稿執筆を、「カメラマン科」の受講生が撮影を担当しました。
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