2004年1月、1通のメールが届く。『野村様 西岡明彦です』。意外な人物からの知らせだった。
「ロンドンに行って半年ぐらいですね。あの西岡さんだって驚きましたよ」
サッカーコメンテーターであり、フットメディア社長でもある西岡さんと面識はなかった。2人の出会いをアシストしたのは、フットメディアで野球を担当する石原敬士さん。石原さんは大学の後輩のことを西岡さんに話していた。
「石原さんに電話したら『ごめん、ごめん、言うの忘れてた』って(笑)。西岡さんのお誘いのメールがきっかけです。すぐにフットメディアの立ち上げに参加させていただきました。最初のころは、ロンドンで欧州の現地情報を集めて日本へ送る業務をしていましたよ」
サッカーコメンテーター野村明弘は、ここから約1年後に誕生する。
帰宅時刻はプレミアのキックオフ
野村さんは03年から05年、ロンドンに留学。英国を寝ぐらにし、チェルシーと共に欧州を巡った。
「アーセナルが見たかったんですけど、スタジアムが当時小さなハイバリーだったので、チケットが入手困難で。なので同じロンドンでチケットが買えた青い方に。ちょうどアブラモビッチがオーナーになったときで、興味もありましたし。プレミアやCLのホームゲームを中心に、CLのアウェーでシュトゥットガルトやモナコにも行きましたよ」
シュトゥットガルトに訪れたときは、その足でミュンヘンへ。CLのバイエルン対レアル・マドリーを観戦。さらにはイタリアのミラノへ渡りミランのゲームも観戦する。1年半でおよそ100試合、サッカーの熱を現地で体感する。そんな野村さんだが、子供のころからサッカーにべったりではない。学生時代は野球部とバレーボール部に在籍。局アナ時代は違う現場で多忙な日々を過ごしていた。
「報道をやっていたんです。事件や事故はいつ起こるのか分からないので、常に働いてましたよ。2002年の日韓ワールドカップもあまり見られませんでした。報道の取材で北朝鮮にいて、電話越しに日本の結果を聞いたりしましたよ。後ろで監視されながら」
忙しい生活の中、野村さんは帰宅後テレビに映し出される世界に没頭し始めていた。
「帰宅するのがいつも1時や2時だったんです。ちょうどプレミアのキックオフなんですよね。衝撃的でしたよ。そこからどっぷりです」
今まで持っていたサッカーの概念は覆された。ささやかな楽しみは熱狂へと変わる。会場を埋めるファンが作り出すこの世界をもっと知りたい。気付けば放送局を退職しロンドンへ。フットボールの魔力に魅了されていた。
忘れることのできない一戦
「チェルシー対ウィコムの録画中継が最初ですよ。もう緊張でトイレに行かなきゃだめなぐらいでした。現場での実況は高校サッカーが最初でしたね。帰りの車中は無口で……へこんでました」
1年半の留学を終え帰国。実況デビュー戦は、サッカーの母国で愛したチェルシーだった。しかし、局アナ時代には2試合しかしゃべっていない。実況はフリーになってから始めたようなものだった。未知なる世界に挑む野村さんは、目の前にいたお手本を参考にしていた。
「リスペクトしているのは社長、西岡明彦です。大好きなんですよ……もちろんそっちの気はないですよ(笑)。無駄なことは言わない、黙ることができるんです。アナウンサーってしゃべりたくなっちゃうから難しいんですよ」
新人は社長であり先輩である西岡さんの背中を追い実況を重ねる。毎週行われては過ぎ去っていく試合の日々に、忘れることのできない一戦も含まれていた。
「08-09のCL準々決勝チェルシー対リヴァプール2ndレグは興奮しましたね。1stレグを3-1で勝ったチェルシーが2ndレグを4-4で勝ち抜けたんですけど、もしかしたらひっくり返るぞって内容で。解説の川勝良一さんと2人で盛り上がってましたよ」
心躍る名勝負もあれば、はかない名勝負もある。2010年南アフリカワールドカップ決勝トーナメント1回戦、パラグアイにPK戦で涙をのんだ日本を伝えたのは、現地の実況席にいた野村さんだった。いつ名勝負は生まれるかは分からない。野村さんはそのツキに恵まれているようだ。あるうわさがスタッフ間でささやかれていた。
「冗談で『今日延長だろうな』って言われちゃうんですよ。だから今では最初に謝るようにしてます。延長戦で残業になっちゃうかもって冗談で。確かに延長戦が多いような気がするんですね」
サッカーを楽しむ空気
緊張した初実況から持ち続けている大切なことがある。観客席で地元のファンに交じり歓声を上げていたあの日の思い出だ。
「ゴール後はしばらく余韻を楽しんで、スロー再生が出てからようやく振り返る。僕がいた観客席はみんなそうだったんですよね。スタンドで見ているのと同じリズムにしたいと思っています」
スタンドにいる感覚を味わってもらいたい。「僕らは見えないところを伝えるためにいる」と語る野村さんは、画面の外も注目している。
「後ろでボール回しをしているときは、前線の選手がテレビに映っていないときがあります。実況席から見える画面にいない選手が、どう動いているかも話すように心掛けています。他にもフルハムのクレイヴンコテージには柱があって、試合が見えづらい観客席があるんですね。過去に実際に見たことも話していますよ」
気持ちよくサッカーを楽しんでもらうのは視聴者だけではない。タッグを組む解説者にも楽しんでもらいたい。
「西岡さんがよく言うんですけど、帰るときに解説の方が『楽しかったね、いっぱいしゃべらされちゃったよ』というのが一番いいんです。楽しく自然と言葉が出る環境を目指しています」
サッカーを楽しむ空気を伝えることも仕事。「僕らが楽しくなかったら、見ている人も楽しくない」という思いを声に乗せている。
28年後を夢見て
「年に1回は、プレスパスじゃなくてチケットを買って観客席で見たい。留学中にたくさん見ましたけど、それはあくまで過去なんですね。今見たら違う感覚を持つかもしれません。毎年現地でその年の空気を感じたい」
スタンドにいる感覚は、野村さん自身も忘れたくない大切なことだ。しかしスタンド観戦は、毎節実況を担当する野村さんにとって困難を極める。唯一のチャンスは、最後にある大一番だ。
「CLの決勝はシーズン後にぽつんとあるじゃないですか。担当じゃありませんし他の実況が被らないことが多いので行きます。でも、お祭りだからちょっと違うんですよね。できることならシーズン中のホーム・アンド・アウェーを見たい。でも仕事を投げ出すわけにはいけない。そんな葛藤があるんですよ」
観客として唯一のチャンスCL決勝。野村さんの夢は、その観客としてのチャンスを失うことにある。
「いつかCLの決勝をしゃべりたいです。もちろんワールドカップ決勝も。それは実況を始めたときから変わりません。究極の夢は、日本がワールドカップを掲げる瞬間を伝えたい。そのときは67歳とかになってるのかな」
39歳の実況者は28年後、7つ先のワールドカップを目指していた。
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構成=佐藤功(サッカーキング・アカデミー)
写真=河野伸行(サッカーキング・アカデミー)
●サッカーキング・アカデミー「編集・ライター科」の受講生がインタビューと原稿執筆を、「カメラマン科」の受講生が撮影を担当しました。
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