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OB選手たちの現在――巻 佑樹(元名古屋)「引退とは家族に相談することなく決めた」

2013.04.02

Jリーグサッカーキング5月号 掲載]
Jリーガーたちのその後の奮闘や活躍を紹介する本企画。今回は2012シーズン限りで現役を退き、名古屋グランパスのスカウトに就いた巻佑樹さん。わずか28歳でセカンドキャリアに進む決意を固めてから約3カ月、新たな道を進む彼は今何を思うのか。そのキャリアと新天地での活躍を追う。

構成=Jリーグサッカーキング編集部 取材協力=Jリーグキャリアサポートセンター 写真=兼子愼一郎

名古屋とは違う環境でもう一度勝負したかった

巻佑樹

 巻佑樹が現在の上司である小島卓に初めて声を掛けられたのは、駒澤大2年の頃だった。「小島さんが『お前を取りに行くから』って言ってくれたんです。その後、どうなるか分からないような僕を最初から熱心に誘ってくれました。大学で試合に出て、選抜にも選ばれるようになって、最終的には他のクラブからも声を掛けてもらいましたけど、最後はやっぱり小島さんに、という思いが強かったですね」

 あれから8年が経過した今、巻はその小島の下で彼と同じ道を歩んでいる。スカウトとしてのセカンドキャリアを歩み始め、あの時小島に掛けられた言葉を胸に秘めながら、日本中を駆け回る忙しい日々に没頭している。「大学生の時に小島さんに掛けられた言葉で、ものすごく心に響いたものがあるんです。でも、それは内緒。これから僕もスカウトとしてその言葉を使いたいんで。今言ったら、『使い回しかよ!』って思われちゃいますから(笑)。ただ、あの時小島さんに言われた言葉には、一人のサッカー選手としてすごく大きな勇気をもらいました」

 駒澤大を卒業して名古屋グランパスに加入したのが2007年。関東大学リーグ新人王、大学選手権3連覇、関東大学選抜、ユニバーシアード日本代表と、大学サッカー界で十分な実績を残し、複数のJクラブからオファーを受けるなど、鳴り物入りでの加入だった。加えて兄はドイツ・ワールドカップに出場した日本代表FW巻誠一郎。そういった環境もあって巻への注目度は高く、もちろん本人も、ようやくたどり着いたプロの世界に心躍る気持ちで飛び込んだ。

 迎えたデビューイヤー、リーグ戦では第8節柏レイソル戦を皮切りに4試合に出場、ヤマザキナビスコカップでは5試合で1得点を記録するなど、ルーキーとしてはまずまずの結果を残した。翌08年はリーグ戦で16試合1得点、ナビスコ杯で10試合3得点と活躍。「ミスター」ことドラガン・ストイコビッチ新体制下で貴重なスーパーサブとしての地位を確立し、09年にも着実に出場機会を増やしていく。しかし、クラブ史上初のリーグタイトルを獲得した2010シーズン、ケガの影響もあって出場機会が激減し、歓喜に沸くチームの中で煮え切らない葛藤を抱えていた。4年目のシーズンを終えてなお、自分の立場はルーキーイヤーとほぼ変わらぬスーパーサブ。ピッチ内でのプレーよりも、「ムードメーカー」と称されることが多くなっていた。「ずっと向上心を持ってやってきましたし、ピッチでは常に全力を出してきたつもりです。自分のキャラクターも理解しているから、ピッチ外の仕事のほうがピックアップされていることも分かっていた。チームメートが雰囲気良くプレーできるならと思って自然に盛り上げ役を買って出たところもあるし、それなりに楽しくやっていました。でも、なかなかコンスタントに試合に出ることができなくて、やっぱりスタメンで試合に出たいという思いは強かった。だから一度外に出て、名古屋とは違う環境でもう一度勝負したいと思ったんです」

 クラブがリーグ制覇の余韻に浸る中、新たな挑戦への決意を固めた巻の期限付き移籍が発表される。選んだ新天地はJ2の湘南ベルマーレ。しかし、チームの中心選手として1シーズンを過ごしたいという彼の思いとは裏腹に、6月には手術を受けるほどの故障を負って長期離脱を強いられる。新たな環境に身を乗り出して学ぶことも多かったが、まさか再びピッチに立てない悔しさを味わうとは思わなかった。「グランパスにはグランパスの良さ、ベルマーレにはベルマーレの良さがある。それを感じた一年でした。ベルマーレはグランパスに比べればクラブとしての規模は小さい。だから選手もスタッフも個々にやるべきことがたくさんありますよね。たぶんそういう環境だからこそ、地域の人の温かさやサポーターの声援をより身近に感じられるんだと思います。僕はケガの影響でピッチ外のイベントに出させてもらうことも多かったので、ピッチ外の部分に積極的に参加して、いろんなことを学びました。グランパスとは違う形で、クラブ全体が一つになって戦うことの大切さを教わった気がします」

“辞めた”ではなく、“新しいオファー”が来た

巻佑樹

 翌12シーズンは名古屋に復帰。クラブからはセンターバックへの本格的なコンバートを打診されて戸惑ったが、FWとして他の移籍先を探すか、それともDFとして名古屋に残るかという選択肢を天秤に掛けた結果、「このクラブで可能性があるならチャンレンジしたい」と名古屋に残る道を選ぶ。「もちろん迷いましたけど、一度決めてからは吹っ切れて、DFとして頑張ろうと思いました。ただ、こればっかりはチーム事情に左右されるところなので、シーズン序盤はFWとして出場することもあって……。どっちつかずの状態で困惑したんですが、こうなったらもう、割り切ってやるしかないですよね。毎日のようにポジションが変わることもありましたけど、どのポジションでも、とにかく力を出し切るしかないなと」

 このシーズンから3バック構想を掲げていた指揮官にとって、“センターバック巻”はキーマンの一人だった。巻自身は大学時代にも、あるいはプロ3年目の09シーズンにも最終ラインを任された経験はある。しかし本格的なコンバートとなると、ピッチの上で見える景色も感じるサッカーも、FWのそれとは大きく違った。「グランパスにはすごいセンターバックが何人もいるので、練習試合で一緒にプレーするだけでも純粋に楽しめました。本格的に後ろからサッカーを見て、こういうサッカーがあるんだって気付かされたというか……。4番の選手ですか?

 そうですね、プライベートでも本当にかわいがってもらいましたが、やっぱり間近にプレーを見て刺激をもらったし、僕のことを考えてアドバイスしてくれるのでうれしかったですね。もちろん厳しいことも言われましたけど、プレーでお手本を示してくれるので。トゥさん(田中マルクス闘莉王)がどんな考えを持ってサッカーをしているのかを感じられて、すごく楽しかったです」

 しかし、やはりこの年も満足な出場機会を得られず、シーズン終盤には契約満了を言い渡される。再び決断を迫られた巻の気持ちは、考えられる二つの選択肢を前に揺れていた。

 一つの選択肢は、名古屋を離れて移籍先を模索すること。もう一つの選択肢は、現役を引退し、スカウトとしてクラブに残ることだった。戦力外通告を言い渡されたまさにその場所で、巻は久米一正GMから「スカウトにならないか」という誘いを受けていたのである。しかも、久米からこのオファーを受けるのはこれが初めてではなかった。「久米さんからは、だいぶ前から冗談ぽく『オマエは早く引退しろ』と言われていました(笑)。だから、この時も『ついに来たか』という感じではあったんです。代理人と相談して、移籍先を探してサッカーを続けるか、それとも、スカウトとしてグランパスに残るか……。もちろん悩みましたが、最終的には、本当に自分を必要としてくれる環境でしか続かないだろうと思いました。久米さんからは『お前の力を貸してくれ』と本気で言われて、求められていることを感じてそっちの道に進む決断を下したんです」

 実際、久米は巻が湘南に期限付き移籍した時も、名古屋へ戻って来た時も、スカウトへの転身を勧めている。「早く引退しろ」と冗談交じりに言った言葉は、その表情に浮かぶ笑顔とは裏腹に真剣そのものだった。もちろん本人の意志を尊重するつもりでいたが、明るくまじめな人間性を持つ巻は、スカウトとしてクラブに貢献できる人材であると早くから気づいていたという。

 もちろん巻にとっては簡単な決断ではなかった。何しろ、まだ28歳である。サッカー選手としてのピークをこれから迎えようという時に引退を決断するのは、誰にとっても簡単ではない。ただし、一度心を固めてからは、本人が「意外とあっさり」と振り返るほどピッチに未練なくユニフォームを脱ぐことができた。「いろいろ考えましたよ。でも、一度決めてしまってからは意外とあっさり。いろいろな人に『早くない?』と聞かれましたけど、そう言われても答えに困るというか……。グランパスがスカウトとして必要としてくれたから、そっちの道に進んだ。それだけです。だから、僕としてはサッカーを“辞めた”という感じではなく、新しいオファーが来て、それを選んだら選手ではなかったという感じですね。久米さんには『お前のパーソナリティーはスカウトに向いている』と言ってもらえたので、こうなったらもう、信頼してついていくしかないなと」

 こうして、巻のプロサッカー選手としてのキャリアはわずか6年で幕を閉じることになる。「引退することもスカウトになることも、家族に相談することなく決めました。引退のニュースが出た頃に兄貴から電話がかかってきたんですけど、『お前、引退すんの?』って驚いてました(笑)。父親にはニュースが出る前に言いましたけど、兄貴も父親も、うちの家族は『考え直せ』とか言うタイプではないので。『決めたならいいんじゃない』って、そういう感じでした」

目の前の“やるべきこと”をただ懸命にこなすだけ

巻佑樹

 そうして始まったスカウトの仕事は何もかもが真新しく、まるでDFへのコンバートに踏み切った頃の新鮮さに満ちている。

 平日は高校や大学の練習場を訪れ、週末は試合に足を運ぶ毎日。名前と顔を売るため、各カテゴリの指導者たちに会う時間をとにかく大切にしている。仕事は多忙を極め、自宅に滞在する時間は月に1週間にも満たない。「寝るためだけに帰っているようなもの」と多忙ぶりを説明するが、それでも巻は今の生活にかつてない充実感を覚えているという。「楽しいですね。いろいろな人に会って、サッカーの話をして……。今までの生き方をそのまま仕事にしているような感じです。もちろん“発掘する”という視点で選手を見ることも楽しいですよ。そもそも、僕はサッカーを見る機会をあまり作ってこなかったので、『あの選手はどうですか?』という話をしながら、じっくりサッカーを見ることが楽しくて仕方がない。大会に出向けば1日に3試合も見ることがありますけど、全くあきないですね。ただ一つ、問題があるとすればパソコンですね(笑)。ほとんど触ったことがなかったんですけど、今の仕事をやる上では不可欠ですから。正直、こればっかりは憂鬱なんですが、少しずつ頑張っているところです」

 作ったばかりの名刺300枚はわずか1カ月足らずでなくなった。トレードマークだったあごヒゲもきれいに剃り落とし、巻は久米が期待するパーソナリティーを発揮して、あらゆるところに飛び込んで行った。かつての恩師から「選手時代よりいい顔してるじゃねえか」と言われたそうだが、それほどの褒め言葉はない。スカウトの仕事を始めて3カ月。分からないことのほうが圧倒的に多いが、“上司”である久米からは「失敗してもいいから好きなようにやってみろ」と力強く背中を押されている。「なるべく可能性のある選手を見落とさないようにしたいですね(笑)。ただ、やっぱり自分なりの信念を持って選手を見なければダメなんだと思います。その選手に対する周りの評判は嫌でも入ってくるんですが、自分がいいと思わないのにスカウトするのもおかしな話ですからね。だからまだ難しいですよ。自分の信念を見つけるのに精いっぱいですから。ただ、久米さんや小島さんには『失敗してもいい。自分がいいと思う選手にアプローチしてみろ』と言われているので、その言葉に従って思い切りやろうかなと思っています」

 大切なのは、とにかく目の前にある“やるべきこと”を懸命にこなすこと。そうした姿勢はがむしゃらにボールを追い掛けた現役時代と何一つ変わらない。今後は久米のアドバイスに従って指導者ライセンスの取得にも力を入れるつもりだが、今のところ将来の明確なビジョンを描けているわけではない。

 ただし、久米には明確なビジョンがある。スカウトとして成功するのか、指導者に転身するのかは分からないが、もし育成組織の指導者に就いた場合に、スカウトとして培った人脈が大きく生きると考えているのだ。ジュニアユース年代の指導者と交流を築くことができれば、U18に優秀な選手たちが集まってくる。大学の指導者と関係性を深めれば、U 18の選手が進路を選択する際に可能性を増やせることになる。Jリーグのチーム数や選手数増加に伴って選手のセカンドキャリアについて議論が酌み交わされる中、現役引退後にスタッフとしてクラブに残ることの意義を考え、巻の転身を新しいモデルケースの一つにしたいという。「指導者になる気は、実はそんなにないんです。ただ、久米さんが『ライセンスを取りに行って、何にでもなれる準備をしておけ』と言ってくれるので、そういう機会を与えてくれるクラブに感謝しながら行ってみようかなと。だから、まずは与えられているスカウトの仕事を懸命にこなして、自分の人生を楽しめるようにしたいですね。また他にやりたいことが見つかればその道に進むかもしれないし、このままスカウトの道を進むかもしれない。かと思えば、いつの間にか指導者になっているかもしれない。僕はずっとそういうスタンスで生きてきたので、決断する時は周囲の助言を受けながら、どんな方向にもあっさりと進んでしまうと思いますよ(笑)」

 そう言って笑う巻に、将来の夢を聞いた。すると冗談混じりにこんな答えが返ってきた。「将来の夢ですか? 難しいですね……。例えば、『いいお父さんになる』とかじゃダメですか?

 結婚すらしてないけど(笑)。もちろん、やるからには日本一のスカウトになりたいですよ。自分の目で見て、信念に従って獲得した選手がどんどん活躍する。それで『巻が連れてくる選手はすごい』と言われるようなスカウトに。高校生や大学生の選手を見ていると、彼らがどんな選手になるのか楽しみで仕方ないんです。もしこの仕事をずっと続けていったら、いつか彼らがJリーグや日本代表で活躍する姿を見られるかもしれない。そうやって自分の目を養っていって、サッカーをピッチの外から楽しみたい。スカウトとしての道を歩き始めた今は、そういう未来像も描けるようになったかな」

 選手としては満足するような結果を残せなかったかもしれない。しかし彼には、プロとしてのキャリアで築き上げた確かな信頼と持ち前のキャラクター、そして、それによって手にした新たな道がある。おそらくサポーターにとっても、巻がどんな選手を連れてくるのか楽しみで仕方ないだろう。名古屋グランパスの未来を担うのは、ピッチで汗を流す選手たちだけではない。

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