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引退決断のオーウェンがキャリアを振り返る「“あのゴール”が僕の人生を変えた」

2013.05.16

1998年W杯のアルゼンチン戦で記録したゴールは、世界に衝撃を与えた。

[ワールドサッカーキング0606号掲載]
世界に衝撃を与えた“驚異のゴール”から15年、マイケル・オーウェンは現役生活との別れを決断した。手に入れた幾多の栄誉と、悩まされたケガとの戦い。若くしてスターダムを駆け上がったそのキャリアは、喜びと苦悩に満ちた“複雑な道のり”でもあった。引退を決意した理由、振り返る歩み、今後のビジョンを、“ワンダーボーイ”が余さず語り尽くす。
オーウェン
インタビュー・文=クリス・ヘザラル 翻訳=田島 大 写真=ゲッティ イメージズ

「あのゴールが僕の人生を変えた」

 1998年6月30日、18歳の少年が世界に衝撃を与えた。ワールドカップ(W杯)という大舞台で、ロベルト・アジャラ、ホセ・チャモといった世界的な名DFを圧倒的なスピードで置き去りにし、文字どおり、独力で揺らしたゴールネット。“ワンダーボーイ誕生”の瞬間だった。「キャリアの幕を下ろす時だと思う。多くの選手が夢見るようなキャリアを送ることができた。とても幸運に思う」

 2013年3月19日、33歳になった少年は、今シーズン限りでの現役引退を表明した。プロデビューを飾ったリヴァプールで公式戦297試合に出場し、158得点をマーク。01年にはクラブのカップ戦3冠達成の原動力となり、バロン・ドールを獲得した。

 衝撃的なインパクトを残した初参加のフランス大会を含め、3度のW杯に出場。イングランド代表として、通算89試合で歴代4位の40得点を記録している。

 多くの選手が夢見るような輝かしいキャリア。しかし一方で、その歩みは本人も語るように、ケガとの戦いの日々でもあった。ワンダーボーイの“別れの言葉”、その“流儀”をしかと受け止めてほしい。

今回の決断は僕にとって正しいもの

――マイケル、なぜ今シーズンいっぱいでの現役引退を決意したの?

オーウェン そろそろ潮時かなと思った。ストークでの出場機会も減っていたからね。ここ数シーズンよりもピッチに立つ時間が増えると考えてストークに移籍したんだけど、残念ながら、思いどおりにはならなかった。シーズンの残された時間で、この状況が劇的に変化するとも思えなかったし、今シーズンあまり試合に出ていないから、来シーズン、トップレベルの場所でプレーを続けられる保証もない。だから引退を決意したんだ。もちろん、今でもプレミアリーグの舞台でゴールを決める自信はある。でも、引き際を見誤ってはいけないと考えた。中には下部リーグでプレーを続ける選手もいるけど、僕はその選択に全く魅力を感じなかったのさ。

――とても大きな決断だったね。

オーウェン そうだね。ただ、心の奥底では、ずいぶん前から引退を意識していたんだ。昨年のクリスマス前あたりからかな。そういう意味で、今シーズンの僕は、引退という“残酷な日”に一歩一歩近づいている感じだった。もちろん“残酷な日”とは、言い換えれば、“新たなチャンスの日”でもあるけどね。

――でも、33歳での現役引退は早すぎると思わなかったかい? 最近は40代までプレーを続ける選手もいるけど。

オーウェン そういった選手はポジションが違ったり、ケガが少なかったりと、僕の場合とはいろいろと状況が違うと思うんだ。僕に言えるのは、今回の決断は僕にとって正しいものだということ。選手によって、それぞれ事情は異なるからね。

――マンチェスター・ユナイテッドのポール・スコールズのように、来シーズン、突然、「現役復帰」というのは考えられない?

オーウェン  さすがにそれはないよ。他にもやるべきことがあるし、今後のキャリアについてはいろいろと考えているからね。今はそっちが楽しみなんだ。

――ストークで出番が限られているのも、ケガやコンディションが理由ということ?

オーウェン ストークで出場機会がないのは、ケガやコンディションだけが問題ではない。監督から見て僕が実力不足に見えるのかもしれないし、チームのシステムに適さないのかもしれない。理由はいろいろあるさ。

――君の引退発表は大々的に報じられた。メディア対応も大変だったんじゃない?

オーウェン 想像以上だったよ。僕はじっくり考えてから引退を決意した。だから、引退発表はシンプルな“形式上のもの”になると思っていたんだ。でも、その後の騒ぎは本当に予想外だった。ただ、どんな選手もいつかは引退する。僕は選手として素晴らしい時間を過ごせたから、今は第二の人生に目を向けているんだ。

――さっきは「楽しみ」と表現していたけど、引退後はどんなことを考えているの? サッカー界に残るつもり?

オーウェン  いくつかプランはある。解説者としてサッカー界に携わりたいと思うし、コーチングライセンスの初期的なものは既に取得しているんだ。もっとも、コーチ業に関して今はまだ何とも言えない。今言えるのは、最優先に考えていることではない、ということだね。

――ということは、すぐに監督にはならないんだね?

オーウェン まあ、「絶対」とは言えないけどね。どんな話があるか分からないし、監督業にすぐに進むことを完全に否定することはできない。このインタビューの後にでも、素晴らしいオファーが届くかもしれないからね(笑)。

――若手選手のために、『マイケル・オーウェン・マネジメント会社』を設立する計画もあるそうだね。それは、代理人になるってことかな? 詳しい話を聞かせてほしい。

オーウェン 子供たちのキャリアをサポートできればと思っているんだ。代理人という肩書はあまり好きじゃないから、「マネジメント役」と呼んでほしいね(笑)。選手の移籍を“操る”という仕事じゃない。もちろん、移籍に関わることもあるかもしれないけど、目的はそこじゃないんだ。20代後半の名のある選手をマネジメントするつもりもない。繰り返すけど、若い選手たちの手助けがしたいのさ。若い選手が陥りがちな“落とし穴”や仕事上の悩みなど、これまでに僕が培ったことを彼らのサポートという形で還元できればと思う。

リヴァプールでの時間は最高だった

――ここからはキャリアを振り返ってくれないかな。選手として自分の実績には満足しているよね?

オーウェン  自分のキャリアを振り返ると、2つの大きな感情がこみ上げてくる。一つ目は「誇り」だ。実績はもちろん、その過程にも誇りを持っている。クラブレベルでは、ほぼすべてのタイトルを手にしてきた。夢のような経験をしたし、本当に素晴らしい時間を過ごすことができた。

――2つ目は?

オーウェン 「もし……」という思いさ。もし、ケガに見舞われず、自分の最大の武器であるスピードを欠くことがなければ……とね。僕のキャリアのハイライトは、若い頃のものが多い。でも、体がちゃんと言うことを聞いていれば、その後のキャリアもどうなっていただろうかと考えてしまうことがある。ケガでスピードを失うことがなければ、もっとたくさんのタイトルや記録を自分のものにできたとも思うからね。

――君はリヴァプールでもイングランド代表でも、若くしてスターになった。若い頃の試合数が多すぎたのかな?

オーウェン そうかもしれない。何年も休みなくプレーしていたからね。だから、そういったことも僕は若い選手にアドバイスしたいんだ。

――君と同世代や少し上の年齢の選手でも現役を続けている人はいるよね。ライアン・ギグス、スコールズ、デイヴィッド・ベッカム……もしかすると、君もマンチェスター・Uでキャリアを始めていれば、息の長い選手になれたのかもしれないね。

オーウェン 彼らの名前を出されると、「そうかもしれない」と思ってしまうね(笑)。実は、子供の頃、ユナイテッドに入る選択肢もあったんだ。でも、僕はリヴァプールを選択した。仮にユナイテッドに行っていれば、君の言うとおり、あと何年かプレーできていたかもしれない。でも、リヴァプールでの日々は何物にも代え難いものだ。あの頃が僕の「最高の日々」だった。

――マンチェスター・Uと言えば、アレックス・ファーガソン監督が今シーズン限りでの退任を発表したね。

オーウェン 本当に驚いたよ。彼の後を継ぐ勇気があるのは、(ジョゼ)モウリーニョぐらいだろう。もし、僕に選択権があるなら、(デイヴィッド)モイーズを選ぶけどね(編集部注:インタビュー後、来シーズンからのモイーズの就任が発表された)。

――ちなみに、若い頃を振り返ると、具体的にはどんな無理があったのかな?

オーウェン  僕は各年代の代表の大会に参加し続けていた。もちろん、それは代表キャリアの糧になったものでもあるけど、15歳の頃から20代前半まで、夏にゆっくりと休んだ記憶がないんだ(苦笑)。つまり、1年中、プレーしていたってことさ。1997年にマレーシアで開催されたU-20W杯(当時はワールドユース)に出場した翌年の夏には、フランスW杯があった。その後からケガが増え始めたのさ。もちろん、選手それぞれで体の限界は異なると思う。例えばウェイン(ルーニー)は15歳の頃から今のような体つきだった。でも、15歳の頃の僕は違った。サッカー選手としては、とても華奢だったからね。夏の国際大会に参加せず、ちゃんと体を休めておけば……そう考えてしまうこともあるよ。

――でも、リヴァプールでは素晴らしいキャリアを送ったね。

オーウェン  あの頃は本当に楽しかった。ファーストチームでポジションを確保し、ゴールを量産して、何もかもがまるで一瞬の出来事だったように思える。01年にはリーグカップ、FAカップ、UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)を制した。僕はFAカップとUEFAカップの決勝でゴールを決めることもできた。今思い返しても、特別なシーズンだよ。

――では、なぜリヴァプールを離れたの? 君はファンのヒーローだったのに。

オーウェン リヴァプールでの時間は最高だったけど、国外の世界的なビッグクラブでプレーするチャンスが訪れたんだ。素晴らしい挑戦に思えた。自分のキャリアにとって正しい道だと判断したのさ。

――レアル・マドリーには1年のみの在籍。その理由は?

オーウェン 挑戦は楽しかった。ただ、今だから言えるけど、家族がスペインの生活になじめなかったのさ。個人的には、マドリーでのプレーを心から楽しんだ。チームのプレースタイルにもうまく順応できたし、ゴールも決めたしね。でも、どこかでプレミアリーグを恋しく思う気持ちもあった。プレミアリーグには、言葉では説明できない“特別な高揚感”があるんだ。他にも質の高いリーグはあるけど、プレミアリーグほどエキサイティングなリーグは他にはない。それは断言できるよ。

あのゴールが僕の人生を変えた

――では、キャリアを振り返ってみて、思い出のゴールを教えてもらえるかな。

オーウェン もちろん、フランスW杯のアルゼンチン戦で決めたゴールさ。自分で言うのも何だけど、W杯史上、最も有名なゴールの一つになった。それ以外では、01年のFAカップ決勝で決めたゴールとプレミアリーグ初ゴールかな。プレミアリーグでの初ゴールをマークしたのは、アウェーのウィンブルドン戦。僕のトップデビュー戦でもあった。シーズンは残り2試合。数字上、僕らにはまだ優勝の可能性が残されていた。先にウィンブルドンに2点を奪われたところで、僕がピッチに投入された。そして、スティグ・インゲ・ビョルンビーのスルーパスを決めて1点を返したんだ。試合には負けたけど、デビュー戦でのゴールだったから、今でも鮮明に覚えているよ。

――それでは最後の質問だ。自分のキャリアの中で一番好きなゴールは?

オーウェン 一番好きなゴールか、難しい質問だね。う~ん……フランスW杯後のシーズン序盤で決めたゴールかな。開幕2戦目のニューカッスル戦、僕は敵地でハットトリックを決めたんだ。その時の3点目は、複数の相手をかわしてから決めたゴールで、ゴール後、僕は両手をすり合わせてゴールを祝った。あのゴールセレブレーションは、覚えている人も多いんじゃないかな。それから最近だと、ユナイテッドでのマンチェスター・ダービーでのゴールも思い出深い。あれも特別なゴールだった。でも、やっぱり僕のキャリアのハイライトとなるゴールはアルゼンチン戦のものさ。いろいろな意味で、あのゴールが僕の人生を変えたんだからね。

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