「はい、川崎フロンターレです」
「以前フロンターレに選手で所属していた岡山一成ですが、武田社長に取りついでもらえますか?」
「社長の武田でしょうか?」
「僕は現在、奈良クラブというサッカーチームに所属しているんですが、どうしても武田社長と話がしたいのでお願いします」
「どのようなご用件でしょうか?」
「武田社長に選手だった岡山だと言ってもらえれば分かっていただけるので、伝えてください」
非常識を承知で半ば強引に武田信平社長への取り次ぎを求めた。電話越しにも、どう対処したらいいのか思案している空気が伝わってきた。
「お願いします。武田社長に聞いていただくだけで構いません。それでダメなら諦めます」
「分かりました。少々お待ちください」
待ち時間の「少々」が長く感じ始めた頃だった。
「おー、岡山、久しぶりだな。奈良クラブで頑張っているんだって?」
10年前と変わらずにフレンドリーな社長が出てくれた。フロンターレにいる頃、アホなことをしても、笑って許してくれた社長のままやった。
「社長、僕は今、奈良クラブで選手と奈良劇場総支配人をやってるんですけど、フロンターレみたいなチーム作りをしたいので、視察を兼ねて、うちのGMの矢部(次郎)とフロンターレにあいさつに行かしてもらえないですか?」
「オイオイ、岡山が来るなんて、何か企みがありそうで怖いな(笑)」
「社長、ただのあいさつですから、ちょこっと友好的なお付き合いをしてもらいたいだけですから、ちなみに月曜日で時間の都合がつく日はないですか?」
苦笑しながらも、忙しい合間にスケジュールを空けてくれた。アポが取れた。実はフロンターレのプロモーション部部長を務める天野春果さん(在籍していた時からいろいろオモロイ仕掛けを一緒にしてきた人)には、事前に相談していた。
「Jリーグのチームから、教えてもらいたいことがいっぱいある。たくさんの元Jリーガーが地域で試行錯誤している中、Jリーグのチームは積極的に手を差し伸べてほしい。遠く離れた地で頑張っているのを知ってもらえるだけでも励みになる。だから、今後のモデルケースになるように、奈良クラブとフロンターレが提携してもらえないか」
「そうだよな、自分たちだけがいいんじゃなくて、チームに貢献してくれた選手たちがJリーグを目指そうと頑張っているんなら、協力しないといけないよな」
「そうやねん。だから提携してほしいねん。何をするかはこれからアイディアを出していこう」
武田社長との面会時には天野さんも同席してくれて、自分の思いを熱く伝えた。頃合いを見た天野さんが口を開いた。
「社長、在籍していた選手と手を握り合うJクラブのモデルケースとして、川崎フロンターレが奈良クラブと提携しましょう」
「どうせ、お前らで話はできてるんだろ。昔からそうだったからな(笑)。趣旨は理解したから、進めていいぞ」
この瞬間、両チームの提携が実現した。
フロンターレの新体制発表会見にアドバイザリー契約のチームとして出席した。奈良クラブブースでの物販、ニコ動の出演、壇上でのアピール、岡山劇場まで繰り広げさせてもらった。
久しぶりのフロンターレの新体制発表会見は楽しかったし、スケールに度肝を抜かした。こんなチームにしたいな。
次回、提携第2弾は、Jクラブのない奈良にJリーグの魅力を伝えるため、奈良で武田社長に講演してもらう計画を立てている。
あと絶対に実現したいのが、フロンターレが関西で戦う時に奈良クラブのサポーターと一緒に駆けつけ、翌日に行われる奈良クラブの試合をフロンターレのサポーターに来てもらうこと。両チームのサポーターが交流を持つようになって、両クラブ全体でこの提携を実りあるものにしていきたい。
こういう動きが他のクラブにも広がっていけばいいなと思う。
頑張るで。
1978年4月24日生まれ。大阪府出身。
初芝橋本高卒業後、テスト生として横浜Mへ。打点の高いヘディングとガッツ溢れるプレーが評価されてプロ契約を勝ち取ると、デビュー戦から3試合連続ゴールを記録して一気に頭角を現した。大宮、横浜FM、C大阪、川崎F、福岡、柏、仙台と渡り歩く中、川崎F時代に始めた試合後の“岡山劇場”でサポーターの心をつかむ。柏時代には日立台のゴール裏でサポーターともに応援したこともある。09年に移籍した韓国・Kリーグの浦項ではACLを制し、FIFAクラブW杯で3位に入った。11年から昨シーズンまで札幌に在籍し、今夏からアマチュア選手として奈良クラブへ加入。J1通算64試合6得点、J2通算214試合20得点。