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<インタビュー前編>元日本代表・戸田和幸氏「色んな意味でリスクを冒しまくって生きてきました」

2014.02.11

 J SPORTSにて大好評放送中の「イングランド・プレミアリーグ」。第26節では、プレミアリーグでプレー経験のある元日本代表DF・戸田和幸氏がゲスト出演する。当時の経験談や、海外リーグに挑戦する選手たちへのメッセージを語ってもらった。
戸田和幸
 
――戸田さんがプレミアリーグのトッテナムでプレーされた2003-2004シーズンというのは、今振り返ると自身にとってどんなシーズンでしたか。

 僕はプロになったときに、漠然と海外でプレーしたいと思っていたんですね。でもそこにいけるとは思っていなかった。運もあって日本代表に入ってW杯に出場したことで、イングランドのサンダーランドから練習参加の話をもらったんですね。でもその時点では、前提ではあったけれど獲得のオファーではなかった。それでここで行かなかったら嘘だなと。よく「良いオファーの条件なら」ということを聞くけど、そんなのあるわけないと思っていて。だってステージが違うわけだから。条件が良かろうが、悪かろうが、練習参加だろうが、これは行かなかったら嘘だろうと、自分の中で思いました。それで練習に参加してOKが出たんですけど、チーム間交渉がうまくいかなかったんですね。でもそこで助け舟が出てスパーズに行けることになりました。今振り返ってみても、人生で一番生きているなと感じたときじゃないですか。必死でしたし。自分が来られるとは思っていなかった夢の舞台に、一番近づいたときだから。

――そういった経緯があって2002-2003のシーズン途中にスパーズに加入したわけですね。

 最初のハーフシーズンは「慣れなさい」とずっと言われていました。展開のスピードが全然違いましたね。それと日本でやっていたボランチというポジションはイングランドにはなかった。そこにまず慣れなきゃいけなかったですね。それでも最後のほうで4試合に出場できました。そこで案外いけるところと足りないなと思うところがあって、ある程度手応えを掴んで次のプレシーズンに入ったんです。そうしたら自分でもビックリするほど上手くいくようになったんですね。やっぱり慣れだなと思いました。練習試合でずっと先発組で出ていたし、これは開幕先発でいけるなと思いました。でも開幕2週間前にふくらはぎを肉離れしたんです。

――調子が良いときの怪我というのは本当に辛いですね。

 僕は肉離れという経験が初めてだったんですよ。だからリハビリの段階で感じるちょっとした痛みの感覚が良いのか悪いのかわからなかったんです。それでも自分なりに伝えてたつもりなんだけど、うまく伝わっていなかったんです。結局、5週間経ったときに悪化していると言われました。たぶんコミュニケーションの問題だったと思うんです。英語は家庭教師をつけて週に2、3回、2時間の勉強はずっとやっていて、まったく喋れなかったわけではないですけどね。

――怪我の細かい状況を伝えるのは難しかったわけですね。

 治療のためにミュンヘンに行ってバイエルンのドクターに見てもらって、基本的なリハビリはチームでやっていました。それでもなんか良くならない。さらに5週間経ってもう一度見てもらったら、悪くなっていると言われました。そこでわかったのが、僕の怪我に対してリハビリの負荷が強すぎると。そこからトレーナーを代えましたけど、結局復帰まで2カ月以上掛かりました。

――その間、チームの状況はあまりよくありませんでした。

 シーズン途中で僕を獲得してくれたグレン・ホドル監督が解任されちゃったんです。フロントにいたデビッド・プリートが暫定で監督になったんですけど、怪我から戻った僕の居場所はなくなっていました。紅白戦のときも余っている若手と端っこでトレーニングするしかない。でも諦めたくはなかったので、リザーブリーグで頑張ってやっていましたね。本当の世界のトップではないけれど、チームには各国の代表という一流の選手が揃っていたんです。そんな中で実績がない僕が先発を掴みかけていても、いなくなったときにその場所はすぐに埋まってしまう。さらに監督が代わってしまうと、もう順番が回ってこないんですね。そういう現実もあって、スパーズではそのまま終わりました。

――プレミアリーグででプレーするには一番慣れが必要だったという話でしたが、具体的にどういった部分に慣れる必要がありましたか?

 とにかく縦に速い。それから極力シンプルにプレーすること。後ろからきちんとビルドアップというのはないんです。自分がボールを受けに下りたときには、もうボールは前にいっていて、そこに追いつこうと思ったときにはもうボールは反対側にある。その展開の速さについていけなかった。その中で前にプレーしなければいけないんですよ。横に出して攻め直してというのは、イングランドではあまりない。例えばボールを受けて、敵が来ているから一回返してもらい直す、または後ろに下げてやり直そうというのはできないんです。その感覚が自分の中で抜け切らずにそういうプレーをすると、そこから良いことが起こらない。

――どうなってしまうんですか?

 相手も同じシステムでやるので噛み合うんですね。だからどこにボール出しても相手がいるわけです。そこをあえてハーフポジション取ってというのは、向こうの選手はあまりできないんです。だから横や後ろにパスを出すとそのままプレッシャーがきて、結局蹴るしかなくなってしまう。そこらへんに自分が慣れるのにちょっと時間がかかりましたね。でもそういう練習もコーチが付き合ってやってくれたので、ファーストシーズンの試合に出場し始めた頃には理解していました。早く出たくて仕方なかったんだけど、「早期に試合に出して自信をなくされたくない」と言われて。でも僕としてはできると思ったから「早く出してくれ」と言っていたんですよね(笑)。

――ほかにイングランドのサッカースタイルで特徴を感じた部分はありますか?

 サッカーのスタイルとしては、フラットの4―4―2で前にはデカい選手が2人いて、ロングボールが多いというのが一つ特徴としてありますよね。僕自身、ボランチというポジションで守備に重点を置く選手でしたけど、向こうのシステムでは立ち位置が5~10メートル前のセントラルミッドフィルダーに入ったんですね。そこでどう攻守に関わるかということに慣れるにも多少時間がかかりました。あと球際の強さですね。ボール受ける前に相手との距離が10メートルくらいあっても、ボールが来るまでにもう目の前にいるんです。もともとそのプレーは日本で僕が得意にしていたんですよ。でもその食らいついてきて、襲われる感覚というのは向こうで特に感じた部分ですね。

――試合に出られるようになった頃は、練習での手応えが違いましたか?

 基本的にシーズン中の練習は軽いんですよ。試合が多いのでコンディションを調整するために、特にトップで出ている選手たちはガタンと落とすんです。だから試合とまったく違うので、その練習でどうこうというのはないんですね。その代りに試合に出ない選手は火、水曜日にリザーブリーグがあるんです。でもそこには若い選手が多くて、自分をアピールするばかりでチームとしてのサッカーなんてできない。ドリブルが得意な選手はドリブルしかしないし、そんな中で自分はどうやって目立とうかすごく悩みました。でも結局、そうやって目立とうとするばかりの選手は誰も上に来ないんですよね。サッカーってそうじゃないから。僕はそれがわかっていて、ピッチのど真ん中で「お前らふざけんなよ」って思っているんですけど、ボールが触れなかったらなにもできない。だから自分で前にプレーして、前に出ていかないとチャンスがないなと思ってプレーしていました。

――戸田さんがイングランドのスタイルを理解してうまく噛み合うようになってきたのは、周りの選手も前にプレーすることを前提に動いているからですか?

 そうですね。もうみんなそれを前提にやっています。見ないでもワンタッチで出せたりしますよ。もうそこにいるので。中盤がフラットで相手と噛み合っているので、アンカーがいないんです。だからそのスペースにポンとパスを出せば意外と通っちゃうんですよね。そういう部分を「あ、そうなんだな」と理解するのに時間がかかりましたけど、慣れてからトップの選手とやると、やっぱりポジショニングがいいし、きちんとしたサッカー観があるので良いタイミングでボールもくれるんですよ。逆に言うとリザーブでやっている頃は、みんなが本当に好き勝手にプレーするので難しかった。

――トップの選手とのほうが良いリズムでサッカーができたんですね。

 それでトップとやってうまくプレーできるようになったときに、ふくらはぎを肉離れしてしまった。振り返ってみると、やっぱり猛烈に練習ばかりやっていました。レギュラー獲得が、本当に手が届くところにあったんです。だからもっとやらなきゃ、もっとやらなきゃって。それまでも練習量はこなしていたんですけど、その気負いが原因でいつの間にか自分のキャパシティを越えていました。そこがあのときの僕に足りなかった部分でしたね。一歩一歩やっていかなきゃいけないことはわかっているんだけど、でも本当にもうすぐそこだったんですよ。このまま行ったら出れるぞって。そうしたらやらなきゃという気持ちが止まらなかった。今ぐらい自分を客観視できて余裕があれば、あの怪我はしなかったと思います。プレシーズンでは南アフリカにも行って、その中で結構試合数が多かったんです。ウェイトトレーニング含めて相当やっていました。

――――やはりプレミアリーグでやるための身体作りとして、筋力トレーニングは結構やられたんですか?

 結構しましたね。やっぱり向こうは筋肉の付き方が違いましたから。とくに黒人の体格は凄い。しかもあの人たちはウェイトトレーニングしなくてもあの身体をしているんですよ。あとスプリント力は強いなと感じました。15メートルのスピードはとにかく速かったです。長いランニングは全然大したことはない。だから走行距離で言うとそんなに走ってないのかもしれないけど、局面でのアコーディオンみたいな伸び縮みする感じは凄かったですね。

――あの頃のスパーズはロビー・キーンやレドリー・キングと言った各国の代表選手が集まっていました。そういう選手たちとの試合やトレーニングをすることで、どんなことを感じましたか?

 やっぱりやりやすかったですよ。テディ・シェリンガムとかもいたし、中盤にはジェイミー・レドナップやダレン・アンダートンもいました。そんな中で怪我する前は僕がファーストチョイスだったんです。ジェイミーはヒザが悪かったんでね。でもそういう人たちともやれていました。僕がそのレベルに近づけていたというのはあるんでしょうけど、すごくスムーズにできていたし、やっぱりサッカーを知っている人はシンプルにプレーができますから。でもロビーはちょっとこねくり回す癖があって、右から左までドリブルしちゃったりするので(笑)。でも異常にすばしっこかったです。

――ロビー・キーンは当時のチームではエースストライカーですよね。彼はチームの中ではどんな存在でしたか?

 別にグイグイ引っ張るというタイプではなかったんですけど、陽気な人でしたよ。必ず練習後にはステップワークのトレーニングをしてましたね。シェリンガムも体幹的なトレーニングを黙々とやっていたし、逆に全然やらない選手もいました。

――ほかに印象的な選手はいましたか?

 スティーブン・カーというアイルランドの右サイドバックがいて、その選手も印象的でした。とにかくタフさとテンションがもの凄かった。コーチだろうが、監督だろうが関係ない。僕もそういうタイプなんですけど、その僕が見てもこいつは凄いと思いましたね。平気で書けないような汚い言葉を言うんですよ。向こうの人はそういう汚い言葉って普通に使ったりするんですけど、例えば試合中に監督が指示するじゃないですか。それで「うるさい! お前は黙ってろ!」って普通に言っちゃいますからね。でも試合が終わったら2人で肩組んでたりするんです。そういうオンとオフの切り替えが向こうはハッキリしていて、僕もそういうタイプなんです。それでもこいつらは凄いと感じました。僕ももっとこういう風にならないといけないと思いましたよ。その感覚で日本に帰ってきたら僕がモンスターになっていました(苦笑)。でも僕は日本にいる頃からそういうことがハッキリしていたんですけど、向こうに行ってさらに思ったし、こうだよねって思いました。

――イングランドのほうがやり易さを感じました?

 やり易かったですね。ドライだからサバサバしているんです。日本にいるときも例えばアレックスとかと毎試合喧嘩してましたけど、ドライでしたよ。仲も良いし。オンとオフを分けられるんですけど、やっぱり分けられない人のほうが多い。ピッチ内のテンションを周りの人にそのままピッチ外へ持っていかれちゃうとみんな僕から離れていくんですよ。だからヨーロッパから帰ってきて自分のあり方に正直ちょっと悩みましたね。

――向こうの文化としてはサポーターも印象に残ったんじゃないでしょうか。

 そうですね。サポーターは本当にフェアです。日本で良いプレーというとオーバーヘッドとかになるんですけど、向こうはそうじゃない。一つの気の利いたカバーリングだったり、サイドチェンジのパスだったり、そういうプレーに対してみんなが同じタイミングで拍手するんです。僕もその拍手は何回かもらっているんですけど、あれはちょっとたまらないですね。

――ファイトする姿もサポーターは支持しますよね。

 でも汚いプレーなわけではないんですよ。タイミングがズレて結果的に怪我になったということはあるんですけど、基本的にプレミアはパッションで真正面からぶつかる感じなので、それが一番の魅力なんだと思います。例えばスペインだったらそこにもっと戦術的な駆け引きがあったりするのかもしれないけど、プレミアにはプレミアの素晴らしさがあって、サッカーの原点みたいなところがあるじゃないですか。シンプルにゴールを目指して、変な駆け引きしないで真正面からゴールに突き進んでいく。そういう部分に観ている人たちは最高にエキサイトするんだと思います。

――プレミアはダービーも熱いですよね。スパーズで言えばアーセナルとのノースロンドンダービーが有名ですが、ダービーの雰囲気はどうでしたか?

 僕は出られなかったんですけど、アーセナルとのアウェイでのダービーをスタンドで見ていました。ファンもフェアだとは言ってもアウェイの選手に対しては汚いジェスチャーとか普通にやっていますから。でもモノを投げたりとかはないんですよ。だからあの距離感が成立するんでしょうね。イタリアに2週間くらい行ったときにサンシーロで試合を見ていたんですけど、コーナーキックになるとミカンの皮とか、ペットボトルがバンバン投げられるんですよ。だから選手は急いで蹴ってるんですよね。イングランドにはダービーでもそういうのはなかった印象です。

――ダービー前というのは選手だったり、スタッフの様子も違いますか?

 やっぱり緊張感が出てますよね。徐々にですけど。でも僕はダービーには出ていないので、周りからなにかダービーについて言われたりというのはなかったですね。当時のライバルチームで言うとチェルシーとか、リバプール、アーセナルはみんなスパーズより上だったので、厳しい戦いだったと思いますね。オーウェンがいて、ジェラードがいて、アンリがいて、本当に凄かったです。

――2003年頃はアーセナルは無敗優勝するなど、まさに黄金期でしたね。

 そうですよね。190センチ前後の黒人でギュンギュンに動ける選手というのはスパーズにもいたんですけど、その遥か上をいっていたのがアンリでした。あれは本当に凄いですよ。デカいし、動けるからピッチが狭く見える。あと、ピッチに必ず水を撒くので軽く蹴っただけでボールがシュンッと滑るんです。だから思いっきり踏み込んで蹴らなくても普通に蹴ればボールが滑っていくんですね。それも彼らのサッカーを作っている一つの要因だと思いました。

――パスの強さや速さは日本との違いを感じましたか?

 基本的に向こうは雨でピッチが常に濡れているじゃないですか? だからというのもあると思います。やっぱり芝の目が詰まっているピッチは日本にもあるし、アジアに行けばたくさんあるんですけど、そういうところでは球が走らない。イングランドにはそういう球が走る環境があるっていうのも大きいんじゃないですかね。筋力というのもあると思うんですけど、それよりも僕は環境だと思います。あと雨が降るとピッチが重くなるので、その中で普段やっているから足腰が強くなるという部分もあると思いますね。僕も最初は慣れるのが大変でした。

――トッテナムというクラブ自体の印象はどうですか?

 スティーブ・ぺリマンやアルディレスと清水エスパルスで一緒にやっているぶん、クラブの歴史は結構知っていたし、ガスコインやリネカー、グレン・ホドルがいた時代も知っていました。僕がいた頃は練習場が昔の作りのままだったんですよ。レンガ造りで質素な感じではありましたけど、歴史を感じられる練習場でした。ビッグクラブで言えばマンチェスター・ユナイテッドだったり、アーセナルだったり、リバプールだったりとほかにありますけど、クラブが持っている歴史としては十分立派なものだと思ったし、スタジアムで感じる雰囲気も特別でしたね。ほかのスタジアムでも良い雰囲気というのは感じましたけど、僕はやっぱりホワイト・ハート・レーンが一番良かったと思います。

――そのホワイト・ハート・レーンでの思い出はありますか?

 スタジアムの内側もよく見て回ったんですね。向こうのスタジアムは一つの社交場でもあるんです。ボックス席があって、どこかの企業が持っているんですね。そこでなんか話をしていたりするんですよ。あとクラブ関係者の人たちが集まる部屋というのもあって、そこの部屋の名前は投票で決めるんです。僕がいたときは「スティーブ・ぺリマンスイート」という名前でした。それぐらいぺリマンは凄い人だったんだなと思いましたね。

――ピッチ内ではどうでした?

 ホワイト・ハート・レーンはキャパシティが4万弱なんですよ。スタジアムの規模的にもちょうどいいし、あの距離感です。中に入ったときの感覚というのは忘れられないですね。日本では埼玉スタジアムで6万、日産スタジアムで7万とかありましたけど、ちょっと違いました。日本の専用スタジアムで感じるものともまた違う。それが歴史なのかもしれないし、サッカー文化なのかもしれないですけど。

――日本平ともまた違ったんですね。

 日本平も離れてからあそこの素晴らしさとか、アウェイとして行ったときの嫌な感じとか。そういうのがあるんだなってわかりました。でもやっぱり違いますね。それは屋根が付いてるかの違いなのかもしれない。でもやっぱり観に来ている人たちのサッカー観の違いじゃないですか? どのプレーにお客さんが声をあげてとか、どういう応援をしてというところも関係していると思います。

――そういう観客の反応で気分は乗ってきましたか?

 乗るというか、感動しちゃいます。こういうので拍手出るんだって。わかってるなって思う瞬間がありましたよね。だからですかね、尚更悔しかったです。でも怪我をしたのは僕のせいなので。後悔はしていない。そのときどきに自分なりに最善を尽くそうと思った結果ですからね。ただ、もうちょっとあそこで試合がやれたらなと思いました。

――それでも経験としては良い経験だったと言えますか?

 そうですね。1年しかいれなかったので失敗したんですけど、自分としては失敗にしたくなかった。失敗は失敗なんだけど、失敗で終わらせたくない。自分なりに拾えるだけ拾って、感じるだけ感じるようにやってきました。やっぱり行かないより行ったほうがいいですよ。「恥はかき捨て」って自分で勝手に決めた哲学があるんですけど、行ってみて「お前だめだったじゃん」と言われたとしても行ったほうがいい。だって行かなきゃわからないことたくさんある。そう思って生きてきましたから。僕のことをそういう風に言う人もいるだろうし、でも僕のように言える人は何人もいないと思います。だってみんなそこに行かないわけだから。僕は色んな意味でリスクを冒しまくって生きてきましたけど、それでよかったと思います。それを活かすのはこれからですね。

J SPORTS番組情報

<13/14 イングランド プレミアリーグ>
~第26節~
ニューカッスル・ユナイテッド

ゲスト:戸田和幸 実況:野村明弘
開催日:2014年2月12日(現地)

★J SPORTSにて戸田和幸氏がゲスト解説を行います

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