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【独占インタビュー】中田英寿「勝てるかどうか、それを試されるのがW杯」

2014.06.06

 日本代表にとって初参加となった1998年のフランス大会から2002年の日韓大会、2006年のドイツ大会まで3つのワールドカップを戦った中田英寿。日本代表をW杯初出場に導き、W杯の常連国へと引き上げた中田は現役時代、W杯という大舞台でプレーするという意味をどのように考えていたのか。引退から8年が経過した今、37歳の中田英寿が当時のチームと自身について振り返ってくれた。

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  インタビュー=岩本義弘 写真=Keibun Miyamoto,Getty Images

1998―W杯で活躍することがヨーロッパに行く近道だった

――今回は中田さんとW杯について話を聞かせてください。まずは1998年のフランスW杯から。日本代表にとっても、中田さんにとっても初めてのW杯でした。当時の中田さんにとって、W杯はどのような位置づけの大会でしたか?

中田英寿 世界一レベルの高い大会という認識でしたね。その認識は今も変わっていません。当時はまだヨーロッパにも行っていなかったので、「W杯で活躍することがヨーロッパに行く近道」という思いもありました。

――ヨーロッパへの移籍は、どれくらいから意識してました?

中田英寿 プロになる時から意識してましたね。だから、ベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)に入団する時にも、そういう条項を盛り込んで契約してもらいましたし。

――ジョホールバルでW杯出場権を得てから本大会までの時期で、中田さんを取り巻く環境は激変しましたよね。あれだけの注目を集める中、プレーに集中するのは難しくなかったですか?

中田英寿 メディアの注目だけじゃなく、海外のクラブからオファーがあるとかないとかも含めて、今まで経験したことのない出来事が多かったですね。でも、やはりサッカー選手にとって重要なのはピッチで結果を出すか出さないかですから、「ただ、プレーだけに集中していればいい」と考えるようにしていました。

――一挙手一投足まで注目されるようになったことに対しては?

中田英寿 悪い面だけを見れば、それは色々とありましたが、一方で良い面もありましたから。後は、それを自分がどうコントロールできるかどうか、だと思います。それにこの時期はある意味、日本代表の価値、日本におけるサッカーの価値が一気に向上した時期だったと思います。

――フランス大会の初戦はアルゼンチン戦でした。見ている側からすると、優勝候補のアルゼンチン相手に、非常に惜しい試合でした。

中田英寿 一対一の局面では予想以上に通用した印象もあります。ただ、一人かわしても穴が見つからないというか、決定機はほとんど作らせてもらえなかったですね。逆に向こうには一発の怖さがあって、結局、その一発でやられてしまいました。

FUSSBALL: WM FRANCE 98 Toulouse, 14.06.98

――髪を金髪にして大会に臨みましたが、あれは世界の舞台で自分自身を売り込もうという考えもあったんですか?

中田英寿 みんなそう言うんですけど、そもそも、僕は若いうちから髪を黒くしていたことがないんですよ。赤とかブルーとか、毎回変えていました。だいたい、サッカー選手がルックスだけ目立っても意味はないですしね。

――フランス大会の日本代表は、結局、3連敗でグループリーグ敗退となりました。1998年のチームを今振り返ると、どんなチームでした?

中田英寿 W杯ではそう簡単には負けない戦いをしましたが、勝ちに行く戦いでもなかったと感じています。チームとしての全体的な戦い方に特徴がありませんでした。対戦相手から見ると、やりづらい相手ではあるけど、残念ながら怖くはないチームだったと思います。良い試合はできても勝ち切ることができない。自分たちの戦いよりも、負けない試合をやろうとしていた感じがします。

――個人的な出来についてはどう評価していますか?

中田英寿 僕は各年代の代表で世界大会に出ていたので、W杯は一番上のレベルではあるけれど、世界大会の雰囲気についてはわかっていたつもりです。つまり、そこで負けない戦いを選択して善戦しても意味がないことも、わかっていました。結局は、勝つか負けるかしかないんです。その前のアトランタ五輪でも、グループリーグで2勝1敗でしたが、結果的には先に進めなかった。それじゃ、意味がないんです。

――「たとえ相手のほうが強くても、引いて守るのはつまらない」という考えは、中田さんのキャリアを通じて全くブレない部分だと感じます。

中田英寿 負けない試合をやる舞台ではないですから。勝てるかどうか、それを試されるのが世界大会です。

2002―サッカーが文化になるその礎を築いた大会

Japan v Russia - 2002 FIFA World Cup Korea Japan Group H

――2002年の日韓大会は、自国開催ということで、明確に結果が求められる大会となりました。今振り返って、あの時のチームは、勝つためのサッカーができていたと感じますか?

中田英寿 ホスト国としては当然、グループリーグ突破という命題がありました。そのためのチーム作りはできていたと思います。ただ、その上を狙うだけの完成度はなかったかもしれません。それだけの経験もなかったですしね。それでも、グループリーグを突破するためのチームとしては、完成度はかなり高かった。そこはトルシエが素晴らしい仕事をしたと思います。それ以降の大会も含めて、日本がW杯で戦っていくための基礎を、トルシエが作り上げたんだと思います。

――戦い方の部分でトルシエ監督と意見交換したりすることはあったんですか?

中田英寿 僕はいままでどのチームでも監督と意見交換をしてきました。それこそ小学校の時からであって、別に代表だからやったわけじゃないです。それが自分のやり方なので。僕はあくまで選手ですが、その立場からの意見は話します。監督には自分の意見があるので、聞き入れてくれる部分とそうじゃない部分はあります。トルシエはパフォーマンスとして怒ることがよくありましたが、人間としてはすごく良い人だし、意見を聞く耳を持っていましたね。

――2002年のW杯は国を挙げた一大スポーツイベントでしたが、選手としてはこの盛り上がりをどう受け止めていたんですか?

中田英寿 盛り上がりが力になる選手もいれば、プレッシャーになる選手もいます。ただ、それだけの環境作り、準備という意味でのサポートには感謝しかありません。日本全国に素晴らしいスタジアムができて、みんながサッカーで一つになった。1998年にはブームで終わるかもしれなかったものが、2002年になって文化としての始まりになっていくんじゃないかと、そんな期待が持てました。そういう礎を築いた大会であって、その意義は大きいと思います。

――日本代表はベスト16進出という結果を残しました。やり方によっては、もっと先まで行けたと思いますか?

中田英寿 グループリーグ突破を決めた時点で、監督はわかりませんが、選手たちの多くは任務を果たしたような感覚があったと思います。僕自身を含めて、もう一歩、もう二歩できたんじゃないかと思いますね。終わってみれば、消化不良に感じる部分も多かったですし。

――全力を尽くす試合が短期間に3つ続いた結果、グループリーグを終えた時点で体力的にかなり厳しかったという話を聞きました。

中田英寿 いや、僕自身に限って言えば、そんなことはありませんでした。たった3試合で満身創痍になっているようじゃ、長いシーズンは戦えませんから。サッカーで何が大事って、まずは壊れない体力なんです。体力が続かない時点で、W杯で上に行く実力がないということですから。僕としては、問題は体力よりも気力にあったと思っています。選手たちもそうだし、国全体の雰囲気もそうだったと思います。当然、グループリーグで負けるのとは違うし、その点ではある程度の成果を出せたのかもしれませんが、隣を見れば韓国はもっと上まで行きました。それを考えると、あそこで満足してしまったのは……志が足りなかったんじゃないかと。そう思います。

――とはいえ、チュニジア戦で2点目のゴールを決めた時は、さすがの中田さんも相当うれしそうに見えました。それは見ているこちら側がそういう気持ちだったからでしょうか?

中田英寿 そうでしょうね(笑)。ゴールがうれしいのは当たり前ですよ。それはW杯でもJリーグでも、練習試合でも同じです。ただ、それが勝利を決定づける得点であれば、当然、うれしさは増します。試合の状況があり、そのゴールの持つ意味があるわけですから。リーグ戦の開幕戦でのゴール、W杯予選でのゴール、W杯決勝でのゴール。状況が違えば、当然それぞれの意味合いも違います。でも、それは大会の大きさとは関係ないですね。

――ちなみに、W杯への憧れというのは持っていたんでしょうか?

中田英寿 正直なところ、あまりなかったですね。僕はセリエAに行くことが決まった時にも、どんなクラブがあるのかほとんど知らなかったぐらいですから。セリエAでプレーしていた選手にしても、「そう言えば聞いたことがある」ぐらいで、当時は本当に「観るサッカー」には興味がなかったですから。そんな人間がW杯に強い憧れは持ちませんよね。

――最初に見たW杯はどの大会ですか?

中田英寿 1994年のアメリカ大会です。

――別に選手の名前を覚えることもなく、プレーを見ている感じなんですか?

中田英寿 試合の放送が夜中だったので、半分寝ながら見ていましたね。夏休みじゃなかったので、普通に学校に通って、練習もしていましたから。「どうしてもこれを見なきゃ!」という感じでもなかったです。ただ、もちろん、プレーがすごかったのは、感覚として残ってはいますけれど。

2006―サッカーを楽しむ僕なりのやり方

Group F Japan v Brazil - World Cup 2006

――中田さんにとって最後の大会となった2006年のドイツ大会、この時は前の2大会と比べて勝てる可能性は感じていたんですか?

中田英寿 もちろんです。2002年だってひょっとしたらトルコに勝てたかもしれないですが、あの時と比べても日本のレベルが上がっているという実感はありました。自分も含めて海外でプレーする選手も増えていたし、そういう意味でチャンスは大いにあると思っていました。

――ところが、結果的にはグループリーグ敗退となりました。この結果をどう受け止めたんでしょうか?

中田英寿 開幕前の合宿の時点ですでに感じていたことですが、選手の考え方が勝つチームのそれではなかったですね。初戦のオーストラリア戦にしても、勝てるチームは締めどころを知っているものだけど、2006年の日本代表はそういうチームじゃなかった。

――「勝てるチーム」とはどんなチームなのでしょうか?

中田英寿 W杯で優勝するチームと言っても、別に実力が飛び抜けてすごいわけじゃないんです。点を取るべきところで取るし、取られちゃいけないところで取られない。そうやって、何だかんだで勝ち進んでいくチームが、優勝するチームなんですよね。で、結果的には、優勝するのは、いつもほとんど同じ顔ぶれになりますよね。結局、それが歴史であり経験なんだと思います。日本代表は着実に実力を伸ばして、それなりの可能性はあったんですが、本当の意味での勝負どころでの振る舞い方がまだわかっていなかったんでしょうね。

――開幕直前の合宿となると、時間もなくてできることは限られると思いますが、そこでできたことは何でしょうか?

中田英寿 どうでしょうね……。どうにかしてチームを盛り上げたいと思ったんですが、最後の部分では理解してもらえないところもありました。最終的には、自分が集中してやるしかない、という考えになってしまいましたね。チームとして全員が同じ方向を向いていないと、やはり勝つのは相当難しいです。

――そういう状態での大会が現役最後になってしまったことに、後悔のようなものはないんですか?

中田英寿 ないです。サッカーは一人でやるスポーツではないので、僕が後悔しても意味はありませんから。個人的に、「こうプレーすれば良かった」と振り返ることはあっても、チームとしてこうすれば良かったとは考えないですね。

――引退を決めた理由は、当時はケガと報道されていましたが。

中田英寿 いや、ケガは全く関係なくて、ただ単に、サッカーを楽しんでやれていなかったから、というのが理由です。

――「楽しくないから引退する」というのは、ちょっと理解されづらい理由のように思えます。

中田英寿 サッカーを単なるスポーツと考えたり、ビジネスと考えている人には理解できないかもしれません。僕はサッカーが本当に好きなんです。僕にとってサッカーは人生であり、家族のようなものでもあります。楽しくてやっていたはずのサッカーを楽しめなくなってしまった。その時、それでお金を稼いでいるということを、自分の人生に対する裏切りだと感じたんです。サッカーに人生を懸けてきましたが、それはサッカーが好きだったからで、お金のためにやっていたわけじゃない。そのバランスが崩れてしまった。楽しくないことを、お金のために続けるのは、僕には考えられなかったんです。

――つまり、プロとしてお金をもらってサッカー選手を続けることはもう無理だと?

中田英寿 もちろん、簡単な話ではないので、長い時間をかけて考えに考えました。その上での結論です。最終的には、自分に嘘をついてまで続けたくなかった。それが引退の理由ですね。それが僕の生き方ですから。

――それがつまり、引退後のサッカーとの付き合い方になっているわけですね。

中田英寿 そうですね。僕はずっとサッカーをやってきて、その部分まで切り離すわけではないので。サッカーは今でも好きですよ。チャリティマッチをやるのも、お金を稼ぐためではなく、別の何かのためにサッカーをやろうとした結果です。今までとは形は違いますが、サッカーを楽しみながら続ける、僕なりのやり方だと思っています。

――現役を引退して、チャリティマッチでプレーする時でも、試合となったら負けるのはすごく嫌そうですよね?

中田英寿 当たり前です(笑)。サッカーで負けていいと思うことなんて、子供の頃から一瞬たりともないですね。好きでサッカーをやるということは、僕にとっては「勝ちたい」ということと同じです。あるいは「上手くなりたい」とか。サッカーが好きであれば、「頑張ったら負けてもいい」とか、「下手なままでいい」とか、そういうのは僕には理解できないですね。

――でも、アマチュアレベルでプレーする人の中には、楽しくサッカーができればいい人もたくさんいると思いますよ。

中田英寿 レベルの違いはあっても、好きなら上手くなりたいものだと思うんですけどね。下手でもいい、負けてもいいと思っている時点で、それはそんなには好きじゃないんだと僕は思ってしまいます(笑)。

――もうすぐブラジルW杯が開幕します。そう言えば、ブラジル人はみんな勝ちにこだわりますが、あれはそれだけサッカーが好きだからなんでしょうね。

中田英寿 そう思います。プロとかアマチュアとかの問題じゃないですよね。本当に好きか、そうじゃないかの話で。本当にサッカーが好きなら、絶対に勝ちたいはずですよ。だから、僕はサッカーが好きですから、これからもずっと勝ちにこだわり続けてやっていきます。

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