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U-23日本代表の“ダイナモ”山口螢「ロンドン五輪は自分をアピールするチャンス」

2012.06.14
Jリーグサッカーキング 2012.6月号掲載]

父の背中を追うようにサッカーを始め、U-15時代からはセレッソ大阪一筋でプレーし、今シーズンはレギュラーとして活躍する山口螢。ロンドン・オリンピックのメンバー候補35名に登録され、本大会での躍進が期待されるU-23日本代表の中盤を支える《屋台骨》は、これまでいかなる道を歩んできたのだろうか。若きダイナモの成長の軌跡と、未来への思いに迫る。
 

インタビュー=浅野祐介 Interview by Yusuke ASANO
写真=芦田博人(Studio 713)、白井誠二、兼子愼一郎
Photo by Hiroto ASHIDA, Seiji SHIRAI, Shinichiro KANEKO


[写真]=芦田博人

攻守の切り替えを一番大事にしている
 
まずはサッカーを始めたきっかけを教えてください。
 
山口 父がサッカーをやっていて、兄と一緒に見に行っていたんです。それで「僕もやろうかな」と思ったことがきっかけですね。兄のほうが先に始めて、僕は小学3年頃から始めました。
 
当時のポジションは?
 
山口 ボランチでもプレーしましたが、小学生の頃はトップ下が多かったです。
 
ちなみに、お父様のポジションは?
 
山口 様々なポジションでプレーしていましたが、中盤が多かったですね。
 
山口選手と近いポジションだったんですね。お父様から教わったことは?
 
山口 教わったというか、小学生時代のチームの監督が父だったんです。やりづらくはなかったですが、試合後の車中は結構怖かったですね(笑)。
 
幼少時代はどんな少年でしたか?
 
山口 負けん気は強かったと思います。あと、チームにブラジル人の子がいて、すごく仲が良かったんです。その子は本当にうまくて、一対一の練習をよく一緒にやっていました。ライバルというか、お互いを高め合うような感じでしたね。
 
子供の頃に憧れていた選手は?
 
山口 子供の頃はプレーばかりで試合はあまり見てなくて、記憶に残っているのは日韓ワールドカップくらいなんです。
 
小学生時代のプレースタイルは?
 
山口 どちらかと言うとテクニシャン系でしたね。小学生時代の練習は、技術を磨くトレーニングが多かったので。
 
個人技の練習が多かったんですか?
 
山口 個人技というより、ボールタッチですね。週に一回は体育館などでそういった練習をしていました。
 
中学進学後はセレッソ大阪U-15へ加入しましたが、Jクラブのアカデミーを選んだ理由は?
 
山口 小学生の時に招待試合に出場して京都サンガと対戦したのですが、その試合で僕たちが勝ったんです。そうしたら京都から「(入団テストを)受けに来てくれないか?」と誘われて、結局C大阪、ガンバ大阪、京都の3クラブのテストを受けたんですが、テストを受けたその日のうちにC大阪から「合格です」と電話をもらって、すぐに決めました。
 
やはり高いレベルでプレーしたいという思いがあったのですか?
 
山口 そうですね。当時からプロを目指していましたし、プロになる近道ではないですが、レベルの高い環境でプレーしたほうが良いかなとは思っていました。
 
Jクラブのアカデミーは競争も激しいと思いますが、そういった環境の中で学んだことや得たことは何でしょうか?
 
山口 加入したばかりの頃は「俺が一番下手やな」と思っていたんですが、その中でも頑張って中学1年の終わり頃には日本サッカー協会のエリートプログラムに選ばれたんです。そこで成長を実感できましたし、競争を通じて伸びたことも多かったと思います。
 
アカデミー時代に意識して取り組んでいたトレーニングはありますか?
 
山口 小学生時代に教わったことは意識して練習しました。それがベースだし、積み重ねが大事だと思いましたから。
 
ユース時代はフィジカルは強くなかったと伺いました。
 
山口 そうですね。フィジカルはプロになってから強くなりました。プロ1年目はサイドバックでプレーする時期も多かったですし、サテライトリーグや居残り練習などで小菊(昭雄/コーチ)さんから指導を受ける中で切り替えの大切さも学びました。フィジカルや運動量が向上したのも、その頃からだと思います。
 
ボランチでプレーする上で心掛けていることはありますか?
 
山口 やっぱりバランスは一番大事だと思っています。自分が前線に上がる時も必ず周りを見て、中盤にスペースが空いていれば攻撃参加をやめてそこを埋めたり、サイドバックがオーバーラップする時は裏をケアしたり。その辺りは全体のバランスを意識してプレーしています。現代サッカーはどんどん展開が早くなり判断も含めて「速さ」が求められます。
 
試合中の判断スピードやプレースピードについてはどのように考えていますか?
 
山口 最も重要だと思うのは切り替えのスピードですね。ボールを奪われてからのスピードはピンチを防ぎますし、逆に奪ってからのスピードはチャンスにつながる。だから、「攻」から「守」、「守」から「攻」の切り替えを一番大事にしています。また、ポジション的にも中央なので、判断が遅れてボールを奪われればピンチを招きます。だから判断スピードは上げていかなければいけません。あと自分のウリは相手に寄せる速さだと思っているので、そういった面でもスピードは重要な要素だと感じています。


ロンドン五輪のアジア最終予選ではボランチとして中盤の守備を引き締めた [写真]=兼子愼一郎
C大阪でも豊富な運動量と抜群のボール奪取能力を武器に活躍している [写真]=白井誠二

 
試合に出続けて、五輪のメンバーに選ばれたい
 
09年にトップ昇格しましたが、プロになった時の率直な気持ちは?
 
山口 すごくうれしかったです。でも、いざプロの世界に入ってみると様々な面で差を感じました。プロになってからはブラジル留学にも行かせてもらいましたが、そこで世界との差も痛感しました。
 
具体的に差を感じた部分は?
 
山口 ブラジル人はみんな本当にうまいんですよ。僕が留学したパルメイラスはグラウンドの状態が悪くて結構ボコボコだったんですけど、その中でもしっかりプレーしていて。そこは「すごいな」と思いました。練習もすごく激しいですし、日本ではなかなか感じられないことを多く経験できたと思います。
 
プロ初出場はブラジル留学から帰国後の09年第45節愛媛FC戦でした。
 
山口 すごく緊張しましたね。それまで一度もベンチに入ったことがなかったんですが、いきなり先発だったので……。自分の持ち味を全く出せませんでした。プロ1年目、2年目はわずかな出場機会しか得られませんでした。
 
そういった状況の中で心掛けていたことは?
 
山口 コーチが常に声を掛けてくれたのでモチベーションは保つことができていましたし、年代別の日本代表に呼ばれてからは「(代表に)選ばれ続けたい」という気持ちもありました。だから、まずは練習から頑張ろうと思っていました。
 
一つの転機として、中国・広州で行われた2010年アジア競技大会での優勝があるかと思います。やはり結果を残したことは自信になりましたか?
 
山口 アジア競技大会に選ばれた選手は大学生が中心でしたし、本当の意味でのU-21代表とは捉えられていない部分もあったので、みんな「見返してやる!」という思いがありました。そういう意味でも優勝はすごく自信になりましたね。
 
アジアでの戦いはいかがでしたか?
 
山口 球際の激しさなどは、やはり全然違うなと感じました。アジア競技大会を経験してからは球際でいかに競り勝つか強く意識するようになったと思います。
 
2010シーズンは17試合に出場し第24節浦和レッズ戦ではプロ初ゴールも記録しました。
 
山口 途中出場が多かったですが、ボランチで出場機会を与えてもらったことはありがたかったですね。平行してU-22代表にも招集されていましたし、充実したシーズンを過ごせたと思います。
 
ただ、チームはリーグ戦とAFCチャンピオンズリーグを戦う過酷な日程の中、思うような結果を残せませんでした。
 
山口 それまでチームとしてACLに出場したことがなく、チーム内に過密日程やアジアの長距離移動を経験している人はほとんどいませんでした。そういう意味でも、チーム全体として《経験》が足りなかったと思います。ただ、今後に向けては大きな一年だったと感じます。
 
今シーズンはレヴィー・クルピ前監督が去り、セルジオ・ソアレス監督が就任しました。新監督の印象はいかがですか?
 
山口 練習がキツイです(笑)。あと、熱い人ですね。練習の時もそうですが、試合前のロッカーでも怒鳴ったりすることが結構ありますから。
 
チームのサッカーに変化はありますか?
 
山口 攻撃面はそれほど変わりませんが、昨年は失点が多かったので、バランスを意識する部分が加わったと思いますね。あと、セットプレーのコンビネーションも増えました。
 
昨年からの巻き返しを図る意味で重要なことは何だと考えていますか?
 
山口 全員がハードワークすることだと思います。あと、攻守の切り替えや前線からの守備も大事な要素なので、それをチームとして徹底できれば優勝争いに加わることも可能だと思っています。
 
チームとして、また個人としての今年の目標を教えてください。
 
山口 チームとしては今までタイトルを獲得したことがないのでJリーグ、ヤマザキナビスコカップ、天皇杯のどれかでタイトルをつかみたいです。個人としては試合に出続けて、ロンドン・オリンピック本大会のメンバーに選ばれることが目標です。あと、周りの方から、自陣にしっかり戻って体を張って守るシーンを見て「感動した」と言ってもらうことがあるので、自分を犠牲にしてでもチームのために貢献できるようなプレーも見せられればと思います。
 
ロンドン五輪は、自分をアピールするいい機会
 
ここからは世界をテーマに話を伺います。まず山口選手が世界と戦うという意識を持ったのはいつ頃からですか?
 
山口 アジア競技大会の頃からですね。決勝で対戦したUAEは本当に強かったですし、「アジアでここまで強いなら、世界は……」と感じました。その時から「五輪に出て世界の選手と対戦したい」という気持ちも強くなったんです。
 
今後は五輪本大会メンバー入りを懸けた戦いがスタートします。
 
山口 自分の特長は、関塚(隆)監督も分かってくれていると思うので、それを継続してピッチで表現したいですね。それができればメンバー入りという結果も自然とついてくると思います。
 
チームには同ポジションの扇原貴宏選手がいますが、彼の存在はやはり良い刺激になりますか?
 
山口 そうですね。僕がコンビを組んできた中では一番プレーしやすいですし、僕の良さを引き出してくれる選手です。だから、本大会でも2人で組んでピッチに立てたら良いなと思います。
 
山口選手にとってロンドン五輪はどんな大会ですか?
 
山口 自分が今どのレベルにいるのか、通用するところ、しないところを感じられる舞台だと思います。それに活躍すれば世界からの評価も得ることができる。活躍次第では海外に挑戦できる可能性が生まれるかもしれませんし、自分をアピールするいい機会だと思っています。

ロンドン五輪本大会で結果を残す上で、必要なことは何だと考えていますか?
 
山口 アジア競技大会のようなチームのまとまりは大事だと思います。あの時は本当に負ける気がしなかった。そういう気持ちがあればロンドンでも勝ち進んで行けるかなと思います

ロンドン五輪の先には14年ブラジルW杯があります。
 
山口 正直、今は五輪で精いっぱいですけど、ブラジルにいるレヴィー(クルピ前監督)に「14年にブラジルで会おう」と言われたので、「行きたい」という気持ちはもちろん持っいます。
 
先程、海外挑戦の話も出ましたが、海外移籍についてはどう考えていますか?
 
山口 C大阪の元チームメートを始め、身近な選手がチャレンジしているので、彼らの活躍を見ると「自分も行きたい」という気持ちにはなります。でも、まずはJリーグで結果を残して、C大阪でも《何か》を残してから挑戦したいです。
 
それでは最後に、中高生のプレーヤーへ向けてメッセージをお願いします。
 
山口 中高生の時は、練習自体は嫌ではなかったんですが、「サッカーは楽しいものだ」と思いながらもトレーニングを楽しみ切れていない時期がありました。プロになってからのほうが早く練習場に来たり、遅くまで残って練習する機会が増えたのですが、そういうことを若い頃からやっていると、もっともっとうまくなれると思います。だから、夢に一歩でも近付くためにも、毎日の練習や試合を楽しんで頑張ってほしいです。
 
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