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楢﨑正剛と川島永嗣「2人のGKの数奇な巡り合わせ」

2013.01.07

[サムライサッカーキング1月号掲載]

近年の日本を代表するGKを思い浮かべてみると、川口能活、楢﨑正剛、川島永嗣の名前が挙がるだろう。川口と楢﨑。楢﨑と川島。川口と川島。それぞれに、それぞれのストーリーがあるが、2010年南アフリカ・ワールドカップを機に日本代表の新しい正GKの座を得た川島と、奇しくも奪われる格好となった楢﨑には、彼らにしか分かり得ない数奇な巡り合わせがあった。

nara_kawa_adacText by Yuki NISHIKAWA Photo by Masashi ADACHI

タイプの違う2人のGK

 GKとは、非常に特殊なポジションである。理由は、至極シンプル。先発として選ばれる選手が、たった一人しかいないからだ。

 何をいまさら、ということではあるだろう。ただ、我々見ている側の人間はこうした事実を頭では理解できているが、当事者である選手たちはまさにこの“ONLY ONE”の座を巡り、様々な感情を抱きながら日々精進し、競い合っている。間違いなく、彼らの肌感覚でしか分かり得ない何かが、そこにはある。

 楢﨑正剛(名古屋グランパス)はプロデビュー以来、常に1つ年上のライバルである川口能活(ジュビロ磐田)と凌ぎを削ってきた。周囲からは、絶えず比較の視線を送られ、その視線をお互い意識しないわけにもいかない間柄でもあった。それは、日本代表という国内トップレベルの場で、一つの椅子を奪い合うという究極の環境だったからこそ、起こり得たことでもあった。

 今や、日本を代表する守護神となった川島永嗣。彼は2人の偉大な先輩GKを見ることで、いつか自分が越えなければならない壁の大きさを痛感していたに違いない。だからこそあえて茨の道を選び、そこで先輩に、そして自分に打ち克つことを求めていった。

 2004年、川島は大宮アルディージャの正GKの座を捨て、移籍を選択する。行き先はグランパス。キャリアの絶頂期に差し掛かろうとしていた楢﨑が、守護神として君臨するクラブであった。

 川島は10代の頃からユース代表でも活躍し、将来の日本代表守護神として期待を集めていた。若さにパーソナリティーも相まった血気盛んなパフォーマンスと、ビッグセーブを連発するプレーは、既にサッカー界でも広く知れわたっていた。それだけに、02年の日韓ワールドカップで代表の正GKを務めた楢﨑と、どのような争いを演じていくのかに注目が集まった。

 先輩に追いつけ追い越せと、噛みついていく川島。それを大人の対応でいなしていく楢﨑。誰もが両者の関係をそんなふうにイメージしていたのかもしれない。だが、実情は違った。

「自分との接し方は、すごく大人だった。人間的にもしっかりしているし、その辺の若い選手が来たという感じでは全くなかった」

 川島との数年前の日々について、楢﨑は古い記憶を辿るのではなく、まるで昨日のことのように語っていった。それほど楢﨑にとっても忘れられない、稀有な経験だった。

「代表に行けばGK同士、高いレベルで競い合うことはあるけど、それはクラブでは普通はあまりないこと。ただ、永嗣が来てからは、そうではなくなった」。2人にとって、当時は紛れもなく刺激的な日々だった。

 毎日の練習の中でも、これまでとは如実に変化が生じていた。楢﨑ほどの実力を持つ選手ならば、たとえ第2、第3に控えるGKが好調な場合でも、そう簡単にはパフォーマンスで上回られることはない。ましてや楢﨑は、トレーニングから常に100パーセントのプレーを心掛けることが身上である。なおさら、他の選手がつけ入る隙はなかった。ただし、楢﨑は川島に対しては、こう感じることがあったという。

「練習で相手チームとして対峙していて、『今の(川島のセーブ)はいいプレーだったな』とか、『今日は永嗣のほうがいいプレーをしていた。自分は負けていた』と感じることもたくさんあった。自分が正GKである以上、普段の練習でも他の選手より自分が上回らないといけないもの。でも、永嗣がいた頃は、アイツに対してはそう(時には川島が上の時もあったと)思っていたこともあった。これは他のGKには正直感じたことがないものだった」

 楢﨑は、何より川島の最も優れている才能を見いだしていた。それは、野心だ。いや、それ以上にもっと純粋な“向上心”と言い換えたほうがいいかもしれない。

 タイプの全く違う2人のGK。楢﨑は冷静沈着にプレーし、味方に対してもプレーとオーラで物語っていくスタイルである。片や川島は、感情を表に出してプレーし、味方にも大きなアクションで指示を送っていく。「永嗣は激情型だったね(笑)」と、楢﨑は今も変わらぬ後輩のプレーを笑顔で振り返った。当然そのスタイルを否定しているのではない。むしろ、更にそこから自分に足りないものを肉付けしていった川島の姿勢を、非常に評価している。

「永嗣はかつての自分のプレーを大雑把とか、雑だったと振り返っているみたいだけど、アイツのパワフルなプレーは、それはそれですごかった。それにセービングや足元の技術も確かなものがあった。アイツは僕のプレーを正確だったと言ってくれたようだけど、誰もが自分に足りないと思った部分を伸ばしていこうとするもので、アイツにとってはそこ(正確性)だったのかもしれない。でも、例えば僕のプレーを見て何かに気付いたとか、それができるようになるためにはこれをやらなければならないとか、自分で把握してそういう作業ができる選手というのは有能な証拠。やっぱり永嗣は、人一倍『うまくなりたい』という“向上心”があった」

 強い精神面は初めから備わっていた。そこに自分は、楢﨑のようなプレーのディテールにこだわる、GKとしての職人的な意識を加えなければならない。そう痛感した川島にとって楢﨑は、先輩でありライバルであると同時に、自分にはない部分を持つ、まさにお手本でもあった。だからこそ、川島は楢﨑へのリスペクトを忘れなかった。

 グランパスでの3年間で、彼はリーグ戦に17試合しか出場することはできなかった。そのほとんどは、楢﨑が負傷などの理由で試合を欠場した時に出番をもらったもの。川島は出場した試合では好パフォーマンスを披露することも多く、在籍最後の06年には一時ポジション争いに発展しかけたこともあったが、結局、最後まで楢﨑の牙城を崩すことはできなかった。

 間違いなく、悔しかっただろう。楢﨑を追い越すつもりで飛び込んだ環境。日々のトレーニングから自分をアピールし続けたが、思い描いた結果を手にすることはできなかった。それでも、川島は楢﨑に真っ直ぐな思いも持っていた。楢﨑が回想する。

「グランパスを去る時に、最後に一緒にご飯を食べに行って、そこで2人で話をした。その時に永嗣が『ナラさん、本当にお世話になりました』と、ちゃんと言ってきてくれたことは今も覚えている」

 1つのポジションを巡る、2人の人間の交錯。時には争い、時には相手に感心し、また時には疎んだこともあったかもしれない。そんなプラスもマイナスも、清濁飲み込んだ感情を抱きながら競い合った間柄だったからこそ、両者にはお互いにしか分かり得ないつながりがあったのだろう。それはGKというポジションの選手特有の、心の機微でもあった。

川島に芽生えた変化

 10年6月。南アフリカ・ワールドカップ初戦のカメルーン戦のピッチには、川島の姿があった。岡田武史監督率いる日本代表の守護神は、大会直前まで楢﨑だった。しかし、一向に上向かないチーム状況を鑑みて、指揮官はいくつかのポジションの選手を先発から入れ替える手段に出る。そこに、GKも含まれていた。

 突然の抜擢。1つの目標であった代表の正GKの座を、遂に楢﨑と川口という先人から奪った瞬間でもあった。これまで、川島はポジションを奪うことにとにかく意識を注いできた。グランパス時代から含めて、常に変わらぬ強気なスタンスを貫いていた。それでも、いざポジションをつかんだ時、2人の先輩が取った行動を見て、川島にはまた新たな考えが芽生えたという。

 楢﨑と川口は自らの顕示欲を心の中にしまい込み、ひたすらチームのために働き、そして後輩の自分にアドバイスを送ってくれた。その姿勢が、ここまでひたすらポジション争いにこだわり続けてきた川島の心に響いていったのだった。

 一方、楢﨑は当時の川島の心情をこう読んでいる。

「それはアイツが僕や能活のことを気遣って言ってくれているのかもしれない。ただ、何より自分にも自信がついてきて、自分も先輩である2人と同じ立場に並び立ったと感じたからこそ、落ち着いた視点で物事を見ることもできたのだと思う。それは僕らも通ってきた道。かつて自分がW杯で正GKを務めた時も、永嗣と同じ気持ちを学んだ」

 更に、こう続けた。

「1つのポジションを争うGKとして、こうした競争の経験をしてきた人はもちろん周りにもたくさんいる。コーチになった人の話も含めて、そうした人たちの経験を聞いて、また自分も実体験をしていくと、だんだん自分だけでなく周りのことも見えてくるようになる。僕もそういう話を若い頃に聞いた時は、イマイチ分からない感覚だったこともあった。自分が試合に出ることだけに集中していたので。でも、経験を重ねることによって分かることがどんどん出てきた。こういう気持ちの変化は、1つのポジションしかない立場だからこそのものでもある。ただGKとは、いつもそういうもの。この感覚を、一つずつ世代ごとに受け継いでいくものなんだと思う」

 川島が南アフリカの地で抱いた感情。それを、楢﨑は同じGKの先輩として、温かく受け入れていた。当然、楢﨑にも相当な悔しさがあった。それでも、「GKとは、いつもそういうもの」と、現状を受け入れ、ある意味達観したような言葉を述べ、実際にそうした行動も取っていった。再び交錯した、2人の想い――。何度も言うが、「やっぱりGKは特殊」(楢﨑)なポジションだということが、彼らの肌感覚の経験によって改めて伝わってくるだろう。

追われる立場へ

 今、川島は新たな道を歩み始めている。追う立場から、追われる立場へ。そんな彼に対して、楢﨑はこんなメッセージを送った。

「今は代表の一番手にいて、海外でプレーしている。永嗣は日本のGKで、一番上の立場になった。今は今の立場で、これまでとは見えている景色もまた違うものだと思う。これまでは感じてこなかった下からのプレッシャーも、今は感じているだろうし。自分たちの時代以上に、大変な立場でもある。日本サッカー、そして日本代表に求められるハードルは年々高くなっているから。でも頭で分かるだけでなく、肌でもいろいろなことを感じて経験している永嗣なら、GKの本質も理解できていると思う」

 最後に、こんな質問を楢﨑にぶつけた。「楢﨑選手は、川島選手にとって自分がどんな存在だと思われているのか考えたことはありますか?」と。

 少し照れながら、楢﨑はこう答えた。

「うーん……よく分かんない(笑)。そんなこと面と向かって話したこともないんで。でも、年齢も選手としての経験も自分が先だったし、代表の経歴もそうだった。だからポジションを争った仲だけど、どこかで自分のことを一目置いて見てくれていたのかなとは感じるね」

 特殊なポジションであるGK。クラブチームで、日本代表で、彼らは先輩と後輩という枠を超え、たった1つの椅子を争い、凌ぎを削った。片方が喜びを得れば、もう片方は悔しさを噛み締めるという関係。数奇な巡り合わせの中で、常に意識し合い、高め合ってきたからこそ、見えるものがあった。

 楢﨑正剛と川島永嗣――。日本を代表する守護神の間には、彼らにしか分かり得ないGKの本質が存在している。

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