意外なところで話がはずんだ。「サッカーを文化に」という言葉が嫌いなんですよ、と何気なく伝えたときだ。
僕がこの言葉を嫌いなのは、「具体的に何をどうしたいのか、さっぱりわからない」という理由だが(だから便利に使われるのだろう)、酒井浩之さんはこう答えてくれた。「文化だからうまくいくのであれば、クラブは何もしなくていいんですよね」
ヨーロッパでは確かに、生活の中にサッカーがある。子どもたちはボールを蹴って育ち、人々は地元クラブの試合に一喜一憂する。日々の話題の中にサッカーがある。それなら、レアル・マドリードのようなクラブはただスタジアムの門を開けて、ファンが集まってくるのをのんびり待っていればいい……かというと、実際は「ものすごい緊張感の中でハードワークしている」と酒井さんは言う。レアル・マドリードの内側はとてつもなくシビアで、かつ情熱的な世界だったと。
スペイン留学までの経緯を聞いた前編に続いて、後編は酒井さんが世界最高のサッカークラブ、レアル・マドリードで学び、体験したことを話してもらった。ここでは明かせない裏話はすべてカットしているが、もし詳細が聞きたい方はぜひ、FROMONE SPORTS ACADEMYのセミナーで続きを聞いてほしい。
――スポーツメーカーや広告代理店を転々するキャリアを経て、2015年にレアル・マドリードMBAコースに合格されました。当時は電通東日本で働きながら、MBAを受験したわけですよね? どんなふうに勉強したんですか。
酒井 まず、朝は会社に行くんですけど、オフィスのホワイトボードにクライアントの名前をバーっと書いていって、最後に「NR」と書く(笑)。そのまま新橋のハンバーガーショップに行って、コーヒーだけ頼んでずっと勉強してました。留学にお金が必要なので、とにかく節約して。持っていたゴルフセットも全部売ったし、飲み会の誘いも全部お断りしてましたね。
――すごい方なのか、ダメな社員なのか判断が難しいところです(笑)。ただ、どうしてそこまで頑張れたんですかね?
酒井 だってレアル・マドリードじゃないですか! 自分の世界が変わるかもしれない。それだけですよね。実は昔から、ずっと海外に興味があったんですけど、行くチャンスがなかったんです。だから「これだ!」と思ったし、ここで行かなければ人生が変わらないとも思いました。
――話が前後しますが、そもそもレアル・マドリードMBAとはどういうものなんですか? どうしてサッカークラブがMBAコースを作ったんですか?
酒井 それはレアル・マドリードの経営と関係があります。レアル・マドリードは世界的なビッグクラブですけど、かつては深刻な財政難に苦しんだ時代があった。それを立て直したのが、2000年に就任したフロレンティーノ・ペレス会長です。ルイス・フィーゴやジネディーヌ・ジダンを獲得して、“銀河系軍団”と呼ばれるようになった時期ですね。彼はそれから2006年まで会長を務め、クラブを改革して経営危機から救ったわけですが、当時から批判も多かったんですよね。
――多かったですね。一番典型的なのは、「サッカーを知らない人間が好き勝手にやっている」という。
酒井 そう。だけど実際は逆で、「サッカーを知ってる人間」に経営を任せていたから大赤字になっていたわけです。どれだけ競技を知っていても経営はできない。でも、競技面を無視した経営ではうまくいかない。そこにスポーツマネジメント独特の難しさがあります。そこでレアル・マドリードはこの独特な分野を任せられる人材を育てるために、経営再建がひと段落した2006年、地元の大学と提携して学校を作ったんですね。僕は2016年度で入学しているので、ちょうど10期生です。
――MBAコースではどんなことを学ぶんですか?
酒井 いわゆるMBAのカリキュラムと変わりません。ただ、ビジネスを分析するモデルが一般企業ではなく、スポーツクラブなんですよ。いろいろなクラブの成功例、失敗例を見ていく。レアル・マドリードだけじゃなく、ユヴェントス、マンチェスター・ユナイテッドといったクラブの経営状況の数字を全部見て、どの数字がどうなっているのかを分析して、議論するんです。サッカーだけじゃなく、アメリカのNBAやNFLの経営モデルとか、世界各国のマーケティングの仕組みも学びました。社会人を経験してから行ったので、日本だったらどうなっているか、というリアルな視点があったのは良かったですね。ものすごい財産になりました。
――その後、インターンシップを経て、その年のMBAコースから唯一、レアル・マドリードの正式なスタッフになりました。レアル・マドリードの内側を実際に見ることができたわけですが、何を感じました?
酒井 驚いたのは、レアルにお金がないことです。内側に入ってみると、みんなシビアな状況で、必死で働いている。その雰囲気は「世界一の金持ちクラブ」というイメージからはほど遠いものでしたね。確かにクラブのバランスシートを見ると、キャッシュフローは厳しいんですよ。選手の年俸が高くて、人件費の構造が普通の企業と違っている。売上も大きいけど、出ていくお金も大きい。フリーキャッシュフローはごくわずかです。つまりお金がないんですよね。
――キャッシュフローだけを見るとお金はない。ただし、資産がものすごくありますよね。
酒井 そうです。だから、持っている資産をうまく使ってビジネス化するしかないんです。もし、試合に勝たなければ儲からないとしたら、サッカークラブはものすごくリスクが高いビジネスですよね。莫大な移籍金を払って選手を獲得しても、ケガをするかもしれないし、チームに適応できない可能性もある。だから、経営を安定させるためには、試合の勝敗に左右されない基盤を作る必要がある。それをいち早くやり始めたのがレアル・マドリードだと思います。
――その辺は、僕も自分の雑誌で「レアル・マドリード特集」を作るときに調べたことがあるんです。ペレス会長は経営を再建するにときに、従来のサッカークラブではなくエンターテインメントビジネスの手法を使ったと。スター選手を使って、マーケティングに注力して商業面を拡大した。ディズニーやハリウッドと同じような考え方ですよね。
酒井 そのとおりです。今でこそ、同じような考え方をするクラブも増えてきていますが、ペレス会長は18年前にフィーゴを獲得した時点で、そういったプランを持っていた。それから、これは僕が監修した『THE REAL MADRID WAY レアル・マドリードの流儀』(2018年・東邦出版)にも書いてありますが、ペレス会長は最初にミッションを掲げて、クラブの理念と哲学を示しました。彼らにはそのミッションにもとづくアイデンティティがあり、クラブスタッフも全員がそれに向かって動いているんです。あの情熱と緊張感はちょっとすごいものがありました。
――そのミッションというのは、たとえば日本のクラブが「今年こそJ1のタイトルを!」と掲げているようなものではない?
酒井 全く違います。Jリーグで勝つとか、ACLに出るとか、それはオン・ザ・ピッチの目標であって、どちらかと言えば選手が持つべき考え方ですよね。でもファンは選手ではないし、常に勝利だけを求めている存在でもない。スポーツクラブには、もっと多様なアイデンティティがあるはずなんです。
――なるほど。オン・ザ・ピッチの目標しかないというのは、もっと言えばアマチュアスポーツの考え方かもしれませんね。
酒井 勝敗に左右される世界ですよね。ミッションとはそういうものではない。よく「海外ではサッカーが文化だから」って言われますけど、文化だったら何もしなくていいのか、ということです。文化だからファンが集まって、スポンサーが契約してくれるなら、クラブは何もしなくていい(笑)。でも実際は、レアル・マドリードのスタッフはものすごく働いているし、サッカーを使ってどう稼ぐかを徹底的に考えていますよ。なぜなら、スペインにはお金がないから。若年層の失業率が約40パーセントの社会ですからね。
――その点で言えば、日本はまだ伸びしろがあるとも言えますね。
酒井 日本はいい国なんですよ(笑)。いろいろ言われますけど、GDPはまだ世界3位ですから。マドリードで暮らしてみて、それを本当に実感しました。自分は日本人で、日本語が話せる。日本に可能性があることもよくわかった。ではスペインと日本の間に立って、何かできないか。そう思って帰国を決意したんです。今は世界中のクラブにレアル・マドリードMBAの先輩や同期がいるので、そういった関係性もうまく強みにできればと思っています。
――2017年に帰国されて、現在はスポーツマネジメントのコンサルタントとして独立されました。やはり、スペインと日本をつなげるような仕事を核にしていくつもりですか?
酒井 そうですね。日本とスペインをつなげる……楽天はバルセロナでそれをやりましたけど、自分も同じようなことにチャレンジしたいですね。楽天はあのスポンサー契約に60億円以上を払いましたが、全く無駄な投資ではないんです。彼らの狙いは……詳しくは今度のセミナーで話しますが(笑)。
――では、そこはセミナーで聞きましょう(笑)。最後に、スポーツビジネスの世界で挑戦したい人、若い人が多いと思うんですけど、彼らに向けてメッセージをもらえますか。
酒井 まずは情熱があるかどうか。これはやっぱり大きいですよね。でも、だからと言って「スポーツ業界に入ること」を目的にしてしまうのは、あまりいい考え方ではないと思います。スポーツを取り巻くものはたくさんある。マーケティングも、メディカルの分野もあれば、メディアもある。他にもいろいろありますよね。そう考えると、他の世界とスポーツをつなげることがカギだと思うんです。飲食の経験を積むのでもいいし、コンピューターのプログラミングができるでもいい。まず何かの分野のプロフェッショナルになって、そのスキルをスポーツの世界で活かす。そういう考え方が重要だと思います。
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By 坂本 聡