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前園真聖の足跡を“たられば”で振り返る「キャリアにおける唯一の心残りは……」

2017.04.27

 時間は刻々と進み、後戻りすることはできない。だから、サッカーにも人生にも、「たられば」は存在しない。

 それでも、あえて「たられば」を考えてみると、その人の人生観やサッカー観、意外な一面が見えてくる。

 現在、サッカー解説者やタレントとして幅広く活躍する前園真聖さんは、キャリアの節目で何を、どのように考えていたのか。

「たられば」を加えて選手としての足跡を振り返りながら、その人生観に迫る。

インタビュー・文=細江克弥
写真=山下弘毅

目前で消えたセビージャ移籍は
「キャリアにおける唯一の心残り」

――前園さんと言えば、やはり1996年のアトランタ五輪を記憶している人も多いと思います。日本にとって28年ぶりの五輪本大会出場で、大会前から非常に大きな注目を集めました。

前園真聖 タイミングが良かったのかなと思います。1993年にJリーグが誕生して、プロ選手として初めて挑戦する五輪でもありましたから。ただ、僕たち選手は、それほど大きな注目を感じていなかったんですよ。当時のJリーグには世界中からトップレベルの選手が来ていたし、僕らの世代も、彼らと同じピッチに立ってプレーすることで「自分たちも世界で戦えるかもしれない」という良い意味での勘違いをしていたところもあって。だから、それほどプレッシャーも感じなかったし、注目されているとも思わなかったんです。もっと普通のこととして、世界と戦いに行くというか……。ただ、そういう意味では、自分たちと世界との距離感を測るチャンスではありました。だから、楽しみにしていたところはありましたね。

――実際に肌で感じた「世界との差」は、戦前の予想と比較してどのくらい違ったのでしょう。

前園真聖 程度を表現するのは難しいですけど、例えば、試合前に相手のスカウティング映像を確認しますよね。自分が対峙する選手のイメージをつかんでおくことが目的なんですが、実際にマッチアップしてみると、映像のイメージよりも2倍、3倍はすごかったという感覚です。グループリーグでブラジルに勝つことはできましたけど、内容ではもちろんボロ負け。ナイジェリアもスピードや身体の強さは想像以上だったので、やっぱり、実際にマッチアップしてみないと分からないということを痛感したんです。ブラジルに勝った喜びよりも、そういうことを肌で感じたことの喜びのほうが大きかったですね。

――まさに“世界”を体感した瞬間だったんですね。

前園真聖 もう、ホントにすごかったですよ。Jリーグにもすごい選手がたくさんいましたけど、そこでも全く感じたことのないレベルでした。「これが世界なんだ!」と驚きましたし、日頃からこういうレベルの選手たちと一緒にプレーしなきゃダメだという危機感も抱きました。

――それでも、ブラジル戦の勝利が日本サッカー史に残る大きな出来事となったことで、サッカーにおける「世界」の考え方も変化した気がします。

前園真聖 それによって自分たちを取り巻く環境がガラッと変わったことは、帰国時の成田空港で待ち構えていた報道陣の多さで分かりました(笑)。僕たちはブラジルに勝っただけ。グループリーグを突破することはできなかったけど、とにかく、結果を出すことでこんなに変わるのかということを実感したことを覚えています。

――確か、その年の夏ですよね? 前園さんにスペインのセビージャから獲得オファーが届いたのは。

前園真聖 そうなんです。さっき言ったとおり、僕自身はオリンピックを経験して「日常的にこのレベルで戦わないとダメだ」と思っていたので、正直なところ、海外に行くことしか頭にありませんでした。オファーは当時在籍していた横浜フリューゲルスに届いたのですが、やっぱり、話を聞いた時は興奮しました。当時のゼネラル・マネージャーが三ツ沢球技場に試合を見に来たことも報道されたりして……。僕はスペインに行きたいと思っていたし、行くつもりでいました。

――どうして移籍交渉がまとまらなかったのでしょう。

前園真聖 やっぱり、前例がほとんどなかったことが大きな壁になった気がします。当時、海外移籍を経験したのはカズさん(三浦知良/現横浜FC)くらいで、もちろん代理人もいないし、移籍金のシステムも整っていませんでした。そういう状況の中で移籍交渉をすることが、すごく難しかったんです。チームのスタッフも、きっと、どう対応すればいいのか分からなかったと思いますよ。すごく残念ですけど、いろいろな意味でタイミングが合わなかったんです。

――「もし、あの時セビージャに移籍していたら」と考えることもあったのでは?

前園真聖 いやあ……。どうなっていたんでしょうねえ……。僕の場合、終わったことに対して振り返ることがほとんどないので、考えたこともないし、想像したことすらないんです。ただ、当時のことを思い出すと、「行かなきゃ!」という気持ちは強かった気がします。オリンピックを経験して、「レベルの高いところでプレーしたい」と純粋に思っていましたから。

――力の差を肌で感じて、逆に落ち込んでしまうことはなかったのですか?

前園真聖 不思議なもので、ブラジルやナイジェリアに対しては、うまくいかなくても、ボールを奪われてもワクワクしていたんですよ。そんな経験は初めてだったので、力の差を感じて落ち込むようなことは一切ありませんでした。もし、あの時、セビージャに移籍していたら、どうなっていたんでしょうね(笑)。ずっとベンチに座らされて試合に出られないかもしれないし、ベンチにさえ入れなかったかもしれない。逆に、もしかしたら試合に出られたかもしれない。こればっかりは、分からないなあ……。

――それでも、「行ってみたい!」という気持ちが強かったんですね。

前園真聖 その気持ちだけでした。もし1年で日本に帰らなきゃいけないことになっても、とにかく行って、挑戦してみたかった。サッカー選手としての僕のキャリアにおける唯一の心残りがあるとしたら、そこだけなんです。移籍がきっかけで24歳くらいで引退することになってしまっても、チャレンジしたかった。

ブラジルで叶った海外移籍
夢の続きを、ヨーロッパで……

――当時と比較すれば、海外移籍についてのハードルはかなり下がりました。でも、そこで活躍できるかどうかの難しさは、それほど変わらない気がします。今の前園さんから見て、“当時の自分”は、現地の生活に馴染む柔軟性や言葉の問題をクリアして海外移籍で成功するポテンシャルを秘めていたと思いますか?

前園真聖 う~ん、残念ながら、ないでしょうねえ……(笑)。当時の僕は、サッカー以外の部分、それこそ生活や言葉の問題で心が打ち砕かれてしまいそうな気がするし、ちゃんとした準備もしなかったんじゃないかと思います。きっと、ものすごく苦労してるんじゃないかと思いますよ。でも、そういう部分も含めて、あの時期に海外移籍を経験したかったなと思うんです。

――それでも、1998年にはブラジルに渡り、名門サントス、それからゴイアスでもプレーされました。

前園真聖 1997年に横浜フリューゲルスからヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)に移籍して、その頃の僕は、パフォーマンスとして全く良くなかったんです。そんな時にかつてヴェルディで監督を務めていたエメルソン・レオン監督から声を掛けていただいて……。もう、すぐにチームに相談して、「行かせてください」とお願いしました。サントスではレギュラーとして試合に出ることはほとんどなかったんですけど、やっぱり、それでも楽しかった。

――どういった部分に“楽しさ”を感じたんですか?

前園真聖 サッカーを楽しむ自分の原点を感じたんだと思います。サントスとはいえ、練習場やクラブハウスは日本と比較すればボロボロで、「なにこれ?」という感じなんですよ。でも、練習中から本当にハングリーで、削り合いも当たり前。ブーイングも激しくて、でも、それによって逆にやる気が出たり。「これがサッカーだ!」と思えたんです。正直に言えば、それまでの僕は、何をやってもうまくいかなくて、「サッカーがつまらない」と感じていた時期だったんです。そういう意味でも、本当に充実した1年間でした。

――ヴェルディ時代は、メンタル的にもかなり落ち込んでいた。

前園真聖 苦しかったですね。もちろん、自分の問題なんです。僕自身の気持ちの弱さ。それを引きずりながらプレーしていたので、つらい時期ではありました。

――そういう気持ちを、ブラジルでリセットできたというか……。

前園真聖 きっと、そういうことなんだろうと思います。向こうに行けば、僕の経歴なんて誰も知らない。それどころか、「なんで日本人がこんなところにいるんだ?」という感覚なので、逆に思い切ってプレーできました。練習はもちろん、たとえ試合に10分しか出られなくても、すごく楽しかった。だからこそ、その後フラフラすることになるんですけど(笑)。

――移籍先を求めて、ヨーロッパに渡ったとお聞きしました。

前園真聖 吹っ切れたところがあったんですよね。ヨーロッパでプレーしたいという夢をどうしても叶えたかった。あのまま日本に戻るという選択肢は、僕の中にはなかったんです。だから、移籍先を探してヨーロッパに向かいました。結果的には、チームが見つからずに半年ほど“浮いている”時期が続いてしまうんですけど。

――ヨーロッパでは、どんなハードルがあったのですか?

前園真聖 この時は代理人にも動いてもらっていたんですけど、練習参加させてもらえると聞いて行ってみたら監督に「聞いてない」と言われるとか、好感触だからと行ってみたら、そのタイミングで監督が代わって「そんな選手は必要ない」と言われるとか(笑)。スペインを拠点にしながら、ポルトガルにもギリシャにも、スイスにも行きました。たった一人でトレーニングしたり、知り合いに頼んで知らないチームの練習に参加させてもらったり……。今思えば、結構すごいことをやっていたなと思います。

――当然、収入もない状態でそうした活動を半年間も続けていたんですよね?

前園真聖 はい。例えばポルトガルのギマランエスというクラブに1カ月ほどお世話になったのですが、ずっとホテル暮らしだったんですよ。しかも、自分なりのプライドがあったのかどうか分からないんですけど、かなりいいホテルに泊まっちゃってて……。ギリシャも同じような感覚で、今となっては、ホントに「バカだな」と思いますね。完全に放浪の旅です。英語も話せないのに、どうやって生きていたんだろう(笑)。湘南ベルマーレでGMをやっていた加藤久さんに声を掛けてもらわなかったら、いったいどうなっていたんだろう。

――本当に、無我夢中だったんですね。

前園真聖 意地になっていたところもあったと思います。「このまま日本には帰れない」って。

その時の自分が一生懸命に考えた結果
だから、キャリアに後悔はない

――そこまで海外にこだわった理由として、「アトランタ五輪の前園」というイメージが先行してしまうことへの反発心もあったのでしょうか。

前園真聖 うん、たぶんあったと思いますね。「もう一度代表で活躍したい」と思っていましたし、そのためにも海外で活躍したいと本気で思っていて、だからこそヨーロッパにしがみついたんだと思います。それから、ブラジルで経験した“ワクワク感”をヨーロッパでも感じたかった。サッカーに対する純粋な思いは、ずっと変わらなかったと思うし、今も変わっていないと思うんです。ただ、自分を取り巻く環境や、もちろん自分のパフォーマンスが変化すれば、見られ方も変わってくる。そういう難しさは、すごく感じました。

――今、ご自身のキャリアを改めて振り返って、どんなことを思いますか?

前園真聖 もしかしたら、僕以外の人から見れば、オリンピックに出て、W杯に何回か出て、そういうキャリアを歩むことができれば「理想的」ということになると思うんです。でも、実際にはそうじゃなかったわけで……。だって、今でもそうですけど、僕っていつも「アトランタ五輪で“マイアミの奇跡”を演じたチームのキャプテン」と紹介されるんですよ。ということは、一般的な僕の経歴は、そこで終わっているんです。引退したのは2005年ですから、ほぼ10年くらいは何も残っていない。そういう意味では、よくやってきたなと思うんですよ。やめるタイミングはいくらでもあったし、「もういいや」と思う時期はありましたから。

――周りが変わっても、本人のサッカーに対する気持ちは変わらなかった。

前園真聖 きっと、そうなんじゃないかなと思うんです。決して順風満帆じゃなかったかもしれないけど、一つひとつの決断に対して「あの時こうすれば」とは思わない。それが僕のサッカー人生で、その時の自分なりに、一生懸命に考えて決断してきた結果なので。だから、後悔はありません。最後に韓国のチームでプレーした後も、あきらめられなくて、ヨーロッパに行きましたからね(笑)。

――もし、その時にどこかのチームと契約していたら……。

前園真聖 いまだにヨーロッパにいたかもしれませんね(笑)。ギリシャとか、ポーランドとかにいて、アヤしい代理人でもやっているかもしれない。ほら、今の選手たちって、ヨーロッパでもアジアでも、いろいろな国でプレーできるじゃないですか。いいなあと思うんですよ。インドもタイも面白そう。いまだに「プレーしてみたいなあ」と思うことだってあるんです(笑)。

ヨーロッパを舞台としたリアルなサッカーライフ

『SOCCER LOVE』は、プレイヤーが一人のサッカー選手となり、ヨーロッパを舞台に世界最高の選手を目指す、プロサッカー選手ライフシミュレーションゲーム。プレイヤーはチームメイトとの交流や確執、ライバルとのスタメン争い、試合での活躍などの経験を経て、徐々にサッカー選手として成長していく。

 世界最高の選手を目指す中で、プレイヤーは様々なサッカーライフを送ることができる。憧れのビッグクラブでプレーしたり、莫大な資産でセレブな生活を送ったり、女性やファンにモテモテな選手になったり、栄光と挫折に満ちた波乱万丈な人生を過ごしたりと、楽しみ方は人それぞれだ。

 ゲーム内には実在のプロサッカー選手2000名以上が登場し、リアルなサッカーの世界を構築。プレイヤーは各国のクラブチームで移籍を繰り返しながら、ヨーロッパサッカーの頂点を目指す。プレイヤーは試合での活躍や有名選手との交流の輪を広めることで、よりランクの高いリーグやクラブチームから移籍オファーが来ることもあれば、チームメイトや監督との確執、ケガ、成績不振などにより、所属チームから解雇されてしまうことも。プロサッカー選手として成功を収めるには、能力のみならず、周囲との人間関係やピッチ外での生活も重要になる。

ゲーム内で前園氏のキャリアを追体験!

 4月27日より前園真聖氏のサッカー人生を追体験できるシナリオがスタート。記述のインタビューで語られていた「もし、あの時こうしていれば」という「人生のターニングポイント」をプレイヤーが操作することにより、新たなサッカー人生が開ける可能性も。前園氏の“ifサッカー人生”を楽しむことができるのだ。ミッションクリアでゲーム内で使用可能な前園氏を獲得することが可能。この機会をお見逃しなく!

【ジャンル】プロサッカー選手ライフシミュレーション
【パブリッシャー】株式会社グランゼーラ
【プラットフォーム】Android / iOS
【配信国】日本国内
【配信開始日】Google Play 配信中 / App Store 近日配信予定
【価格】基本プレイ無料(一部アイテム課金あり)
【URL】http://soccerlove.jp/

(C)2016 Granzella Inc.
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By 細江克弥

1979年生まれ。神奈川県出身。サッカー専門誌編集部を経てフリーランスに。サッカーを軸とするスポーツライター・編集者として活動する。近年はセリエAの試合解説などでもおなじみ。

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