インタビュー・文=坂本 聡
写真=三浦 誠
できれば、このインタビューはぜひ前編から読んでいただきたいと思う。そこでは、名古屋グランパスの取締役専務である中林尚夫さんが、トヨタ自動車で海外マーケティングに奮闘した話が語られている。彼が低迷するグランパスをどう変えようとしているのか、という本題に入るのはこれからだ。
しかし、全体を通して読めば、前編で語られた部分、すなわち自動車のマーケティングで培った深い見識と経験こそが、グランパスが目指す「改革」の骨格だと分かるだろう。「地域密着」と言えば聞こえはいいが、「ホームタウンというのはつまりマーケットでしょう?」と中林専務は言う。サッカークラブはスポーツマーケティングカンパニーであり、何よりも自分たちの商品を知り、マーケットを知らなくてはならない、と。その論理には一点の曇りもない。
曖昧であるがゆえに多用される決まり文句、例えば「サッカーを文化に」、「サッカー界の発展のために」といったワードが、中林専務の口から発せられることは一度もなかった。そうではなく、「名古屋の皆さんを幸せにしたいんです」と彼は言った。
前編に続いて、もう一度書き記しておこう。中林専務は面白い人だ。この人がグランパスをどう変えていくのか、期待せずにはいられない。
「このクラブを何とかしなくてはいけない」
――大変興味深い話ばかりですが、少し読み解いてみますと、中林さんは一貫して世界各国の文化や人々をどう理解するか、どうアプローチするか、そこを考えてこられたように思います。
中林尚夫 いろいろな国で販売の仕組みを作りました。どうしたらインドネシアのセールスマンが、台湾のセールスマンが、韓国のセールスマンが車を売れるようになるんだろう。それをずっと考えてきました。だけど、ここからが問題なんですよ。私は運動の経験がないんです。ゴルフもしません。どちらかと言えば、運動会とか水泳大会の前はお腹が痛くなる小中学生だったんですよ(笑)。グランパスに来るなんて思ってもないですよね。
――それが、どういう経緯でグランパスに来ることになったんですか?
中林尚夫 これはあとで聞いた話ですが、豊田社長が指名してくれたらしいんですね。でも最初はサッカーのサの字も知りませんから、もう晴天の霹靂でした。
――にもかかわらず、豊田社長に指名されたのはなぜだったと思われますか?
中林尚夫 そうですね。このクラブはいろいろな意味で閉塞感に襲われていたんです。観客動員が行き詰まっている。収益が行き詰まっている。何よりチームの成績が行き詰まっている。ここを変えていくには新しい血が必要で、新しい血というのは私のような、サッカーを知らないマーケティングのプロがいいのではないか。豊田社長はそう感じていたのではないでしょうか。
――サッカーを知らないことで不安はなかったですか?
中林尚夫 不安でしたよ。クラブに来てみたら、私のようにサッカーも知らない、名古屋にも縁のない人はいませんでしたから(笑)。しかし、その私から見るとグランパスは名古屋の市民球団に見えました。一方で名古屋市民は、グランパスはトヨタ自動車や中部財界が持っているもので、市民のものじゃないと言うわけです。実際にそういう声をたくさん聞いたんですね。ものすごく中途半端な立ち位置だと思いました。宙ぶらりんになっている。経営が行き詰まっている。このクラブを何とかしなくてはいけない。そこから新しい戦いが始まるわけですよね。
――最初に何をしようと考えましたか?
中林尚夫 スポーツマーケティングという意味では、変えなくてはいけないことがたくさんありました。でも変え方が分からなかった。そこで「そもそも、このクラブの商品って何だろう?」と思って、聞いて回ったわけです。「我々の商品は何だろう?」と。誰も答えられないんですよ。答えにくいんです。だから、まずこれを突き詰めないとダメだと思いましたね。例えばホームタウンとは何でしょうか? 「地域密着」という美辞麗句に隠されていますが、ホームタウンというのはつまりマーケットでしょう?
――はい、そうですね。
中林尚夫 そう考えたときに、まず商品をしっかり定義する。次にこのホームタウンと言われるマーケットで、きちんとマーケティングする。そしてフォローをして、営業を掛ける。あれ、車と変わらないぞ、と気づいたわけです。その場合、「商品」とは何だろう? 「チケットですかね?」、「やっぱりチームですよね?」という、そんな議論をしていったんですね。
――つまり、マーケティングからクラブのあり方を考えていくわけですね。
中林尚夫 でも、サッカーについては素人ですから、まだ不安があったわけです。それを払拭してくれた人がいるんですが、誰だと思いますか?
――誰でしょうか?
中林尚夫 アーセナルの監督、(アーセン)ベンゲルさんなんですよ。私は去年の夏、彼に会いにロンドンに行っているんです。
「日本を先導するクラブになりたい」
――ベンゲル監督と、どんなお話をされたんですか?
中林尚夫 「私は30年、自動車のマーケティングをやってきた。でもサッカーのマーケティングをどうやったらいいか、よく分からないんだ」と話したんです。そしたら、ベンゲルさんがニコッと笑って言うわけですよ。「30年もマーケティングをやってきたなら、そのとおりにやればいいんです」と。「やっぱりそうか!」と思いまして(笑)、先ほどの話、ホームタウンはマーケットで、マーケティングして営業を掛ける、ということを詳しく話したら、ベンゲルは「そのとおり」と言ってくれたんです。ただ、その中で「一つだけ違う」と言われたことがありました。「トヨタ自動車は、きちんと準備すればBMWにもフォルクスワーゲンにも負けないでしょう? でもアーセナルは、どんなに準備しても3部のチームに負けることがあるんですよ」とね。マネージャーとして30年間、彼はそのリスクをミニマイズするような経営をしてきたと。この言葉は重いなあと思いました。
――なるほど。そこでヒントをつかんだわけですか。
中林尚夫 つまり、チームの勝利を前提としたビジネスモデルは成立しないということですね。そこで改めて、チームの商品は何だろうと考えたときに、勝つことなのか、ゲームなのか、スタジアムなのか、いや、その全体を体験してもらう、そして感動させることだ。そう思うようになりました。地域の皆さんにいいスタジアムに来ていただく、いい試合を見ていただく、楽しんでいただく、そして幸せにする。それが、今年から掲げている「グランパスでひとつになる幸せ」というミッションの本質なんです。さらに、そのミッションを達成するためのビジョンを5つ策定しました。本来はそこにアクションプランを付け加えるべきなんですが、今はそれを作っている最中ですね。
――ここまでの歩みは順調に行っていると思われますか?
中林尚夫 いろいろなことができていませんよね。まだ本当の意味でスポーツマーケティングカンパニーになっていないと思います。これまでの25年間は、グランパスがサッカーをやっていたら、自然と集まってきてくれた方々を対象にしてきた集団でした。私たちが韓国で苦労して、お客様に頭を下げて、あのアウェイの環境で車を売ったような活動は誰もしていなかったと思う。だったらゼロからやるしかないですよね。原点に戻る必要がある。Jリーグの原点ではなく、スポーツマーケティングカンパニーとしての原点です。
――それは名古屋グランパスだけが抱えている問題だと思いますか?
中林尚夫 違うと思いますね。私は、自分の仕事は日本のサッカー界の閉塞感を打ち破ることだと思っています。2002年、あれだけワールドカップで大騒ぎしたのに、今はどこか伸び悩んでいますよね。Jリーグ自体もどこかでシュリンクしたでしょう? みんな悩んでいるのではないでしょうか。だからこそ、私たちはスポーツマーケティングカンパニーとしての原点に戻り、かつ日本を先導するクラブになりたいと思っています。今の私たちは、残念ながらそうではない。しかし、いつかはそうなって名古屋の皆さんを幸せにしたいんですよ。
――クラブがミッションとビジョンを掲げたように、チームも目指すべきスタイルを「フットボール・コンセプト」という形で打ち出しました。これも印象的な試みです。
中林尚夫 そこはチームにもかなり頼みましたね。先ほど言ったように、私たちは名古屋の皆さんを幸せにしたいと思っている。そのためには、ある一定のレベルのクラブを育て上げなければいけないんです。なぜなら、名古屋の人たちはブランドが好きだから(笑)。これは私が言い出したわけじゃないですよ。名古屋という地域を調査して、特徴を分析してもらうと「ブランド好きで見栄っ張り」という結果が出るんです(笑)。だから、そこは小倉(隆史)監督に徹底的に頼みました。強いだけではダメだ、美しくなくてはダメだとね。強くて、美しくて、スマートで、インテリジェント。そこは小倉監督もブレずにやってくれていますね。
――最後に、サッカークラブで働きたいと考えている方々にアドバイスをいただけますか?
中林尚夫 私は車が大好きだったから自動車会社に入りました。でも、初日に先輩から「車が好きだったら自動車会社なんて入っちゃダメだ」と言われました。それがあとになって分かるわけです。BMWとメルセデスにどうやって勝つかを考えたかったのに、スマトラのトラックですからね(笑)。それと同じです。サッカーが好きだからサッカークラブで働けばうまくいくというような、そんな甘いものではありません。好きに越したことはないですが、それだけの覚悟を持っていなくてはいけない。サッカークラブはスポーツマーケティングカンパニーです。スポーツマーケティングカンパニーとしてビジネスを作っていく。そこに賛同してくれる人なら、ぜひ来てほしいと思います。
By サッカーキング編集部
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