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英国在住代理人・宮原継享が語る「エージェント」という仕事「“行き当たりばったりの人生”で、英国永住権を取得してフットボールに携わる」/前編

2016.11.02

インタビュー・文=安田勇斗

 今夏、オランダ1部のヘーレンフェーンに移籍した小林祐希を始め、モンテネグロからポーランド1部、ブルガリア1部に移籍した加藤恒平、日本出身でフィリピン代表という異色の経歴を持つ佐藤大介のルーマニアリーグ移籍など、様々なタイプの移籍を成立させてきた英国在住の代理人・宮原継享氏。

 宮原氏は学生時代、サッカー選手を目指しながら、大学卒業後にイギリスに留学し、ロンドン大学大学院バークベック校を卒業。その後、本場、イングランドのフットボールシーンに触れ、指導者や選手の代理人として、エージェント業などをこなしてきた。その根底には、「日本のサッカーをもっと良くするためには、日本人がもっと海外に出たほうが良い」という、深いサッカーへの思いがあった。

 自らの人生を「行き当たりばったり」と笑う宮原氏は、留学がそうであるように、想像もできない未来へ向かって突き進み、何か問題が起きれば、その手で打開し続けてきた。歩んできた道とその言葉には、代理人を志す人のみならず、「日本と世界をつなぐ」という未来を思い描くすべての人にとって、決して小さくはないヒントが隠されている――。

 日頃触れることの少ない「エージェント」という仕事に迫るインタビューの前編は、宮原氏がいかにして英国留学を選び、その後、10年を超える間、フットボールとともに、英国のスポーツビジネスの最前線を突き進んできたのか、リアルな言葉に耳を傾ける。

軽いノリから英国留学を決意した大学時代

――イギリスのJapan at UK limitedで働きながら、サッカークラブの監督や、選手やコーチなどの代理人としても活動されていますが、主な仕事の内容を教えていただけますか?

宮原継享 代理人の仕事自体は2006年からやっていましたが、イギリスサッカー協会(FA)が発行している代理人の資格を取得したのは13年です。その年に、Japan at UK limited内で「Football Samurai Academy」というチームを立ち上げたのですが、今はU-7からU-16まで各カテゴリーで計150人ほどの選手が所属していて、僕自身も監督を務めています。また、Japan at UK limitedのスポーツ部門はテニスなども扱っているので、5面あるテニスコートの運営や管理などもしています。エージェントとしては、資格取得当時は自ら選手を探していくという、いわゆる「代理人」の仕事をしていましたが、イギリスでは、選手を紹介されて、その選手が所属するチームを探すといった「仲介人」の仕事が多いですね。現在も、冬の移籍市場がオープンして、欧州のトップクラブから、「これくらいのバジェット(予算)でセンターバックがほしい」というリクエストが届き、それに見合う選手を探しています。もちろん、「日本に行きたい」とか「プレミアリーグに行きたい」と、選手から声が掛かることもあります。

――Football Samurai Academyはどの地域で活動しているのでしょうか?

宮原継享 ロンドン西部のウェストアクトンという場所です。ここには日本人街があり、およそ1万人ほどの日本人が住んでいます。最初は近くの公園で活動していたのですが、運良く土地を借りることができました。最も近くにあるクラブはフットボールリーグ・チャンピオンシップ(2部)のクイーンズ・パーク・レンジャーズ・フットボール・クラブで、プレミアリーグでは、チェルシーFCも近いですね。

――では、宮原さんのことを伺いますが、大学まではサッカー一筋だったようですね。今のお仕事につながるようなことを何かされていたのでしょうか?

宮原継享 いえ、それはありませんでした。選手になりたいという思いでサッカーを続けながらも、どこかではなれないだろうなと感じていました。実は高校進学に際して、地元の強豪・玉野光南高校に行きたかったのですが、「ケガをしてサッカーができなくなったらどうするのか?」という親の質問に答えられずに、進学校を選びました。振り返ると、その時に、自分の中でサッカーのプロ選手になることをあきらめていたんだと思います。高知大学にはサッカーではなく一般受験で入ったのですが、特に将来の展望を持っていたわけではありませんでした。

――では、ロンドン大学大学院に留学した経緯はどのようなものだったのでしょうか?

宮原継享 僕は社会経済学科だったのですが、ゼミを「海外に行ける」という軽いノリで選びました(笑)。それでイギリスを訪れた時に、1年間で大学院を卒業できるということを知り、留学したいと思うようになりました。

――そして、高知大学を卒業した04年の4月にロンドンに渡っています。

宮原継享 そうなのですが、英語が全くできなかったので、大学院に行くためには、まずは1年間、ファウンデーション・コースに通う必要がありました。その入学が9月なのですが、事前にIELTSという英語能力試験のスコアを提出する必要があり、3カ月間くらいは語学学校に通っていました。それで9月に入学して、1年間はプレゼンや論文の書き方などを学び、05年9月にロンドン大学大学院バークベック校に入学しました。

英国でフットボールシーンに携わってきた10年間

――大学院の専攻は何ですか?

宮原継享 サッカーのビジネスを学ぶ「Sport Management and the Business of Football」というコースを選び、プレミアリーグの経営や世界のスポーツの仕組みなど、サッカーだけではなく、ボクシングやバスケットボールなど、アメリカのスポーツビジネスも学びました。また、その地域で盛んに行われていた、周囲を壁で囲んだコートで5対5で戦うフットサルのような「Five-a-side football(ファイブ・ア・サイド・フットボール)」というスポーツがあるのですが、「これを日本に持ってきたらどのくらいの可能性があるのか?」というテーマで、当時のFAのファイナンシャルダイレクターの人と一緒に卒論を執筆していました。バークベック校はそうしたコネクションにも強かったですね。

――イギリスで学生として約2年半を過ごす中で、何か苦労や困ったことはありますか?

宮原継享 勉強のために非常にお金を使ったことですね。エージェントを通さずに、自分であれこれやっていたために、高額の語学学校に行ってしまったり、ミスが多かったです。行き当たりばったりの人生で、あまり計画性を持たずにきてしまったことが一番困ったことです(笑)。

――大学院で学んだスポーツビジネスは、後々に生きてきましたか?

宮原継享 大学院を卒業すると、日本人にはなかなかビザが下りないので、ボストンのキャリアフォーラムを経て外資系企業に行くという就職活動が定説のようなのですが、僕はそうしたことを知らないまま、イギリスで就職するつもりでした。イギリスの大学院を出たのに日本に帰る理由はないと。それで、Five-a-side footballを扱っている大手企業の支社の門をたたいたんです。そうしたら支社長があっさりOKをくれたのですが、「あれ、日本人だよね。ビザがないからダメだ」と(笑)。でもあきらめずに、会社の偉い人に会わせてほしいとお願いしたら、たまたま本社の人が来ていて話をできたんです。それで、「日本人だから、日本のマーケットを広げるし、将来的には日本をはじめ、アジアに拠点を広げます」と伝えました。ここまでは、勉強してきたことが生かされていましたね。

――非常に運にも恵まれていたんですね。

宮原継享 そうなんです。そこではまだビザは下りてなかったのですが、それで、その会社の宣伝もかねて日本人のマーケットの創出を狙って大会開催をしている時に、ビザを出してくれるというロンドンの日系クラブチームLondon Japanese Junior FC(LJJFC)に出会ったんです。そこが土日の活動だったので、並行して働きながら、5年後に永住権を申請して、独立しようと思い描いていました。それで思ったのですが、大学院の何を生かせたかというと、「ロンドン大学」という肩書きやそこで得た人脈でした(笑)。

――では、独立を見据えた5年間と、その後はどのように活動されてきたのでしょうか?

宮原継享 LJJFCでは、チェルシーと組んでいろんなプログラムを始めたのですが、同時に、純粋に日本のサッカーをもっと良くしたい、そのためには日本人がもっと海外に出たほうが良いだろうと思うようになりました。そこで、選手の留学サポートをしている日本の企業をあたり、株式会社ユーロプラスなどいくつかの企業と出会いました。でも、日本人のアマチュア選手のレベルでは、まだイギリスでプロになることは難しいので、少し視野を広げて、指導者養成の手助けをしようということで、コーチ留学のサポートを始めるべく、組織内にインターナショナルスポーツアカデミーを立ち上げました。その後、13年の春にJapan at UK limitedでFootball Samurai Academyを立ち上げ、現在はU-10、U-16を見ています。ちなみに、U-10は日本人が9割、U-16は8割が外国人、残りが日本人という割合です。

――では後編は、代理人という仕事について、深くお伺いしたいと思います。

英国在住代理人・宮原継享が語る「エージェント」という仕事「“日本を世界に認めてもらえる”ことの大きなやりがい」/後編

Japan at UK limited スポーツ事業部門 Football Samurai Academy/
ユーロプラス専属契約代理人
宮原継享(みやはら ひでゆき)

1980年9月21日生まれ。岡山県出身。高知大学時代には、総理大臣杯3位や、中国・四国代表として大学選抜大会デンソーカップにも出場。大学卒業後、2004年に渡英し、ロンドン大学大学院バークベック校で欧州サッカークラブの経営やアメリカの多様なスポーツビジネスを学ぶ。06年からロンドン最大規模の日系サッカークラブLondon Japanese Junior FCに勤務し、イングランドサッカー協会の指導者ライセンスF.A Level 2を取得。13年には現職のJapan at UK limitedでFootball Samurai Academyを創設した。指導者や選手の留学をサポートする代理人としてもトップレベルで活動し、今夏オランダ1部ヘーレンフェーンに移籍した小林祐希、モンテネグロからポーランド1部、ブルガリア1部に移籍した加藤恒平、日本出身でフィリピン代表という異色の経歴を持つ佐藤大介のルーマニアリーグ移籍など、様々なタイプの移籍を成立させてきた。
 
サッカーキング・アカデミーにて、Japan at UK limited 宮原氏の特別セミナーを実施!

By サッカーキング編集部

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