チームのWキャプテンを担った星翔太 [写真]=河合拓
フットサル日本代表は、4大会連続のフットサルW杯出場と大会3連覇を目指し、ウズベキスタンの首都タシュケントで開催されたAFCフットサル選手権に臨んだ。W杯の出場権が与えられるのは上位5チーム。日本は過去14大会すべてで4強入りを果たしていた上に、今大会に出場したチームは、「史上最強」とも評され、W杯出場は確実視されていた。しかし、準々決勝でPK戦の末に敗れると、順位決定プレーオフ1回戦でもキルギスタンに2-6で惨敗。大会3連覇どころか、W杯の連続出場を途切れるという最悪の結末に終わってしまった。
プレーオフ1回戦終了後、フットサル日本代表の選手たちはウズベキスタンの地に残っていた。現地で、選手たちは現実を受け入れられずに、それぞれに苦悩、後悔を抱えながら、それでも懸命に前を向こうとしていた。そのときにインタビューに応じてくれた選手たちの言葉を『タシュケントの夜に』という連載として記す。
第2回目は、2015-2016シーズンのFリーグの後半戦を負傷で欠きながらも、大会に間に合わせてピッチに立ったFP星翔太(バルドラール浦安)。チームのWキャプテンの一人である星は、しばらくピッチから離れていたことで、自身の求心力が低下していたことを悔やんだ。
以下、星翔太インタビュー
――この結果に関しては、どう捉えていますか?
「みんながどういう風に捉えているかはわかりません。それぞれが感じるものがあるでしょうが、人が感じるものには違いがありますし、そこは共有するものではないと思います。僕は試合が終わった直後にテレビのインタビューがあって……。そこで話をしないといけなかったんですけど、負けたあの瞬間に、そう簡単に気持ちを整理することはできませんでしたから、正直『なぜ、このタイミングで話すタイミングがあるのか』って、あの短時間で思ったし……。ただ、自分の力不足を痛感しながらも、『これはテレビを見ている対不特定多数の人に話をしていることになっているはずだから』ということで、そこで話しながら、自分の中で消化していき、『なぜ、負けたのかという問いに対する答えを見つけるためにも、行動をしていくしかない』と考えていました。ですから、少し冷めているように聞こえるかもしれないけど、早く行動したい気持ちの方が強くなっています」
――それは4年後に向けてということですか?
「うん。4年後が見えるかどうかは別として、やらないといけないことの整理をもう一度あらためてしないといけない。それは個人単位でもそうだし、組織として、それこそフットサル界という枠の中だけでいいのかとか。そもそも勉強しないといけないこともあるだろうし、そういう整理を早くしないといけない。そういう意味で行動を早くしないといけない。他の選手たちがどう思っているかは知らないけど、正直、試合が終わってホテルに帰ってきてから、時間が経てば経つほど、虚しさみたいなものはなくて、何をしようかなと感じています」
――選手たちの環境をどう変えていくかというところですか?
「環境を変えるというか…。環境改善が一番かと言われたら、正直、僕はどうかと思う。環境改善と言っても、それはずっと言い続けて来ても変わっていないから」
――なるほど。現実的に言うとアジア選手権2連覇していたのに環境は改善されませんでした。それが負けた今、改善される可能性は低い。もちろん理想は環境が変わることですが、それは現実的ではないと。
「そうそう。理想論は環境だけどね。いま、掲げないといけないのは2020年に日本でW杯を開催して、そこで決勝に進出するという目標を掲げる必要がある。今すぐに。そこに向けて休んでいる暇はない。すべての部分で。選手、スタッフ、Fリーグに携わる人、すべての人たちが休んでいる暇はありません。もう4年しかない」
――しかも、今年はW杯での経験も積めません。
「そうなったときに、いち早く何をしないといけないか。その大枠の目標を立てて、それに対して選手も、審判も、協会も、そこに向かっていち早くやらないといけない。あくまでその中の過程に環境はあると思っているから。そういう感じですね。全員プロにするっていうのは、無理だから」
――このチームは本来、こんなところで終わるチームではなかったと思います。乗り越えられるはずの舞台を乗り越えられなかった。試合直後ではありますが、その要因はどこにあると感じていますか?
「なんですかね……。基本的には自分に一番の責任があると感じています。そして、すべてが悪い方向に出たっていう感じですね。グループステージの3試合にしても、そこまで良くもなかったじゃないですか」
――ベストではないけど、そこまで悪くもなかったと感じました。ただ、やはりイランとは勝ち方が違って、日本はアジアの王様になりきれていないなと感じました。
「なぜかというと、2012年も、2014年も、日本は組織力で勝っているんです。個の能力で勝っていません」
――今回は、それができそうなチームでした。
「そう。でも、それができなかった。ということは、個の能力がなかったということ。だって、イランは勝っているわけだから。アジアがどれだけ進化していたとしても、彼らは勝ち進んでいる。ということは、イランに個はある。イランは変わらずにずっと(頂点に)いるわけですから。それに対して日本は、前回大会の初戦でウズベキスタンに負けるまでは、イラン以外に負けたことがなかった。ところが今回はベトナムに負け、キルギスタンにも負けた。ということは、個がないということ。絶対王者というのは個があると思います」
――ただ、そこを意識し過ぎると、本来の日本らしさが薄れてしまう。
「日本らしさというか……。安易に組織だけを良くすればいいわけでもないし、個だけを良くしてもダメ。そのバランスがすごく大事です」
――日本はバランスが良くなかったのでしょうか?
「バランスは良かったと思うんですけどね。でも、結果がこれっていうことはね…。僕はほぼ1年間、(ケガでチームを)離れていたから、特にそれを感じる部分もあったし。すごく能力の高いチームだなとも思いました。その反面、リズム感が合わないなと感じることもあった。ただ、それは1年チームから離れていたからかなと思っていた。ケガをしていたから、練習にもしっかり入れていなかったというのは、間違いなく要因にあると思いますが、だけど、なんていうかな。異空間に一人だけいる感じでしたね」
――その感覚は、負傷する1年前にはなかったものですか?
「いいえ、ありました。もともと、同じ選手という立場なんですけど、僕は一歩引いている感じだったのですが、それが(ケガでチームを離れていたことで)より冷静に見えるようになりました。人には感情の波があるでしょ? うまくいかないとイライラするし、それを人にぶつけてしまう。でも、俺は自分の感情を人にぶつけたりすることが、どれだけ無意味なことをわかっているし、それが必ずしも良い方向に行くわけじゃないと学んだ。それは浦安でキャプテンをやったことも、かなり大きかった。そういう部分でチーム内にブレがあるのを感じていて、伝えようと努力したけど、結局、チームの中ではピッチに出ている選手が偉いというか、どこかで発言の重要性が、ピッチに立っている選手たちの方が重くなっていました。それぞれがどう受け止めたかは、行動や表情に出てくるじゃないですか。それは何年もやっているからわかるし、その部分で自分が感じていた違和感を伝えきれなかったのは、間違いなく1年間、ケガで離れていたというのが、大きな要因として個人的にはある」
――感じていた問題点をチームメイトに伝えたけど、ケガでチームを離れていたこともあって、それが実践されるというところまでいかなかった。
「そう。伝えるっていうのは、相手が言葉を受け取って変わることで、初めて伝わっただから。(行動が変わらずに)伝わっていなかったら、ただ言っているだけ。そうなると、言わなかったことと一緒です。そこで俺には今回、それしかできませんでした。伝えようとして、『こうした方がいいよ』と声を掛けてきたつもりだったけど、それが変わらなかったということは、人としても力不足だし、キャプテンとしても力不足だったと思う」
――先ほどの『個が足りなかった』という点では、日本には、どんな舞台、状況であっても、自分のプレーを貫ける選手が足りなかったのかなと感じました。もしくは言葉で全員を落ち着かせられる選手、普段のプレーを取り戻させられる選手がいれば…というのは強く感じます。
「チームが変化していった過程を見ることができていたら、俺ももう少し関与できたかなというか、変化を緩やかにできていたかなとは思いますね」
――つまり、大会前から何かしらこのままではマズイというのを感じていた?
「そうですね」
――ミゲル監督は日本が『勝利ドランカーになっていた』と表現し、ここまで勝ち過ぎていたから負けたときの修正が利かなかったという趣旨のことを話していました。そういうことですか?
「それも間違いなくあると思います。良く言えば『勝者のメンタリティ』だし、悪く言えば『勝利ドランカー』。でも、結局、人としての弱さが出たということに尽きるかなと思う。やっぱり、みんな『チームのため』って言っているけど、どこまで本当にチームのためにできていたのか。それは普段の生活からもそうだし、やっぱり日本人は気使いの国じゃないですか。その気遣いがつながったものが、パワーになると僕は思っているから」
――お互いが『アイツのために頑張ろう』というような部分?
「それもそうだし、別にピッチ内で言い合うことが悪いことではない。ピッチ内で文句が出ることも、芯でつながっていれば悪いことではない。今回は、言い合うことはできたけど、2012年大会、2014年大会のときのような、まとまりはなかったなと。チームが円になっていなかったんだよね。形が少し歪んでいる。2連覇していた2012とか、2014は、チームが円になっていて、どんな形にも対応ができていた。歯車が狂ったのは、そういうところなのかな。その時点では、わからなかったんですけどね」
――それは円になっていた方が。いいものなんですか?
「過去の2連覇という結果を考えるとね。もしかしたら、いま、このチームは形を変えている段階で、この大会を迎えてしまっていたのかもしれない。この形が完全にできあがっていたら、より強くなっていたかもしれません。それはあくまで経験則だから。2連覇っていう過去を見れば比較はしやすいけど、中の選手、組織が変わっちゃっているから」
――チームが自分たちの力を出しやすい状態になる完成形を見る前に、この大会が始まってしまったのかもしれない。
「そう。そこに確信を持てて踏み込めなかった自分もいる。ピッチに出ている選手が、ピッチの中で感じていることは間違いないんだけど、経験がある選手の言葉だけが正しいわけではない。若い選手が同じように発言してもいいと思う。その言葉の平等性がとれないグループという時点でダメだったと思う。下からも突き上げるし、上もその意見を吸い上げるというか。下から直接、上に行かなくても、クッション材になる選手がいて、平衡になるのが組織としてあるべき姿かなと」
――以前、インタビューをした際に『このチームは世界でベスト4を狙える』と話していました。それがアジアの8強で終わってしまいました。世界で4強を狙えるなら、アジアでは1位、2位になって当然だと思うのですが、その力を出し切れなかった要因は何だと考えていますか?
「まず、このチームが『ベスト4を狙える』といったのは、組織力にプラスされる個人のポテンシャルが、過去と比べて尋常ではなかったから。2012年のチームと比べても、『これはすごいなぁ』と思ったし、中のバランスを少し取って、個のポテンシャルがググっと伸びていけば、そのままベスト4まで行くなと思っていた。でも、組織の方が形を変えてきてしまった」
――たら、れば、になってしまいますが、ベトナムに勝って、W杯の切符を取ることができていたら、今もW杯では上位に行けていたという考えは変わりませんか。
「こればかりは、もはやわからないことですが、それまでの時間で、チームが組織としてどういう形になっていたのか、どういう答えを生み出したのか。W杯でも上位に行ける可能性はあったと思いますが、今は負けたっていう事実、そしてW杯に出られないという事実しか残っていないから」
――失ったものは本当に大きいと思います。W杯出場は、選手にとってキャリアで1度か2度、あるかないか。しかも、1つの国でも一度に14人しか経験できません。それがこの4年では得られないのは、すごく損失が大きいと感じます。競技フットサルの普及という点でも、ダメージは計り知れません。
「まぁ、そうですよね。今大会も初めて見たという人は多くいたと聞いていますから。だから、僕は、何か大きなメッセージがあるのかなと思っています。なぜ、このタイミングで負けるのか。それを考えて強くなるチャンスを与えてもらったんだと思う。すごくラッキーだと思います」
――個人的なプレーに関しては、いかがでしょう。この大会まで、半年間プレーできていませんでした。個人的には、ベトナム戦で星選手が出て来たとき、『翔太が決めたら日本は勝てるな』と感じていたのですが、チャンスを活かせませんでした。
「1回ありましたね。前半の滝田(学)からもらったやつ。あれは敵のプレッシャーを勝手に感じてしまっていました。こっちにチラッと相手がいるのが見えて、ベトナムが早いことも想定していたから、ガシャンとなってこぼれるよりも、早く打ってしまおうと思って。そのとき、滝田と確認したら『もう一個、前に欲しかったですよね?』と言われて、『俺がちゃんとコントロールして打っていれば、入ったと思う』と話していました。あとは延長かな。右で、インサイドで上に打っていれば入っていたと思います」
――あのときも1点リードしていて、ダメ押しになる場面でした。
「あれも、個人であそこまで抜けていたら、打っていたと思います。でも、組織として、トン、トン、トンとパスがつながって来た。それによって俺の頭に、ノブさん(小曽戸允哉)がパスを出した後に抜けて、最後(ゴール前)まで行くという映像が残っていて…。GKも出てきていたから、あとはそこに出せば、ノブさんが足を出してゴールを決めるっていうイメージでした。でも、そこにいないことを認識できなかった。そこに自分の力不足を感じるし、『自分で決める』という決断ができなかった自分に失望しました」
――あの時間帯は攻めきってリードを2点に広げるのか。1点を守りきるのか。すごく難しい判断が求められていたと思います。
「4-3で勝っている状態だったから、ノブさんはヒール(で自分が出したパス)が引っかかったらイヤだなと思って、カバーするように少し戻ったと言っていました。そこも、リーダーシップとか、組織力とか、そういうところが足りなかったと思うんですよね」
――キルギスタン戦のパワープレーのときも、星選手の折り返しから小曽戸選手がシュートを打てるチャンスが連続してありました。でも、あそこも少し2人の呼吸が合わなかったのでは?
「ちょっとわからないのですが、俺の感覚としては、あそこしかパスコースがなかった。斜め(逆サイドのマイナスの位置、森岡へのパスコース)がなかった。そこが問題だった」
――2つないといけなかったパスコースのうち、一つしかなかった?
「斜めにボールを出せれば、ノブさんのところでもうちょっと余裕を持てるし、俺もパスを出しやすかった。斜めの方向に体を向けて、ノブさんの方に出せたから」
――ここからスタートを切りなおすことになります。星選手が目先のことで『これをやらないといけない』と感じていることは?
「もう、それこそみんな動き出しましょうよと。選手なら練習だし、それぞれがやれることをやらないといけない。今から今大会で見えた課題を書き出したり、どうだこうだといろいろ議論したりすることも大事だと思うけど、同時に体を動かしていくこと。選手がやれることは基本的にピッチでやることが第一だから、まずはピッチでやること。加えて選手会とか、選手が意見交換できる場をつくっていくことも選手レベルで必要です。レフェリーなら各クラブと提携して、練習試合のときに、仕事の後に夜練習しているチームのところに行き、ジャッジの練習をする。土日のどちらかが休みであれば、練習試合で笛を吹く。連動すれば、いくらでもできると思う。Fリーグは、スポンサーを集めて開幕戦をどう盛り上げるのかではなく、2020年に日本代表がW杯に出場して、そこで結果を残すために何ができるのかを考えて動く。それをもう今すぐにでも実行する。もちろん正直、難しいと思う。俺も、こう話しているけど難しいし、整理もできていないから。やみくもに動けばいいわけではないが、結局、口にしても行動しなければ意味がない」
――強引に切り替えて4年後のW杯出場を見るようにしているのですね。
「もうね、やらないとダメじゃない? メッセージの一つはそうでしょう。この敗戦に込められた大きなメッセージの一つが、選手としてやりなさいと。選ぶのは監督だから、実際に自分が選ばれるかはわからないけど、プレーを続けて代表に入るべき選手を育てるのも、同じクラブにいる選手たちに伝えることもそうだし、代表に入ったピヴォに伝えることもそうだろうし……。これはチャンスだと思うから。本当に難しいし、受け入れがたい結果だけどね」
インタビュー・文・写真=河合拓
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星翔太(ほし・しょうた)
1985年11月17日生まれ。東京都出身。暁星高から早稲田大に進学し、関東大学フットサルリーグでフットサルを始めた。スペイン1部リーグやカタールリーグでプレーした経験を持ち、現在所属するバルドラール浦安ではキャプテンも務める。日本屈指のピヴォであり、フットサルW杯2012にも出場し、日本代表の16強進出に貢献。その後、滝田学とともに代表のキャプテンを務めてきた。
By 河合拓