勝利を喜ぶ日大藤沢の選手たち [写真]=鷹羽康博
日大藤沢はベスト4を勝ち取るために、“二つの敵”を倒さなければならなかった。一つはもちろん静岡学園。優勝候補・東福岡を下し、2試合を9得点無失点で勝ち上がってきた難敵である。そして、もう一つの敵はインフルエンザだった。
「影響があったのは7、8人」と佐藤輝勝監督は口にする。静岡学園戦はキャプテンのDF吉野敬(3年)、3回戦に出場した住吉ジェラニレショーン(2年)らがインフルエンザで欠場。一方で2回戦から復帰したMF砂賀拓巳(3年)に続き、MF今井裕太(3年)が準々決勝からベンチに戻ってきた。
とはいえ彼らもベストとは言い難い状況だったのだろう。「本当に調子が良くて、12月(の練習試合)は今井か(田場)ディエゴかというくらい点を取っていた」という今井も、80分間のプレーは厳しいという判断で、この試合はベンチスタート。前半は「思った以上に長いボールを使い、その後のドリブルとパスでリズムを作ってきていた」(佐藤監督)という静岡学園に対して、受け身の展開を強いられた。
後半開始から同時に切り札として送り出されたのが今井だった。今井は相手ウイングバックの脅威を減じつつ攻めに絡み、後半38分に決勝弾も挙げた。
試合のたびにメンバー編成が違う。それこそ日大藤沢の特徴だ。今大会のヒーロー・田場ディエゴでさえ、県大会はスタメンを外れていた。この試合の先制弾を挙げたFW前田マイケル純(3年)は、2年秋から3年夏までサイドバックで起用されていた。県大会では1トップのレギュラーになったが、今大会になると栗林大地(3年)、住吉に次ぐ“三番手”扱いも受けた。「結果を残すなら今日しかないと思っていた」(前田)という緊張感は、そういう浮き沈みを経験したからに他ならない。
選手が気持ちを切らさず、殺伐とした空気も生まれていないのは佐藤監督の人徳だろう。ずば抜けた技巧を持ちながら、無謀な突破で持ち味を出し切れていなかった田場に対しても、佐藤監督はじっくりと対応した。「12月くらいから、よく会話するようになったんです。自分の世界しかない子だったのが、どうすればチームが良くなりますか?というような声掛けをしてきた。聞く耳を立てていたということですよね。そういう時が一番伝わるし、伸びるときです。それまでは我慢しなければいけない」(佐藤監督)。後半38分の決勝弾は、以前の田場なら自ら突っかけていた場面だろう。しかし彼は1タッチでフリーの味方を活かし、今井にゴールを譲った。
DF小野寺健也(2年)は「選手層が厚いから、インフルエンザにも対応できる」と、チームの苦境を救った選手層の厚さを口にする。そして「温存している選手が結構いるので、これからどんどんノーマークの選手が出てきますよ」と笑顔を見せる。準決勝が行われる5日後には、インフルエンザ禍も終息に近付いているだろう。となれば“新戦力”にも期待できるはずだ。
日大藤沢は以前から選手のクオリティ、層の厚さを持ったチームだった。しかし激戦区・神奈川で埋没し、7年間に渡って選手権から遠ざかっていた。今大会のベスト8では唯一の“県リーグ所属”でもある。一方で13年12月には、公式戦開催も可能な人工芝グラウンドが完成。「練習は2割増しに良くなりました。質も上がったし、要求も高められている」と佐藤監督が振り返る環境整備があった。
14年秋の県大会はラウンド16で桐光学園、準々決勝で総体出場校の向上、準決勝で4年前の総体王者・桐蔭学園を連破。本命を次々に撃退して全国を掴んだ。本大会では徳島市立(徳島)、高川学園(山口)、開志学園JSC(新潟)、静岡学園(静岡)を倒し、栄冠まであと2勝--。野に埋もれていた湘南のタレント軍団が、ついに晴れ舞台へ躍り出た。
文=大島和人