岐阜工の背番号10・森龍 [写真]=安藤隆人
3年間背負い続けた10番、最後の最後でその意地を見せた。岐阜工のFW森龍は入学直後からいきなり10番を託され、1年生エースとして伝統校のストライカーの重責を担った。アジリティーとパワーに優れ、ゴール前で瞬間的な動きで決定的な仕事をこなすストライカーが背負ったその重みは、想像以上だった。
岐阜工と言えば、かつて選手権準優勝1回、インターハイ準優勝1回を誇り、これまで選手権出場25回、インターハイ出場20回を数える名門だ。しかし、森が入学する前年に選手権出場を逃すと、そこから全国は遠い存在になってしまった。
1年次のインターハイ予選は決勝に進出をするが、PK戦の末に帝京大可児に敗れると、選手権予選では準決勝で悲願の選手権初出場を果たすことになる中京(現・中京学院大中京)に2-4で敗れた。昨年もインターハイ予選決勝に進むが、またも帝京大可児に0-1で敗れると、選手権予選では準決勝で各務原にPK戦で敗退。この年も全国大会出場は叶わなかった。
そして迎えた最高学年。だが、この1年はかなりの苦戦が予想されていた。というのも、同年代の有力選手の多くが高校進学で中京学院大中京に進んだからだった。
「県トレのみんなが中京に行く中で、僕の兄も中京でサッカーをしていたのですが、敢えて別の高校に行きたかった。岐阜工は練習から物凄く厳しいし、そういう環境でやることが自分の成長に繋がると思いました」
森は仲間たちと別の道を選んだ。厳しい道とは分かっていたが、ここまで全国大会から見放されるとは思ってもみなかった。今年のインターハイ予選も有望な世代が3年生となった中京学院大中京が制し、岐阜工は準決勝で敗れている。
「県予選で何回も負けたことで、県内の人たちは『岐阜工は終わった』と思っている。岐阜工を相手にしても『勝てる』と思われているのが伝わるし、それが本当に悔しかったです」と、話す森に残された全国へのチャンスはあと一回。「もう最後。このチャンスを絶対に逃せない。大会前から中京、帝京大可児、各務原が有利と言われていて、それが凄く悔しかった」という下馬評の中、組み合わせの段階でも岐阜工は一番厳しいゾーンに入ったと言ってもよかった。順当に行けば、準々決勝で帝京大可児、準決勝で各務原、決勝で中京学院大中京と対戦する『過酷な道のり』だった。
相当な覚悟を持って臨んだ県予選だったが、森個人にとっても苦難の連続だった。
準々決勝の帝京大可児戦、後半立ち上がり早々に2度目のイエローカードをもらって退場処分を受けた。「残り時間も多かったので、もう祈るしかなかった」と、数的不利となり攻め込まれるが、仲間が必死で耐える姿を見て徐々に森の中にも勇気が湧き上がった。
「最初は『俺の高校サッカーが…』と思って、覚悟をしていたのですが、みんなが必死も1点のリードを守っている姿を見たら…。勝利した瞬間はもう感謝と信頼しかありませんでした」
苦難を全員で乗り越えて1点を守り切ると、準決勝の各務原戦は森抜きでの戦いとなったが、「スタンドから見ていて、『絶対に勝てる、あいつらならやってくれる』と思っていた」と、逞しい仲間を自信を持って見つめていた。仲間もそれに応え、各務原に1-0で勝利し、決勝進出を決めると、決勝の相手は中京学院大中京となった。
「チームのみんなに散々迷惑をかけてきたし、岐阜工で全国に出たいとずっと思って来た。それを絶対に実現させたいと思った」
エースストライカーは気迫にあふれていた。『中京学院大中京有利』の下馬評を覆すべく、立ち上がりから運動量を持って前線で猛プレスを仕掛けた。開始早々のチャンスに絡むと、スコアレスで迎えた48分にMF熊澤瑞希(3年)のシュートのこぼれをMF羽鳥大貴(3年)が押し込んで先制に成功した。そして54分には羽鳥の突破からPKを獲得すると「俺が蹴る」と言わんばかりにボールを抱え、ペナルティースポットへ置いた。そしてきっちりと決めると、これが決勝弾となった。
2-1で勝利し、ついに掴んだ3年ぶりの全国、そして4年ぶりの選手権切符。「ようやく掴み獲ることができました。PKは他の選手が外して後悔するより、僕が蹴って全ての責任を負った方がいいと思いました。全国では思い切り暴れたいです」と話す森の責任感と自覚は、1年生から10番を背負い続けてきたことで、相当に太い『信念』へ変わっていた。待ちに待った全国の舞台。これまでの敗戦を心に刻み、『岐阜工の象徴』となったエースストライカーが、高校最後の選手権に挑む。
取材・文=安藤隆人