インターハイを制した明秀日立 [写真]=川端暁彦
明秀日立(茨城)が“夏の高校サッカー日本一”に輝いた。
北海道旭川市を舞台に開催されていた今年のインターハイ男子サッカー競技。4日の花咲スポーツ公園陸上競技場で行われた決勝において、桐光学園(神奈川)を破った明秀日立が初優勝を飾った。
茨城県勢としても実に1979年の水戸商業以来となる44年ぶり2度目となる快挙達成だった。1984年生まれの萬場努監督にとっては「生まれる前の話ですね」と笑って言うしかないほどの時間を経ての戴冠だった。
決してフロックでの勝ち上がりではない。初戦では、高円宮杯プレミアリーグWESTで首位を走り、大会の優勝候補の呼び声高かった静岡学園(静岡)を2-1と撃破。視察に訪れていたU-17日本代表の森山佳郎監督は明秀日立の勝利をこう評した。
「これはジャイアントキリングとかじゃない。内容的にもまったく見劣りしていなかった」
実際、静岡学園のテクニックを封殺する猛烈なプレスと鋭いカウンターは確実に機能しており、シュート数でも上回っての勝利。入念な対策も実っての勝利は萬場監督と選手たちに確かな自信をもたらすことに。3回戦では高円宮杯プレミアリーグEAST首位を走る青森山田(青森)を後半アディショナルタイムのゴールで撃破。Jユース勢を抑えて東西の首位を走る今年度の高校サッカー最強校と目された2チームを下しての勝ち残りは、この時点ですでに大会最大のトピックだった。
その後は精神的な安堵感が出て「危ない」と踏んでいた準々決勝の高知戦を1-0で乗り切ると、準決勝では日大藤沢(神奈川)を開始から圧する形で3-1と快勝。そして決勝でも、「技術では向こうが上」(萬場監督)と率直に認めた相手に対して先手を取り、2-0から2-2に追い付かれる厳しい展開で迎えたPK戦を制し、初めての全国タイトルを掴み取った。
初の栄冠となった指揮官は、JFLでのプレー経験を持ち、引退後にそのまま明秀日立の監督となった異色の経歴を持つ。「まだ30代で若いんですが……」と年齢の上での若さを強調するが、まだ23歳だった2008年から明秀日立を指導しているのだから、指導者としてのキャリアは決して浅くない。茨城の県北地域で確実に力を蓄え、近年は全国常連校の一つになり、今大会は「最初から6試合を戦うつもりで」(萬場監督)、準備期間に本大会と同じサイクルでの練習試合や紅白戦を組むなど準備を整え、大会に臨んでいた。
優勝したあとに選手たちから「まさかここまで来られるとは思っていなかった」という言葉が次々に聞こえてきたように、無欲の勝利という一面はある。萬場監督も「静岡学園さんのような技術、青森山田さんのようなタフさはまだまだ自分たちには足りていない」と認めるとおり、他を圧倒したような大会だったわけではない。
ただ、偶然の勝利という感覚も皆無だろう。準決勝の日大藤沢戦、そして決勝の桐光学園戦がそうだったように、連戦の中でも足が止まることなくタフに戦い続ける姿勢、チーム一体となっての雰囲気など、勝てるチームの要素は揃っていた。また、今大会の県予選途中から伊藤真輝コーチに権限を委譲し、「試合中の指示出しなどはある程度任せて、自分は引いたところで観るようになった」というスタイルの転換を図ったことも奏功し、「本当に今まで見えていなかったものが見えるようになったし、冷静な判断ができるようになった」と冴えたチームマネジメントを見せての勝ち残りだった。
北海道の天然芝ピッチに苦しむチームが多かったことも、ボールを奪ってのカウンターに強みを出す明秀日立のスタイルと噛み合った部分もある。また「それは確実にあったと思う」と指揮官が認めるのは、気候面だ。北海道で開催された今回は1、2回戦が31.0度、3回戦が25.9度、準々決勝が31.0度、準決勝が26.4度、決勝も27.9度と「涼しい」は言い過ぎにしても、例年より明らかに動ける気候だったのは間違いない。例年は主導権を握れるチームが相手を走らせてバテさせて勝つことも多いが、今大会は走り勝つスタイルのチームがそのまま出し切って勝ち切るケースが目立った。その最高の成功例が明秀日立だろう。
もっとも、栄冠を手にした萬場監督は「思ったほどの感覚はない」と素っ気ない。それは「技術でもタフさでも『まだまだ足りないな』と思い知らされた大会だったから」だと言う。冬の全国高校サッカー選手権大会はもちろん、選手それぞれの次なるステージのために、「もっともっと高めていく必要がある」。39歳の指揮官は、日本一になったからこそ「次」を見据えていた。
取材・文=川端暁彦
By 川端暁彦