番組レギュラー解説委員を務める岩政大樹(東京ユナイテッドFC)がプロデュースするインタビューコーナー「今まさに聞く!」は、ゲストの一人である元日本代表DF市川大祐氏にスタジオで直接、話を聞くスペシャル版となった。
市川氏は17歳の時に清水エスパルスユースからトップ昇格を果たし、高校生の時に日本代表デビューを飾った経歴の持ち主。2016年に現役を引退し、現在は清水の普及部スタッフを務めている。
岩政大樹(以下、岩政) 内転筋どうですか? もう治りました?
市川大祐(以下、市川) 治りました。B級ライセンス養成講習会で負傷した内転筋はもう治りました(笑)。
岩政 一緒に取りに行っていますからね。引退されて少し時間が経ちましたけど、もう今の生活には慣れました?
市川 今の生活には、慣れましたね。でもやっぱり、選手生活が終わる時の寂しさというのはまだ少し感じていますし、試合を見ると「自分もまだピッチに立ちたいな」っていう思いは少なからずありますね。
岩政 引退試合もたくさんの選手が集まってくださって、いろいろな思い出があると思いますけど、「振り返ってどうですか?」と聞かれて浮かぶものってどの瞬間ですか?
市川 まずは清水エスパルスが自分の生まれた街にできて、僕の夢というのが明確になったということがすごく大きかったなって。そこから自分がエスパルスのジュニアユースに入ってユースに上がって、プロというものを目指して、そこでデビューした時のことは今でも忘れられないですね。初めて出た時は6分間だけの出場だったんですけど、その6分間がすごく長く、心地いい時間でしたね。
岩政 清水への思いというのは、引退される時にエスパルスで働くというところに繋がったんですか?
市川 まず自分が、育成から数えると18年間エスパルスでプレーをして、エスパルスのことを考えた時に、13年間プロで生活したんですけど、会社の中で顔を合わせている方がある程度決まっていて、そこを自分で考えていくと、あまりエスパルスのことを知らないなということに気づいて。まず自分がエスパルスのことを知らなければならない、知りたいということで、今エスパルスのサッカー普及部というところでスクールをして子どもたちと一緒にサッカーを学んでいるんですけど、自分としてもそういうところからエスパルスで働く、普及部で働くということを選びました。
岩政 普及部で働いてみて、新たな発見はあります?
市川 まずデスクワークを今までやったことがなかったんで、デスクワークは自分の中でも大変だなと思うんですけど、でもやはり子どもたちの指導というところでは、(幼稚園の)年中さんから小学6年生までを指導しているんですけど、難しさももちろん感じていますけど、やはりサッカーに携わるというのが楽しいな、幸せだなというのを感じますね。
岩政 市川さんと言えば、17歳の時ですかね、日本代表に入ったの。ワールドカップ直前に突然呼ばれたじゃないですか。あの経験って、今はどう思い返しています?
市川 あの時に呼ばれたのも、Jリーグで2試合に出場したタイミングでチームスタッフから電話が急にかかってきて、代表に入ったということを言われたんですね。僕はその時ユース代表とオリンピックの代表候補にも挙がっていたんで、「何の代表ですか?」と聞いたら「フル代表だ」と言われたんで、全く自分では理解ができなかったですね。出場した試合もアウェーの韓国戦、日韓戦だったので、またそこで余計に「何をすればいいんだ?」という戸惑いしかなかったですね、その時は。
岩政 今考えてもすごいですよね。そのさなかって必死なだけですよね?
市川 もう必死ですね。富士山に登るのに、軽装で行っちゃったな、みたいな(笑)。何の準備もなく富士山に登りに行っちゃったなっていう、そんな感じですね。そりゃ高山病にもなりますよね(笑)。
岩政 それってその後のキャリアに、もちろんいい影響もあったでしょうけど、自分の中で苦しい経験にもなりました?
市川 周りはやはり“17歳で選ばれた選手”というふうに見ますし、その翌年にオーバートレーニング症候群という病気にかかってしまって。Jリーグの試合に出て、高校に通いながら、ユース代表とアジア大会とかもあったので、それが全部、自分の中でプレッシャーと、あとは体が休まる時間がなかったんで。後から考えると、98年の時は必死だったんですけど、冷静に考えると「なるべくしてなったな」というぐらい忙しい年だったなって。
岩政 代表チームも何チームか掛け持ちしていたんですね。
市川 そうですね。また学校にも通っていたので、休みが本当にない。体と心が休まらなかったですね。
岩政 そこを乗り越える時に、自分でどう考えていかれました?
市川 自分でも考えはあったんですけど、やはり周りのサポートですね。監督、コーチが本当に僕のことを見てくれていて、常に僕のことを気にかけて見守ってくれていたので、それが何より心強かったですよね。
岩政 そこからキャリアの終盤には、全カテゴリーと言っていいぐらい経験されていきましたけど、あそこってどのような思いで渡って行ったんですか?
市川 自分はエスパルスの後にヴァンフォーレ甲府(J1)に行って、水戸ホーリーホック(J2)に行って、藤枝MYFC(JFL、J3)ですね。で、FC今治(四国リーグ)に行って、最後はヴァンラーレ八戸(JFL)までプレーしたんですけど、まずエスパルスを離れた時に、環境というものをすごく感じて、やっぱりエスパルスの環境というのはすごく整っていてサッカーに集中できる環境というのがあったんですね。最初は環境(にこだわりたい)というのが自分の中であったんですけど、でも「環境ってどういうことなのか」っていうのをもう一度自分で考え直して、その時に自分が今一番やりたいことは何なのか(考えた)。自分がやりたいこと、やっぱりプレーがしたい。プレーをする場所がある、そこに行けば自分がやりたいことがあるじゃないですか。だから別にグラウンドがなくても、施設がなくても、それは別に環境じゃなくて、自分のやりたいものがそこにあるなら、それがすべて、いい環境なんだ、というふうに、考えが変わりましたね。カテゴリーが変わっても、ルールは全く変わらないですからね。
岩政 その意味では、渡り歩いてすごくいい経験でしたね。
市川 そうですね。僕が渡り歩いて、チームから求められるんですね。いろいろな経験を伝えてほしい、選手たちに見せてほしい。僕もその気持ちでもちろんチームには行くんですけど、働きながらサッカーをしている選手たちを見ていると、逆に僕が学ぶことがものすごく多くて、すごく本当にいい経験、こういう選手たちと一緒にプレーできるのは幸せだなと思っていました。
岩政 これからは指導者を目指されていくんですか? 一緒にB級取りましたけど。
市川 B級行きましたけど(笑)。指導者というのは自分でもイメージは持っているんですけど、S級ライセンスを取ってJリーグクラブの監督というところまでは考えられてはいないんですね。でも今回ライセンスを取りに行った時に、本当にいろいろな人たちと出会って、その中でライセンスを取りに行く、何かをやるためじゃなくて、ライセンスを取って自分のやれることを広げていくということをまずして、自分がチャンスをつかみたい、自分の目標が決まった時につかめる準備をしておきたいなと。そういうふうに今考えています。
岩政 市川さんほどすべてのカテゴリーを経験した人っていないじゃないですか。その中で見えてきた、トップの選手となかなかそこに行けない選手たちの差って、今どのように考えていますか?
市川 まずJ1だと、一つ二つミスが繋がると失点というのをするんですね。でもカテゴリーが落ちていくと、そのミスが二つまでだとまだ失点しないんですね。三つ、四つ、五つして失点につながるというところでは、止める、蹴るとかっていうところの技術の差はあるなと。あとはゲームを見る目ですよね。そういうのはあるとは思うんですけど、でも情熱というのは、どのカテゴリーに行ってもみんな持っているなと感じています。
岩政 それをこれからの指導者生活にも?
市川 生かしていきたいですね。この経験は僕だけしかしていない経験だと思うので、これを僕が伝えていく義務はあると思うので、しっかり自分の言葉で、経験したことを伝えていきたいなと思っています。
ここで、ツイッターを通じて視聴者から「市川さん!サイドバックのやりがいや難しさはありますか?」という質問が寄せられた。市川氏はこのように回答した。
市川 やりがいは、サイドバックはやはり守備と攻撃というところはすごく。どのポジションでも重要なんですけど、長い距離を走って、でもボールが出てくる時もあれば、出てこない時もある、忍耐力は本当に鍛えられますよね。でもその走りがチームのためになっていると思えば、いくらでも走れるので、その意味では選手たちを信じて走り続けるポジションなのかなと。
2月9日(金)21時から放送の『スカサカ!ライブ』では、平畠啓史氏によるJリーグキャンプリポート~浦和・G大阪編~や、UEFAチャンピオンズリーグ決勝ラウンド開幕直前特集、We are UCL fans~石川直宏編~などを放送する予定となっている。
By サッカーキング編集部
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