[写真]=佐々木真人
J1通算631試合出場という大記録を残したGKは、自身の現役引退会見で次の目標をこう語っていた。
「多くの方がGKをやりたいと思うような土壌を日本でも作っていかなければならない」
その会見から1年後、楢﨑正剛氏は名古屋グランパスのアカデミーダイレクター補佐兼アカデミーGKコーチに就任した。
指導者としての歩みをスタートした楢﨑氏に、指導者としての理想像や、今後の展望について聞いた。
インタビュー・文=武藤仁史
写真=佐々木真人
――今年1月からアカデミーダイレクター補佐兼アカデミーGKコーチに就任されました。就任した経緯について教えてください。
楢﨑 去年末に当時のアカデミーダイレクターである山口素弘さん(現執行役員フットボール統括)から打診を受けました。去年からユースの現場に顔を出させてもらい、現場で経験を積むことに前向きな思いになっていたので、打診を受けることにしました。とはいえ、去年のグランパスU−18は結果も良かったし、アカデミーGKコーチの佐々木理(現アカデミーダイレクター)さんはそのカテゴリーで実績もあった。素晴らしい前任者たちからGKコーチを託されたので、少し荷が重いなと思っています(笑)。
――育成年代のGKを指導することに対してどんな思いを持っていますか?
楢﨑 現役生活を終えてから、自分が今までプレーしてきたものを次の世代に残していきたいという気持ちは強かったです。直にそういう年代の選手たちに触れ合って教える。それは自分のビジョンに直結する仕事ですよね。だからこそ、育成年代の指導にすごく興味がありましたし、実際にそういった打診を受けてうれしく思いました。
――実際の指導にあたり、どのようなアプローチをしようと考えていますか?
楢﨑 「ピッチ上で勝つために」とか「自分の能力を伸ばすために」という観点で指導することに対しては、ギャップなくできていると感じています。これまで自分がやってきたことでもあるし、さまざまな指導者から教わってきた経験がありますから。難しいなと感じているのは、教えている選手たちがプロではないということ。いずれプロになる選手もいれば、そうならない決断をする人もいる。サッカーを通じて人生を学んでいる時期でもあるんです。そのあたりの塩梅は、まだまだ分からない部分が多いと感じています。それでも名古屋のアカデミーには経験のあるスタッフが数多くいます。彼らのやり方を観察したり、彼らの考えに触れたりすることで、いろいろなことが学べている実感がありますね。
――その「やれている」感覚と「まだまだ分からない」部分、時間の割合はどちらが大きいですか?
楢﨑 本当に半分半分くらいかな。選手時代に見えていた部分と見えてなかった部分があるんです。感覚的にはその見えていない部分が想像よりも大きかった。例えば、学校との連携や親御さんとの関わりです。育成年代はサッカーだけをやっているわけではない。それは思っていた以上に大事にしなくてはいけない部分なんだと分かりました。
――楢﨑さんには3人のお子さんがいらっしゃいます。自分の子供が成長していく過程において、親としての接し方で意識していることはありますか?
楢﨑 やっぱり自分で考えてほしいですね。何事にも自分自身で気づいてほしい。なので、いわゆる”口うるさい親”ではないと思います。もともとがそういうタイプの人間ではないですしね。もちろん言わなきゃいけないところは言いますけど、基本的には自分で考えてほしい。しいて言うなら、僕の言動を見て気づいてほしいなと思っていますけど、そんなことをせずともいろいろな環境の中で学ぶことのほうが多いですから。やはり自分で考えて動いてもらうのが一番だと思っています。
――「自分の言動を見て気づいてほしい」とは具体的にどのようなシチュエーションの出来事ですか?
楢﨑 知り合いに会うときや、イベントに出演して人と会話している場面。それから、街を歩いていて声をかけられたとき。意外に僕はそういった場面の振る舞いを意識していました。思いのほかそういうシーンが多いんですよ。僕が全く知らない人とどのように話しているのか。子供たちには“見せやすい”と思っていましたね。
――気づいてほしいなと思っている事象があったとして、子供がそれに気づかない場合は?
楢﨑 事細かに「こういうときはこうしなきゃいけないよ」と言った覚えはほとんどないです。まあ、さすがに自分にも我慢の限界がありますよ(笑)。そのときはしっかりと言いますね。僕の子供は自分に似ているんです。だから家の外で問題を起こすことはほとんどない。外面がいいと言っていいのか、無難にやっているなというのは感じます(笑)。でもその半面、家の中でやらないことが多い。家の中でもちゃんとするべきことはすべきですよね。
――そういう場合に、親として”正しい解答”を明示するのですか?
楢﨑 それは時と場合によります。内容によって、いろいろですね(笑)。親として答えを言うべきときは言うようにしています。まあでも、夫婦のバランスとしては妻が口に出して指摘するタイプなので、僕はなるべく子供に対して「信頼をしてるよ」という気持ちが伝わる形で接するようにしています。「お前はやれるでしょ」という見えないプレッシャーを(笑)。基本的にはそういったスタンスを取っています。
――子供が自分で考える力を身につけるために、親や指導者はどういった考えを持つべきだと思いますか?
楢﨑 教える側に自分の考えや答えがあったとしても、それをすぐに提示してはいけないと思っています。特に指導現場ではそうですね。子供たちが選択しているプレーには、一つひとつ理由があるんです。今の子供たちは本当に多くの情報を見聞きすることができる。それらの情報を取り入れた上で、それぞれが考えて行動していると思うんです。我々は「なぜその行動を取ったか」を子供たちに聞いてから、他の考え方もあるかどうかを聞き出したほうがいいと思います。
――育成部門に携わる中で、ご自身に子供がいることがプラスに働くと思いますか?
楢﨑 めっちゃくちゃなりますね。たまたまですが、今の自分には高校生と中学生の子供がいます。関わっている子供たちと同じような世代なので、“今どきの男の子”のやることや考えていること、どのような態度を取りやすいのか、などは参考になっています。もちろん人それぞれ違いがあるので、一概には言えないですけど。
――これからアカデミー業務に携わる上で、どのような育成理念を持っていますか?
楢﨑 一番大きな枠でいうと、世界で活躍するようなGKを育てたいと思っています。これまで名古屋グランパスでプレーしてきて、現在もクラブに関わっているということも考えれば、まずは「名古屋のGKはさすがだな」と思ってもらうようにする。トップもアカデミーもそうならなくてはいけないと。まずはそこを目標にしています。
――ワールドカップの出場経験を持つGKで、現在指導者になっているのは楢﨑さんと川口能活さんの二人だけ。GKの質を高める育成メソッドを確立してほしいと思っている人は数多くいると思います。ご自身はそういった使命感を持っていますか?
楢﨑 まあ、ありますね。まだ、そこまで細かいところには行き届いてないですけど(笑)。
――ご自身の経験を還元できるイメージを持っているということですよね。
楢﨑 そうですね。今はそれを作り上げられる場にいます。同時に理さんの指導者としてのやり方や経験を感じられる環境であるのも、ものすごくラッキーだと思っています。
――現時点で楢﨑さんだからこそできる新たなチャレンジを思い描けているのでしょうか?
楢﨑 今はどうやっていけばいいかのは分からないというのが正直なところです。だけど、ゆくゆくはそうしないといけない。トップのところを経験している人は、そもそも数が少ないですよね。その経験を生かすのは、やはり同じような場所であるべきだと考えています。
――『WHITE BOARD』というオンライン講習会を拝見しました。楢﨑さんのGK専門講座がスタートしましたが、この新しいチャレンジに参画した理由を教えてください。
楢﨑 これまで自分がどういう考えを持ってプレーしていたのか、自分のプレーに対して何を感じ取っていたか。それをトップの水準で還元していかないといけないと感じたんです。自分が実際に選択したプレーに対してどう思っていたのか。いろいろな選択肢がある中でなぜそのプレーを実行したのか。図を見ながら語れるというのは、今までになかった方法ですよね。基本的な部分もあれば、それをアレンジするようなプレーも解説しています。本当にマニアックな内容になっていると思いますよ。やはり日本のGKのレベルアップを考えたら、裾野を広げることが必要だと思ったんです。もちろん現在やっているような育成に携わることも重要なのは分かっています。だけど、そもそも「GKをやりたい」と思う子供を増やすことや、トップの水準に触れてもらうことも大事だと思いました。
――『WHITE BOARD』は「最高峰の学びを、すべての人に──」というメッセージを掲げています。楢﨑さんがGK専門講座によって、まさにGKの知られざる情報が伝えられていると感じました。
楢﨑 僕がやっていたことは、本当に“普通のこと”だと思っていたんです。同じようなレベルのGKだったら、みんな同じような感覚や経験を持ち合わせていると。個々人で多少の違いがあったとしても、基本的なところは変わらないだろうと。だけど、実際にこの撮影をしていて感じたのは、GKをやったことがない人には全く共感されないということ。周りのスタッフが何度も「へー、知らなかったです」と言っていましたから(笑)。「本当に知らないんだ」というのが分かりましたね。
――実際に『WHITE BOARD』に出演された感想は?
楢﨑 やってみたらおもしろかったですよ。まあ、スタッフが自分のいいプレーだけを選んでいるから悪い気はしないですよね(笑)。だけど例えば、悪いプレーやミスしたプレーの解説があってもおもしろいと思いませんか? 失点しているシーンを振り返って、本当はこういうプレーを選択したほうが良かったと解説したり。
――GKの選手がこの映像を見ることで、その選手のプレーが変わる可能性があると思いますか?
楢﨑 それは分からないですね。GKが簡単に見えてしまうかもしれないです(笑)。動画を参考にして、その選手のプレーが良くなるのであればうれしいです。ただし、僕がやっていることがすべてではないし、それが正解かどうかも分からないですよ。いずれにせよ、そのプレーを獲得するためには結果的に練習するしかない。そして試合でその感覚をつかむしかないと思います。もちろん失敗することも必要になりますね。
――人が成長する上で「失敗から学ぶことがある」とよく語られるものです。楢﨑さんは成長において失敗が必要なものだと思いますか?
楢﨑 めちゃくちゃ思います。僕には本当に多くの失敗がありました。
――指導者の側になると、失敗を与えるのは難しい作業になるのでは?
楢﨑 難しいですね。なるべく失敗のないように指導するものですしね(苦笑)。やはり失敗は偶発的なものが多くなる。ゲーム中に起こるものが割合としては多くを占めるでしょうね。とはいえGKの練習だと、難しいシチュエーションを作ることはできます。そこでわざと失敗させる確率を上げられるんです。いろいろなシチュエーションのトレーニングをして、ゴールが決まってしまう。そうなった時に選手へ「どうやったら止められたのか」と聞き出し、考えさせることはできるんです。
――すでにご自身でオリジナルのメニューを考えていますか?
楢﨑 考えていますけど、そもそもアカデミー全体の大きな枠で年間や月間、週間でのテーマを設定しています。今までは理さんがそのテーマに沿って「この日はこういう練習にしよう」という流れを作ってくれていたんです。自分はそのテーマに沿った練習によって、選手がどう伸びていくのかという実感を得ていません。自分も早くそういった手応えをつかみたいなと思っている段階です。
――プロ選手に必要となるメンタリティは、高校年代から必要になるものでしょうか?
楢﨑 全員が全員に必要ではないのかもしれません。だけど、今の時代はJクラブのユース年代に所属している選手たちが、トップの試合に出て活躍できるくらいにならないといけない。そう考えると、プロ意識を強く持っておいたほうがいいのは間違いありません。トップから声がかかれば、すぐに登録されて、ひょっとしたら公式戦に出場することもある。そういうチャンスが近くにあるのだから、ポンと入っても遜色なくやれるメンタリティを育てないといけませんよね。
――現状はそのメンタリティが不足していると感じますか?
楢﨑 はっきり言うと、技術的にはとても高い水準になっています。ユースで王様のような振る舞いができる選手は、トップの練習に参加してもある程度はできてしまうと感じるくらい。にもかかわらず、実際にトップへ行くと自分を出しきれずに戻ってくる。それはメンタルの問題だと思います。呼ばれる側であれば、しっかり準備しないといけない。呼ぶ側もうまく適応させられるような環境を作らないといけない。ここは組織としてスムーズな連携が図れるように改善する必要があると思います。
――選手として接した中での“いい指導者”と、現時点で考えている“いい指導者”のイメージは一致していますか?
楢﨑 基本的には違いがありません。やはり誰にでも尊敬されるような人だと思いますよ。必然的にそういう人がトップに上がっていく。どこの社会に行っても、ちゃんと評価される人間でないといけないと感じています。
――日本サッカー界の育成に関して、そこに携わる一人として、これからどのようなことに期待していますか?
楢﨑 ある程度の厳しさを失ってはいけないと思います。世間的に厳しさのすべてがタブーのような雰囲気になっていますけど、プロの世界は相当にシビアで、厳しさを乗り越えないといけません。指導者と子供の接し方という観点だけではなくて、チームメイトとの競争もプロの中では本当に厳しいものです。そこに耐えられるだけの素地を培ってあげる必要があると思います。もちろん、楽しさにプラスしての話ですけどね。難しいことだと思いますけど、うまくバランスを取りながらやっていきたいです。あと、もちろん「GKっていいよね」という環境になってほしいです(笑)。
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By 武藤仁史
元WEB『サッカーキング』副編集長