TENDOUJIの(左から)ヨシダタカマサ、アサノケンジ、オオイナオユキ、モリタナオヒコ [写真]=須田康暉
千葉県松戸市で育ち、現在シーンで注目を集めるバンド『TENDOUJI』。
2014年、20代後半になってから初めて組んだという異色のバンドは、実はサッカーがつないだ仲。同じ学校、地元サッカークラブでともに過ごした4人は社会人になってからもフットサルを通じて関係がさらに深まり、新たな世界へと飛び出した。
幼少期は柏レイソルとともに育ったという4人にサッカーや柏レイソルへの愛、バンドとしての歴史やこれからなどを聞いた。
インタビュー=小松春生
写真=須田康暉
■プロチームからのスカウトも来た
―――実は2019年のツアーで宇都宮でのライブを観に行き、皆さんがステージに立つとき『The Name of the Game』をBGMで流していて、サッカーがお好きだと思い、少し時間は空きましたが、今回インタビューをさせていただくことになりました。まずは皆さんの出会いから教えてください。
アサノケンジ(以下、アサノ) 俺とヨッシーは小学校が一緒で、俺とモリタ、オオイが「新松戸サッカークラブ」という同じサッカーチームで。そこからで中学校で、みんなが同じサッカー部になってつながった仲ですね。
―――サッカーを始めたキッカケは何でしょう。
アサノ 小学校1年の時にJリーグが開幕して。100人くらいがサッカー部にいるくらい、サッカー人口が一番多かった学年なんじゃないかなって。
モリタナオヒコ(以下、モリタ) 「新松戸SC」は5軍ぐらいまであって。サッカーをやっておかないと遅れているような、みんなが一度は通る風習みたいな感じでしたね。
アサノ 小学校でも1つの学校に3、4クラブくらいあったね。
―――当時の実力はいかがでした?
アサノ ナオは1軍で10番。
モリタ チームは関東大会でぶっち切りに優勝するくらい強くて。よみうりランドの全国大会にも出ましたし、真面目にやっていましたね。中学校で部活に入るんですけど、プロチームからのスカウトも来たので、どうしようか迷いました。個人差はあるけど、みんな割と真面目にやっていたよね?(笑)
アサノ 俺が同じチームの2軍で。プレーはそこまで好きじゃなくて、頑張るというより、日曜日に集まって楽しむくらいの感覚でしたね。
ヨシダタカマサ(以下、ヨシダ) 3人は「新松戸SC」ですけど、僕は「きぼうサッカークラブ」というチームで。同じ地域なので対戦もしましたけど、僕はGKで、15点くらい取られて、ボコボコにされて(笑)。
アサノ 町内会のチームみたいなんですよ。俺も参加したことがあるんですけど、めちゃくちゃ楽しくて、移籍したかった(笑)。でも、「町内会以外の子はダメ」ということで。数年後にはいろいろな町内会の子どもを集めていたんですけどね(笑)。
オオイナオユキ(以下、オオイ) 僕は3人の1個下ですけど、チームは「新松戸SC」で。
モリタ 1個下の代が強かったんですよ。
オオイ 僕は全然練習に参加していなくて、一番下のチームでやっていました。試合では出してもらえていましたけど、練習に来ないと出さない方針になってからは、一番下のチームでも出られず、行くのをやめました(笑)。中学でまた始めました。ちゃんとうまいとは思いますよ(笑)。
■サッカーがつなげてくれた
―――モリタさんはスカウトもあったとのことでしたが、プロは視野に入れていましたか?
モリタ 高校の推薦で強豪校に行くかは悩みました。一方でメンバーはすごく勉強ができて、「勉強ができた方がカッコいいんじゃないか」というモードになって、高校は別々でしたけど、俺も進学校に進んで、サッカーを辞めちゃいました。そこが分岐点ですね。でも、中学1、2年くらいまでは気持ちを持っていましたよ。中3の時、流通経済大柏高校のスカウトが来て、練習会に参加して諦めました(笑)。ぜんぜん違うなと。
アサノ 流経大柏がちょうど強くなり始めた頃で。
モリタ 本田裕一郎監督が選手を補強して、一気に強化して。へこみましたけど、嬉しかったことでもありますね。
―――皆さんバンドとしては異色のキャリアです。学生時代、同じ時間を過ごしたものの、バンドを始めたのは20代後半になってから。オオイさんはドラムもそこで始めています。
オオイ そうですね。ドラムはまるで見たこともないような状況で。
モリタ 人前で演奏したこともないし、習ったこともない状態でした。初心者ですよね。
―――なぜそこから始めようと?
アサノ バンドをやりたいとは思っていたんです。高校生の時、弾けないながらも友達とスタジオに入ってみたり。そのうちバンドをやるんだ、とは思っていて、それが10年続いた感じですね。それぞれ就職したりしてからも、沸々とした思いはあって、27、8歳くらいのタイミングで「バンドをやる」、「あきらめて普通に生きていく」を考えて、やろうと決めました。そこまでに何か頑張っていたことがあれば、バンドはやらなかったと思いますけど、1度も頑張ったものがなかったので、やろうかなって(笑)。
モリタ 人生で何か1個くらい頑張ろうかなって(笑)。
―――学生時代の関係性が生かされもしましたね。
アサノ バラバラの高校に進学したので、関係性が終わると思っていたんですけど、地元で週1回のフットサルを始めてからはいつも集まっていたので、それがなければバンド以前に、今ほど仲が良かったかも、わからないですね。サッカーがつなげてくれたよね。
■柏レイソルは自分たちの生活と距離が近かった
―――皆さんは千葉県の松戸出身ということで、柏レイソルのエリアとなります。小さいころから試合は見に?
ヨシダ 行っていましたね。
モリタ ナビスコ行ったもんね。
アサノ 初優勝の試合(1999年)。ミラクル吉田(GK吉田宗弘)ね。PKになってみんなで「ミラクル吉田!」って叫んで(笑)。
モリタ こんな簡単なコールあるのかよってね(笑)。レイソルの試合は、自分たちの生活において、距離が近かったんです。「来週見に行く?」くらいな感じで。チケットも今より安かった気がしますし、サポーターも熱くて。
アサノ 学校の各クラスに熱狂的な親がいるんですよ。俺らの場合は、小学校の先生が熱狂的だったし、中学校でも友達のお母さんが熱くて「いつ行く?」って。千葉にはジェフユナイテッド市原(当時)がありましたけど、地元では「Jリーグにいる」感じがしていなくて、柏が初めてJリーグに入った時に「地元感」を感じたんですよね。
―――ナビスコカップ決勝の他に思い出の試合や選手はいますか?
オオイ 加藤望ですね。ずっとレギュラーだったんですけど、徐々にサブになっていった時期に試合を見に行って。2-2の同点で望が出てきて、CKを蹴って、ゴールにつながったんですけど、CKを蹴る目の前で酔っぱらった大人と一緒に「望、望!」って叫んでいて(笑)。ゴールが決まって「声が届いた」って思ったことは、はっきり覚えていますね。
アサノ 俺は完全にエジウソン。退団セレモニーがあった試合(1997年)を見に行って、なぜかアウェイのユニフォームでスタジアムを回ったんですよ。
一同 (爆笑)。
アサノ みんなとハイタッチをしてくれて。当時、芸能人とか有名人に触るのが初めてで、エジウソンに触れた手を、「絶対に洗わない!」って言っていましたね(笑)。
モリタ 俺は北嶋(秀朗)かな。市立船橋高校からレイソルに加入したことははっきり覚えているなぁ。
オオイ 選手権で優勝してね。
アサノ 地元のチームがスターを取った!っていう感覚がすごくあって。
モリタ すごかったもん。高校時代めっちゃモテたと思う(笑)。ベテランになってからもすごかったね。
■女の子に「稲本に顔が似ているね」って(笑)
―――柏以外ではいかがですか? アサノさんは今日、ディエゴ・マラドーナのユニフォームを着ています。
アサノ マラドーナ、(アレッサンドロ)デル・ピエロ、小野伸二は特別です。
―――マラドーナは世代的に少し違います。
アサノ 自伝を読んだり昔の映像を見て、マラドーナって、ほぼ“キリスト”だと思っているんですよ(笑)。
―――マラドーナ教は実際にあります(笑)。
アサノ 聖書に「キリストがこんなことできるわけない」って思うことが書いてあっても、もしかしたら2000年前にできていたかもしれない。そして、マラドーナは実際にやっていたと思うんですよ。そういう類いの人ですし、地球史に残る人です。サッカーをやっていることが、むしろもったいないくらいの感覚で。1986年ワールドカップのイングランド戦は、モーゼが海を割ったレベルの話じゃないですか。「神の手」と「5人抜き」が同じ試合で起きて。それはもう聖書レベルですよ(笑)。ロマンをギュッと詰め込んで体現した人ですよね。
オオイ 俺は稲本(潤一)ですね。中学3年の時が2002年の日韓W杯で、当時はボランチをやっていたんです。そうしたら女の子に「稲本に顔が似ているね」って言われて。それがすごく嬉しくて、そこから応援するようになりました(笑)。
アサノ 俺ら世代は“ボランチ”っていう単語をハメられた世代で、まず守りっていう感じだったんですよね。
オオイ でも、稲本は点を取っていて。俺はボールを奪うタイプのボランチだったんですけど、それからは上がるようになって(笑)。
ヨシダ 僕はGKをやっていたので、(川口)能活さんですね。いいセーブをすると「川口みたいだね」って言われるくらい、日本のGKの代名詞ですから。小学校の時、母校がサッカー大会の開催校になったことがあって、教室のベランダに「がんばれ、西小の川口」って書かれた僕への応援の段ボールが張ってあったりして(笑)。能活さんのプレーは今でも目が離せないです。
モリタ 俺は名波(浩)がすごく好きで。「日本の10番は左利き」を定着させたのは名波だと思っています。
―――モリタさんも同じ左利きです。
モリタ 左利きのプレーヤーが好きでマネをしたりしていました。あとは右利きですけど、左足がうまかったパオロ・マルディーニも好きでした。子どもの頃はセリエA全盛期で。小さい時、イタリアに行ったことがあって、サン・シーロにも行ったんです。デカすぎて、衝撃でした。「サッカーってこんなにすごいんだ」と。トトカルチョも盛り上がっていて、サッカーのカルチャーがまったく違うと思いました。マルディーニのユニフォームは買って帰りました。ロベルト・バッジョも好きでしたね。
■もう1度、お客さんの歓声を浴びたい
―――以前、地元・松戸でイベントなどもやってみたいとお話しされていました。僕の個人の願望として、京都大作戦(10-FEET主催の音楽フェスティバル)では、会場内の体育館でバスケットボールの大会が同時開催されていて、スポーツと音楽が一緒に楽しめるイベントがサッカーでもあってほしいな、と思っているんです。
モリタ それ、やりたいですね。松戸には音楽的なイベントが意外となくて、「そのうちやりたいよね」「フットサルのブースを作るのもいいよね」なんて、話をしていたんです。
アサノ フットサルだったら体育館があればできるし、何なら広場にライン引いちゃえばできますからね。
―――サッカー好きなアーティストも多いですし、それで取り持つ輪もありますね。
モリタ 一緒に何かやりたいですね! でも、まずは俺たちのサッカーの実力が落ちてきている(笑)。
アサノ 俺ら4人は監督で、チームを作って対戦しよう(笑)。
―――4月末にニューアルバム『MONSTER』が発売され、ツアーも行われました。コロナ禍という状況で難しいこともありますが、その中でできるチャレンジもあると思います。どういった年にしていきたいですか?
アサノ ツアーは延期になった場所もありましたけど、各地それぞれでお客さんが待っていてくれて、ディスタンスを保ちながら各自が楽しんでくれました。やってよかったですね。今後もできる時は思いっきりやるので、来られるのであれば、皆さん来てくださいという感じです。アルバムも発売中の『MONSTER』を楽しみながら、もう1枚の『Smoke!!』も楽しみにしていてほしいですね。2021年後半戦も注目してもらえれば!
―――アルバムに収録されている『FIREBALL』は、チャントを思い起こす声から曲が始まります。
モリタ あれ大変だったよね。
アサノ 自分たちで録ったんですけど、大太鼓もちゃんと持ってきて(笑)。5人くらいで5、6回と重ねて録って、チャントっぽくなるようにしました。
―――サッカーファンに向けておすすめの楽曲はありますか?
モリタ 歌詞は英語だけど、意外と歌いやすい曲が多いと思っています。「オッ、オー!」とか「アッ、アー!」とか掛け声が多いので、応援に使っていただけたら、本当に光栄ですね。柏レイソルのレイくんから、SNSでコンタクトももらいましたし、まずは地元のレイソルからそういったことが起きればいいなって。曲を使ってもらえるなら、何をしてもらってもいいですし、気に入ったらぜひ使ってほしいですね。
―――バンドとしての目標はありますか?
モリタ 目標はあまり決めたことがないんです。コーチェラ(アメリカの音楽フェス)に、いつか出たいという大きな目標はあるんですけど、何だろうね?(笑)
オオイ もう1度、お客さんの歓声を浴びたいですね。
アサノ 歓声が気持ちいいのは、サッカー選手になりたかった気持ちが小さい時に少しでもあったからだと思うんだよね。サッカー選手のつもりで受けているところもあるし。
オオイ あるある(笑)。
ヨシダ 『The Name of the Game』でステージに入場しているしね(笑)。
アサノ ライブ中の煽り方もミュージシャンとしてではなく、サッカー選手になっているつもりだもんね(笑)。
モリタ デカい歓声は、また浴びたいですね。
TENDOUJI
最新作『MONSTER』発売中
<収録曲>
1. CRAZY feat.ROY (THE BAWDIES)
2. HEARTBEAT
3. FIREBALL
4. TOUCH
5. STEADY
6. MY SOFT BONES
7. DODA
8. COCO
9. THINGS ARE GOING TO BETTER
10. YEAH-SONG
bonus track.(CD ONLY) くさったバナナ
By 小松春生
Web『サッカーキング』編集長