[写真]=野口岳彦
2020年限りで現役を退いた中村憲剛。その足跡を辿る映画『ONE FOUR KENGO THE MOVIE ~憲剛とフロンターレ 偶然を必然に変えた、18年の物語~』が2021年11月、神奈川県川崎市の映画館2カ所で公開されると、瞬く間に話題を呼んだ。
鑑賞した村井満Jリーグチェアマンも「ぜひ全国で」と望むなど、多くの反響の声が上がると、ついに実現。2月11日から全国公開の運びとなり、間もなく公開終了となる。
映画の“主役”中村憲剛に、11月公開時の反響や全国公開への感謝とともに、作品を通じて込めたJリーグ、サポーター、携わるすべての人々への思いと願いを聞いた。
インタビュー=小松春生
―――現役生活を退いて最初の1年を振り返って、どんな年でしたか?
中村憲剛(以下、憲剛) 一言で言うと濃密でした。自分が18年間生きてきた世界は、言ってしまえば広くはない世界で、一度外の世界に出てみることを僕自身、望んでいました。クラブも快く了承してくれて、多くの方と仕事をさせていただきました。勉強になること、刺激的なことばかりで、自分の幅もかなり広がったと思っています。概ね、やりたいことはやれた1年でした。
―――“中村憲剛”がアップデートされた感覚ですか?
憲剛 “外の世界”では当然、サッカーに関することだとしても、選手として求められるものとはまったく違うことを求められます。伝える側になったので、アップデートというより“新しい中村憲剛”という感じですね。
加えて、“新しい中村憲剛”を今後アップデートしていくには、現役時代とはまったく違うものをアップデートしていかないといけないと感じていて。例えば現役時代も試合は見ていましたけど、今はカテゴリー問わず、もっと見るようになりました。どこにでも発見はあって、自分次第で勉強になることはたくさんある。1年やってきて、何をやるにも「結局は自分がどうしたいか」だと思いました。
―――映画でも描かれていますが、自分の考え方次第で変わるということは選手時代と一緒ですね。
憲剛 物事の考え方は現役時代と同じです。自分が試合で起用されるため、数多くいるチームメイトのため、中村憲剛をどうやってアピールしていくかと一緒です。いつでも呼ばれる可能性があるし、出来次第では呼ばれなくなる。準備することと、出番が来た時にパフォーマンスを発揮することは一緒です。
―――“新しい中村憲剛”のスタートではありましたが、ご自身の映画が上映されることは「まさか」だったと思います。
憲剛 まさかですよ! 「冗談でしょ?」と言いましたから。
―――中村憲剛の歴史を撮りたい、世間に知ってもらいたい、という熱意もあっての公開だと思いますし、そういった存在だと思わせる選手、人物であったということが形として表現されたんだと思います。
憲剛 撮影にはいろいろな方に応じていただけました。しかも、一人ひとりがかなりの時間、僕のことやフロンターレのことを話していただいて、感謝しています。そして、今回の全国公開に向けてはJリーグや村井満チェアマン、明治安田生命さん、イオンさんなどにもご協力いただいて、感謝しかないです。
―――2021年11月に川崎の2カ所で公開され、そこで多くの反響を呼んだことが全国公開にもつながりました。
憲剛 僕、映画についてSNSで投稿するときは、『#ONEFOURKENGO』を必ず入れるようにして、ハッシュタグがついている投稿は、全部見たんです。そうしたら投稿されている数がとんでもなくて。皆さんがたくさん感想を書いてくれていたので、すごく嬉しかったです。
この映画は、僕一人の物語ではないんです。フロンターレというクラブがあり、フロンターレを取り囲む人たちの話です。プレーヤーの中村憲剛も、周りの選手がいるからこそ自分も輝く選手でした。多くの方たちの理解と協力のもと実現したことが嬉しかったです。
―――川崎の2022シーズン新体制発表会で、「これは皆さんの映画です」と憲剛さんからサポーターへ伝えていました。
憲剛 コロナ禍にも関わらず、多くの方に見ていただき、「すごくよかった」と言ってもらえました。家族ですら「泣いた」と言っていたので、そういう映画なんだろうなって(笑)。普段の僕を見ている家族は、サポーターの涙、チームメイトの涙が鮮明に残っていると言っていたので、やっぱり僕というよりも『フロンターレの映画』なんです。僕の名前は入っていますが、それを超越している。それくらい反響も大きかったですし、自分にとって、映画になることは恥ずかしいことであったはずなんですけど、すごく誇らしかったです。
―――作品としてご覧になって、登場人物である“中村憲剛”はどう映りましたか?
憲剛 恥ずかしいですけど、「真っすぐなやつだな」と思いました。今でこそ国内外含めて、選手の移籍は自由になりましたが、よく一つのクラブで18年、しかも最初は勝てず、タイトルもなかなか取れない中でやったなと思いました。でも、それがなぜできたのかがよくわかった映画です。加入した当時はJ2だったチームが現在の形に至るまで、どこにその「源」があったのか。今思うと、僕は流れに乗っただけだなと。僕の立場からはそう言うんですが、他の人からは「いや違うんだよ、憲剛がそういうことをやったから、周りがついていったんだよ」と言われるので、お互い様なんだろうなと思いますね。
―――クラブと選手、地域、スポンサーなどが相互に関係しあって、ポジティブに前へ進んでいく。Jリーグの理念を体現するにあたって求められることです。映画の中でも数多く表現されています。
憲剛 正直、Jリーグの理念をあまり知らないまま、フロンターレに入ったんです。でも、地域の皆さんのもとへ足を運んで交流していくことで、勝っても負けても愛され続けるクラブにならなければいけないと、意識するのではなく、自然と思うようになりました。それがよかったのかなと。
地域密着をより大きく考えていくようになるのは、J1に昇格してからくらいだと思います。それまではとにかく必死でしたから。伊藤宏樹さん(現・強化部)と二人で、どうやったら等々力を満員にできるか、ずっと話していましたし、当時のクラブスタッフや武田信平社長、みんなが同じ方向を向いていました。全員が同じ方向を向いているときのパワーは、映画で振り返っても感じます。
フロンターレの試合を見た地域の皆さん、サポーターの皆さんに幸せな気分でスタジアムから帰ってもらう。それはプロ選手としての役割です。同時に、普段はスタジアムで真剣にサッカーをしている選手たちが、ピッチの外では気のいいお兄ちゃんでいて、子どもたちと一緒に遊んでくれるような存在になる。それはすごくいいことで、これも地域密着の一つの形だと思いました。いろいろな形がある中で、フロンターレにとってはこの形がベストだったと思います。
これは、みんながやれることだと思うんです。自分はそこから大きくなっていったクラブの真ん中を走ってきた人間なので、それは大きな声で自信を持って言えます。必要なのは、人と人のつながりと、「このクラブを良くしたい」という熱量。そして選手やスタッフが徐々に集まり、その輪を大きくしていくことが大事なんです。さっき言った「源」とはそこで。手をつなぎ、輪を大きくできるかが「源」なんだろうなと映画を通して感じました。
―――“中村憲剛の映画”でありつつ、作品では大きく「中村憲剛の成長」「川崎フロンターレの成長」「地域創生」の3軸で構成されていると感じました。一つのクラブの成長事例を知る教科書のような作品でもあると思います。それが全国で公開される意義も大きいです。
憲剛 「道は一つではない」と伝えられると思っています。僕たちはJ2から始まっているクラブですし、J1昇格からの降格も経験しているクラブです。しかも、ホームタウンの川崎は近隣都県にライバルクラブも多く、サッカー以外にも遊びに行ける場所がたくさんある、大変な地域です。それでも、どこを軸にして自分たちが動いていけば、ここまで成長できるのかというヒントが見える作品であり、一つのモデルケースだと思っています。
わからないものを知ることはすごく大事なことだと思います。すべてを真似する必要はないですが、ヒントはそこかしこに転がっている。例えば、選手に対して「応援しているチームでずっとプレーしてほしい」と願ったとき、どういう後押しをするといいのだろうと、一人ひとりが考えることもクラブを支えることになるかもしれない。クラブがもっと認知され、強くなるには、どういう関わりをすればいいか。サポーターも胸に同じエンブレムをつけているんです。もしかしたら映画館から帰る時、そういう気持ちになっていただけるかもしれないと、僕は思っているんです。
―――いろいろなクラブのサポーターが、自分ごとに置き換えて見てほしいと。
憲剛 フロンターレがやってきたことをひけらかすつもりはありません。だけど、「こういうことをやってきた」という事実は見てもらいたいですね。ここ数年でタイトルも取れるようになりました。それがなぜかという部分。サッカー的な話以外の部分で、どうやったらそうなっていくか、ですね。村井チェアマンもそこを踏まえて全国展開を、とおっしゃってくれたと思います。地域密着を今も地で行くクラブですから。
感想も人それぞれだと思います。一度見るだけでは終わらないかもしれない。僕が言うと宣伝くさくなりますけど(笑)。「3つの軸がある」とおっしゃっていただけましたが、3通りの見方ができるんです。「僕目線」「クラブ目線」「地域目線」というところ。区切られてはいても、それぞれが絡み合いながら進むので、見るたびに別の見方になるかもしれないなって。
―――あえて「ここは見てほしい」というシーンを挙げると?
憲剛 自分よりも、サポーターや地域の方たちが、クラブをどう見ているか、ですね。勝って、泣いて、喜び、悔しがる涙を見て、僕の涙よりもグッときました。だから、オープニングから僕はダメでした(笑)。
―――“皆さんの映画”でありつつ、“中村憲剛”をいう存在が軸ではあります。サッカーを始めてからの学生時代、プロ生活、日本代表などの中で、“喪失感”と“克服”が多く描かれています。
憲剛 自分のことを振り返ると、そんなことばかりだなと思いました。だけど、最終的にはどこかで乗り越えられると思っていて、立ち向かっていく姿に期待している自分がいて。自分の可能性に蓋をしてしまうのは自分です。いくら周りに言われても、自分が諦めなければ突き進める。突き進む道の種類はいろいろあっても、間違いなく前進はできます。でも、歩くことを止めたら先には進めません。大事なのは自分がどうしたいか、どうありたいかということではないかと、中村憲剛という元プロサッカー選手を通して感じられると思います。
「諦めなければ夢は叶う」って、すごくくさいセリフですけど、サッカー選手としての人生は最後まで送れました。ただし、闇雲にやるのではなく、チームや自分がどうしたらよくなっていくか、強くなっていくかを効率的に考え、周りの協力があって自分の夢が叶いました。
結果が出ず「もう辞めよう」と思ってしまったら、33歳くらいで引退していたかもしれない。でも、最初のタイトルは37歳の時だし、その歳になっても真剣に追い続けるかどうかで、結果は変えられる。頑張ることや諦めないことって、意外とできないんです。どこかで自分に絶望したり、落胆しまう。だけど、僕に関しては愚直にフロンターレというクラブでどうやってタイトル取るかの1点だけだったんです。そこを軸にどうやって試合に絡んでいけるか。そこを研ぎ澄ませました。
35、36歳の時、「自分はタイトルが取れず、引退した次の年にサクッと取るんだろな」と思いました。でも、「40歳までやる。自分でタイトルを取る」という気持ちを持ちながら、「自分がいなくなった後は後輩たちに頑張ってもらわないと」という意味でも成長を促した結果、すごく成長してくれて、タイトルも取らせてくれました。自分のためだと思っていたことが、結果的にクラブのためになったんです。
自分はサッカーをすることが大好きで、妥協はしたくなかった。「この1日を頑張ればもっと良くなるかもしれない」というところを怠らず、細かいところから大きなところまでを客観視して、律するところは律し、緩めるところは緩めることをしてきました。どうやったら自分の人生を挽回して、もっといい自分にしていくか、そのヒントが映画には描かれていると思います。
―――川崎というクラブの歴史は続く中、“中村憲剛”はその一部であり、今後も歴史は続いていきます。未来へ続くメッセージが作品に込められていると感じましたが、Jリーグに今後もいろいろな人が関わってほしい思いはありますか?
憲剛 サポーター、選手、スタッフは入れ替わっていきますが、クラブは続いていきます。Jリーグは今年、30年目を迎えますが、いろいろな意味でやっと大きく1周した感じがしているんです。その渦中にいる時は精一杯、Jリーガーとしての役目を果たさないといけない一心でしたが、自分が引退したこと自体がJリーグの歴史の厚みを作り出している一部であると感じていて。続けることは何事も簡単ではないと思っています。僕が川崎に加入した時、Jリーグまだ10年。しかし、30年ともなれば、当時応援していた子どもは大人になり、自分の子どもをスタジアムに連れてくるわけです。当時の親世代も孫ができ、3世代、4世代と続けば、Jリーグとしても文化、歴史が積み重なってきているフェーズになります。ピッチ内で言えば、海外に移籍した選手が日本に戻ってきてプレーするようにもなりました。
この積み重ねを続け、アップデートをして、いかに日本がワールドカップで上位に行くか。そこは国として一番大事なところです。その要素として、Jリーグは大きな役割を果たしていますし、支えているのがサポーターの皆さんやスポンサーの皆さん、実際にチームへ携わる人たちです。この国のサッカー力を上げていくことは、それぞれの立場でJリーグにどれだけ関われるか、貢献できるかだと思います。映画ではフロンターレの話になっていますが、それはどのクラブも、Jリーグも一緒だと思います。僕は18年間、フロンターレ、Jリーグ、日本代表とお世話になりました。そこで培ったものを還元したいと今も強く思っていますし、映画もその一つかもしれないと思っています。
―――Jリーグや各クラブへの思いはいかがでしょう。
憲剛 僕は引退の時、セレモニーを開いていただきました。選手が同じクラブに長く在籍するケースは多くありません。だからこそ、セレモニーのような形で選手を労うことが当たり前になってほしいと願っています。その姿を見た若い子が憧れを持ち、「このクラブで生涯を遂げたい」と思うようになるかもしれません。海外でも例はありますが、日本は独自のスタイルを築いていると思いますし、一生の記憶に残る。僕もはっきり覚えていますし、すごく感謝しています。それがJリーグ、クラブ、選手をまた一つ成長、成熟させると思います。
―――全国公開となったので、多くの方が多様な見方、目線で中村憲剛、川崎フロンターレを見ることになります。
憲剛 まず、とにかく見ていただきたいです。そしてどういった感想をお持ちになるのか。川崎であれば予想がつく部分もありますが、全国の方にどう見ていただけるかが興味深くて。自分の好きなクラブや選手に置き換えるなど、いろいろな形があると思います。とにかく「見てください」と言うしかないんです(笑)。僕も、まさか人生において自分の映画の告知をすることになるとは思っていませんでした。俳優の方も「ぜひ見てください」と言われますけど、見ていただかないと話が進まないので、そう言うしかないです(笑)。そして、忌憚のない感想をいただきたいです。
―――いろいろな感想が出ることで、次の新しいものが生まれるきっかけにもなりますね。
憲剛 そうですね。なので、この映画を見たことで「自分たちはこの路線で行こう」、「こういう新しいことをしてみよう」と、サポーターやクラブの方に思っていただければ、僕は大満足です。全国にあるJリーグクラブに対して、自分がどう携わるかを考えるきっかけになってくれれば、こんな嬉しいことはない。ですので、ぜひ見に行ってほしいです。結局、最後はこれになっちゃうんですよね(笑)。
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By 小松春生
Web『サッカーキング』編集長