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新しい距離でのサッカーとの繋がり 歴史を紡ぐ川崎F・OB会設立と未来を作る女子サッカー支援<後編>

2025.03.21

 Jリーガーとして14年間、7つのクラブでプレーし、2004年に川崎フロンターレ、2007年に東京ヴェルディと、2つのチームのJ1昇格に大きく貢献した吉原慎也さん。「人」「心」のつながりを何よりも大切にしていることもあり、昨年発足した、自身が最も長く在籍した川崎FのOB会『FOB会』設立の中心メンバーとして活動。今後も積極的に尽力していく考えだ。

 インタビュー後編は、『FOB会』も含めた、今の自分だからこそできるサッカー界への関わり方や、社会人として、さらには『吉原慎也』という一人の人間として最も大切にしている信条についてうかがった。

 取材=上岡真里江
 撮影=吉田英久

――引退後、サッカーとはあえて距離を置いていたという一方で、冒頭では「ゴールキーパー(GK)の経験が今の仕事に活かせる部分が多々ある(前編掲載)」との言葉もありました。

吉原 はい。GKというポジションはいろいろ考えますからね。自分が得点するのは難しいポジションなのに勝ちを求められたりとか、仲間が点を取れなくて引き分けたり負けたりしたのにGKが代えられたりとか、理不尽なことが結構あるので。そういう、いつ、何が起こるかわからない立場の中で、訪れた理不尽を受け入れて次に進むというのは、GKならではなのかなと。

 今、社会に出て思うのですが、一般社会でもそういう「受け入れなければ前に進めない」みたいなことってたくさんあるじゃないですか。そういう意味では、サッカー、GKを通して人間力やメンタルが磨かれていった気もしますし、俯瞰的に周りを見渡して、先読みするという学びが今の仕事に繋がっているなというのは、あらためて思いますね。

――「いずれ違った形でサッカーに携わることは決めていた」という中で、約8年半と現役時代最も在籍期間の長かった川崎フロンターレのOB会設立、運営に携わっていらっしゃるとのこと。どのような想いからの立ち上げだったのでしょうか。

吉原 3年ぐらい前に、当時の監督だった関塚隆さんと食事をしている中で、「みんなで集まりたいな。ぜひ頼むわ」とおっしゃっていたので、中村憲剛、伊藤宏樹、寺田周平さん、森勇介など、僕が在籍していた当時のフロンターレの選手たち10人ぐらいに声をかけて、あらためて集まったんですよ。その席で「クラブとしての歴史もだいぶできてきたし、OBも増えてきたから、そろそろOB会を作った方がいいんじゃない?」という話になったのがきっかけです。会長は中西哲生さん、副会長が井川祐輔、憲剛と宏樹と僕の3人が理事という役職に就いて、2024年5月15日から正式に活動しています。

 その最初のイベントが昨年10月12日。フロンタウン生田というクラブのグラウンドが新しくできたので、そこにOBを30人ぐらい集めて、サポーターも500名募って、OB戦をやったんです。それが好評で、今後も自己満足ではなく、しっかりとした社会貢献活動としてクラブと共に地域やファン・サポーターに恩返ししていければなと考えています。

――今ほど名前の挙がった顔ぶれは、フロンターレが2004年にJ2優勝、J1昇格を果たした歴史的メンバーですね。

吉原 そうなんですよ。その後、クラブとしてはJ1で4回も優勝するなど、今でこそビッグ・クラブとなっていますが、僕が在籍していた頃(2001年8月から2009年)は、クラブハウスはプレハブでしたし、練習場のお風呂なんか、壊れたライオンの口からお湯が出ますみたいなね(笑)そういう不便な環境を今の選手たちは知らないわけですよね。

 でも、歴史というのは積み重ねであって、その中で『変わっていいもの』と『変わってはいけないもの』があると、僕は思っています。もちろん、企業も一般社会もそうですが、変えていかなければいけない部分、そのためには捨てなければいけない部分も出てくると思いますが、逆に、変わってはいけないのが『歴史』だと思うんですよね。OBたちがコツコツと積み上げてきた歴史の基盤の部分だけは、もう一度しっかりと価値を再確認して、「フロンターレは、さすが、そういうところもしっかりしている」というものを作り上げていかないと、“フロンターレらしさ”というものをいつか失ってしまうんじゃないかなという危機感みたいなものも、正直、近年感じていました。フロンターレって、“ファミリー”というか、みんな仲良くて、家族的で、サポーターもブーイングをしないし、温かい。本当の意味で『1つのまとまったチーム』という僕の中にあったイメージが、なんか壊れちゃうんじゃないかなという気がして、動かずにはいられなかったんですよね。

 ファン・サポーターに対しても同じ気持ちです。移籍や引退などでいなくなってしまったら、その選手とはもう「はい、さよなら」じゃ寂しすぎますよね。でも、引退したあとにチームにOB会として戻ってきて、また会える状況を作ることができれば、その頃応援してくれていた方たちにもあらためて恩返しになるのではないでしょうか。そこからまた繋がって、一緒に楽しいことができれば、クラブとしてもすごく良い歴史ができていくし、サポーターとしても根強く応援したいと思えると思うんですよね。 

――なるほど。そうした考えを持ったメンバーが揃い、クラブの歴史を築いてきたからこそ、川崎フロンターレはいい意味で“ファミリー感”のイメージがあり、共有力が高く強いサッカーを実現できたのですね。今後は、どのような将来を見据えていらっしゃるのですか?

吉原 目先のところでは、今携わっている女子サッカーを盛り上げたいなと思っています。女子サッカーの現状って結構厳しくて、サッカーをやれる環境自体がないんです。特に中学校のチームがほとんどない。そこで辞めてしまう子たちが多いので、それを何とかしたいんですよね。日本の女子サッカーはワールドカップでも優勝しているぐらいポテンシャルが高いわけですから、衰退させてはいけない。WEリーグなどと連携したりして、どうにか盛り上げたいと考えています。それに、指導者としても、女子へのアプローチの仕方は男子とはまったく違うので新鮮です。実際、日経大女子サッカー部と携わっていて、どういう風に話しかけたらいいのか、どうしたら伸びてくれるのか、どうしたら心を開いてくれるのか。そういったところの難しさも含め、すごく新鮮で興味深いので、今後も関わっていくのが楽しみです。

――最後に、元プロアスリートの先輩としてネクストキャリアを考える現役選手に伝えたいことがあれば、ぜひお願いします。

吉原 僕が思うのは、サラリーマン時代を通しても、仕事に学歴は関係ないということです。なので、たとえ高卒からプロになったとか、いい大学を出ていないからとかをコンプレックスにもつ必要はないと思います。学歴があるからビジネスで成功するというわけでもないですし、MBA(経営学修士)を取得して経営がうまくいくんだったら、誰もが取得しているわけですよ。でも、そこではない何か違うものがあるんです。そういった意味で、スポーツで得られた生活をかけて勝敗を争うメンタリティー、負けて這い上がることの繰り返しというのは、誰よりも強いと本当に思います。スポーツ以外でも、何かを本気でやって、うまくいかなくて這い上がろうと頑張る経験というのは、絶対に社会で生きるはずです。

 仕事なんて覚えていけばいい。最終的に大事なのは“ハート”ですよ。人とビジネスをやるのであれば、何かを達成できたときに「やったね!」と心から喜びあえる仲間と一緒にやりたい。『何をやるか』の前に『誰とやるか』はすごく大事にした方がいいんじゃないかなと、僕は心から思っています。

吉原慎也プロフィールル】
グローバル・エージェンシー・コーポレーション株式会社 代表取締役・CEO
茨城県日立市出身 1978年生まれ
高校卒業後、横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)に入団し、アルビレックス新潟在籍時にプロデビュー。川崎フロンターレや東京ヴェルディのJ1昇格に貢献した守護神。14年間の現役生活ではJ1、J2通算162試合に出場したが、キャリア後半は怪我に苦しみ2010年に引退を決断。
引退後は建設会社に就職し、並行して輸入会社を設立。その会社を独立させ現在に至る。経営者としての日々を送る一方で、長く所属した川崎フロンターレのOB会設立や、日本経済大学女子サッカー部のスポンサーとしての支援、さらには地域の育成年代へのサッカー指導を行っている。

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