文=平野貴也
今回は天皇杯全日本サッカー選手権に出場したFC町田ゼルビアから、一人の大型センターバックを取り上げたい。高卒でプロ入り後、苦悩を抱えながらプレーしてきた生真面目な男は、母から受け取ったある一言から自分を解放し始めた――。
▼天皇杯、見せ場は来た
ピンチにワクワクしているストッパーがいた。
9月5日(土)のJ3第27節、YS横浜と対戦した町田ゼルビアは前半に退場者を出して守備的な戦いを強いられた。
「思ったよりサイドバックが対応してくれたのでクロスはそんなに上がって来なかったけど、(深津)康太君とは『見せ場だな』と言っていた。上げられても、中で対応できれば良い。もう少し上がって来れば面白かったと思ったくらい」
そう話したのは、深津とセンターバックを組んだ増田繁人である。町田の公式サイトの選手紹介メモに「高いところで困ったらマグ(※増田の愛称)まで連絡を!(笑)」と書かれているように、189センチという類まれな長身が目立つストッパーだ。今季から町田に加入し、第7節以降は累積警告により出場停止となった1試合を除いて先発出場。主力として活躍している。
増田にとっては、悲願のレギュラー獲得だ。「今までにない充実感を味わっている。次の瞬間こそゴールを取るぞという緊張感を全員が持ち続けている環境での駆け引きは、公式戦にしかない。J1で練習した方がレベルの高い選手が多いし、上手くはなる。でも、この緊張感の中でしか得られないものが大事だと思う。1週間、試合に向けたトレーニングをして、最後まで戦い抜くのは、やっぱり楽しい」と話す笑顔に充実感がのぞくのは、プロ入り後のキャリアで苦しみを味わって来たからだ。
▼高卒新人にありがちな……
2011年に流経大柏高校からJ1新潟に入団したが、出場機会は少なく、3年目からはカテゴリーを下げて期限付き移籍を繰り返した。最初の移籍先となったJ2群馬では開幕スタメンを飾るなど出場機会を得たが、鎖骨骨折で長期離脱した間にポジションを失った。昨季はJ2大分に籍を移したものの、起用されたのは、途中出場1試合のみ。今季はカテゴリーをJ3に下げる形で町田へ移った。プロ入りするときに思い描いた将来とは違った軌跡になったことは否めない。
この4年間、増田は高卒ルーキーが陥りがちな悩みに苛まれてきた。守備面では対人の強さ、的確なチャレンジ&カバー、緻密なラインコントロール、攻撃面では効率的なビルドアップと正確なロングフィード……。現代のセンターバックには多様な能力が求められる。監督やチームによって、求められる種類や優先度の高さは異なる。試合に出られなかった増田は、監督の評価を上げることばかりを考え、自分を見失っていった。
増田は「正直、去年はまったく試合に絡めず、自信をなくしていた。自分はどういう選手なのかが分からなくなってしまった。夏頃には、この先どうなるんだろうと思い始めていた」と打ち明けた。個性の発揮とチーム戦術の遂行は、バランスを取りながら両面を発揮しなければならないが、プロに入って一層強いプライドを持ちながら、急に試合に出られない環境に身を置かれる若い選手は、開き直って得意なプレーだけをしてしまったり、課題ばかりに目が向いて自信を失ったりしがちだ。増田の真面目な性格が悩みを助長した可能性を持っているのは、皮肉なことでもある。
▼息子に投げかけた母の一言
しかし、増田は悩みから解き放たれた。きっかけは、母の言葉だった。
「あなたが高校生でプロに進むか悩んでいるとき、中学時代のコーチは『マグ(増田の愛称)には武器となる一芸があるので、プロでもきっとやっていけます』と言っていたわよ。それで勝負すればいいんじゃないの? 中学生のときも得点していたじゃない」
今季を前にしたオフに食事をしたときに聞かされ、ハッとしたという。流経大柏でも長身を生かした空中戦の強さが特徴であり、その点を評価されて日本高校選抜にも選ばれていた。悩みは一周し、原点に戻った。母親に助けられたと話す増田は、照れくさそうな表情を見せたが、「あの一言は大きかった。自分がどういう選手なのか、当たり前のことだけど、再確認できた。今までは自主練習でもほかのことばかりしていたけど、今年はヘディングばかりやっている。『これで勝負するんだ』と思えた。空中戦で跳ね返すことと、セットプレーから点を取ること。今は、自分の武器をしっかりと出しながらプレーができている」という言葉には力がこもっていた。
▼いざ、名古屋戦へ
悩み、遠回りをしてきた増田だが、ようやくプロの舞台で生き生きと輝き始めている。戦いは、これからだ。所属する町田は、9月9日(水)に天皇杯3回戦でJ1名古屋と対戦する。J2以上に与えられる本選出場のシードはなく、東京都予選から勝ち上がってたどり着いた舞台だ。増田にとっては、自分の存在価値を証明する絶好の舞台となる。格上相手との試合では、YS横浜戦と同様に守備陣が目立つ展開が予想される。
「J1の選手と対戦できるのは、久しぶり。出場できれば、今の自分がどれぐらいできるのかを体感できる良いチャンス。相手はJ3とはレベルの違う選手になるけど、それを止められれば。不安は全然ない。楽しみしかない。J3は、なかなか目が向かないところ。言い方が少し悪いけど、少し結果を出したくらいで評価が大きく上がることはない世界。だから、J3の自分たちもこれだけできるぞというのをチームとして証明すべき機会だと思う。見せ場になりますね。少なくとも、その試合は名古屋の関係者の方が見るでしょうし、ほかにも見てくれる人がいるはず。そこでチームとしても、個人としても価値を上げられる試合になればいいと思う。やってやりたいなと思う」
J1相手に自分の武器であるヘディングを見せつける。その先に狙うのは、天皇杯の醍醐味、ジャイアントキリングだ。
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