広島戦に出場した川崎FW大久保嘉人 [写真]=春木睦子
いまさらではあるが、川崎フロンターレのゴール裏スタンドには、大久保嘉人のJ1通算ゴール数を表示する“YOSHI-METER”(ヨシ・メーター)なる巨大な横断幕が掲示されている。
2年前の2013年シーズンにJ1通算100ゴールを達成してから作成されたもので、アメリカMLB(メジャーリーグ・ベースボール)でプレーするイチローの女性ファンが手作りした、安打数を表示するボード“ICHI-METER”(イチ・メーター)を参考にしたものだ。イチ・メーター同様、大久保の得点が決まるたびに更新担当のサポーターが横断幕に駆けつけて手動でカウントアップ。実はゴール後に合唱する“BasketCase”を歌い終わるまでに更新しなければならないという暗黙の了解があるそうで、更新担当は毎回時間との戦いらしいが、いまや得点時の名物となっている。
そして佐藤寿人とのJ1通算得点記録更新争いで注目を集めたサンフレッチェ広島戦でも1ゴールを記録。“YOSHI-METER”は155に更新され、中山雅史(JFLアスルクラロ沼津)のJ1歴代最多得点まで2点と迫った。
川崎フロンターレ移籍後、3シーズン目で66点という驚異的なペースで量産を続ける男に対して、対戦相手も無策ではない。ゴール前での徹底監視は当然のこと。この試合の広島も、人数をかけた分厚いブロックでスペースを消しながら、前線から下がって受けようとする大久保にはセンターバックがマンマーク気味で対応するなど、あらゆるエリアにおいてJリーグで最も危険なストライカーの自由を制限しようとしていた。
そんな中で生まれたのが、83分の同点ゴールだった。味方からボールを受けると、軽く助走をとってミドルレンジから右足を一閃。急激に軌道が変化したシュートは、キャッチング態勢に入っていた相手GK林卓人の逆を突くような格好になり、その左手をすり抜けてゴール中央に転がりこんだ。
「いつものアウトにかけたシュートを狙おうと思ったが、あまりしっかり当たらなかった。GKの正面かと思ったけど、ああいう形で入った。シュートは、どこからでも打てば何かが起きるので」
シュートの軌道が狙い通りでなかったことは、試合後の大久保本人が明かしている。ただその「何かを起こすため」の準備は周到だったと言える。それは、パスを受けてからシュートモーションに入るまでの時間、大久保がまったくフリーだったことでわかる。あのフリーの時間とスペースを生み出すための狙いについて、中村憲剛がこう証言をしているからだ。
「左で作りながら自分がコミ(小宮山尊信)からボールをもらってユウト(武岡優斗)に出した。ユウトが少し運んだことで、その瞬間にエアポケットができた。横ズレができたら、ああいうシュートチャンスは生まれるし、あのズレは前半から活かせると思っていた。そうなれば、ヨシトなら決められる」
ゴール自体は偶然という要素も味方したが、あのエリアでシュートチャンスを作り出せたのは、狙い通りだったということである。事実、サイドにできるこの両脇のスペースを使って、前半の大久保嘉人は2度のミドルシュートを放っている。この試合最初のビッグチャンス、20分に小林悠が放ったヘディングも、そのエリアでボールを持った大久保が供給したクロスによるものだ。ペナルティエリアの中でなくても良い。たとえエリアの外でも、大久保が前を向いてボールを持てば「何かが起こること」をチームメートはわかっている。だから、大久保の場所と時間の自由を確保するために彼らも動き続けるのである。
面白いのは、大久保自身も味方のために動くことがゴールに直結すると確信していることだ。あるとき、ゴールを量産できる秘訣について、大久保嘉人がこう明かしてくれたことがある。
「自分のゴールが欲しいときほど、そこで『自分が、自分が』となるんじゃなくて、みんながうまく回るように意識してやる。人のために動くと、良いところで自分にボールが転がってくるんだよね」
彼が言うには、自分のゴールが欲しいときほど、そこで焦らず、欲を出さずに周囲を見渡して、チームが循環するようなプレーに徹するのだという。そうすることで、不思議とチャンスが巡ってきて、最終的には自分がゴールを決めることもできるというのである。人のために動くことがゴールにつながるというその哲学は、自身に2年連続の得点王をもたらし、ここにきて公式戦7試合で9得点を叩き出している。
なにより現在の大久保嘉人には、ゴールを奪い続けなくてはいけない理由も増えた。言うまでもなく、莉瑛夫人のためだ。今夏に流産し、治療のために使用した抗がん剤の副作用で髪が抜けるかもしれない妻を励ますために、彼は3人の息子と頭を丸刈りにした。その姿と経緯をSNSで公表すると、テレビニュースでも取り上げられるなど、本人も戸惑うほどの反響を集めることとなった。練習後は連日いつも以上に多くの報道陣に囲まれたが、その話題を避ける空気を出すこともなく対応。聞く側が気を使うであろうデリケートな質問を受けても真摯に答え、この日の試合後には、一時退院となった莉瑛夫人と試合前に連絡を取り、「早めに抗がん剤治療をしてもらったら、帰れるかもしれないとは言ってました」と明かしている。
「これからも1試合1点は取っていきたい」
今年残されたリーグ戦は3試合。その言葉通りにゴールを積み重ねていけば、現在155を記録している“YOSHI-METER”の数字は、157を越えることも可能だろう。人のために動くことでゴールを決め続けてきたストライカーは、様々な思いを抱えながら、前人未到の3年連続得点王へと邁進し続けている。
文=いしかわごう
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