大分トリニータ、J3降格の背景…歯車の狂いがもたらした悲劇

大分トリニータ

町田に敗れ、J3降格が決定した大分トリニータ [写真]=春木睦子

 田坂和昭監督就任5年目の今シーズン、大分トリニータはわずか勝ち点1差でJ1昇格プレーオフを逃した昨年度の悔しさを糧に、勝負の年として位置づけていた。開幕前には「J2優勝」を高らかに宣言。だが、歯車は実はこの少し前から狂い始めていた。気づかずに走り出した車はひずみを抱えながら加速し、止まった時にはJ1経験クラブとして初めてJ3に降格してしまうという悲劇が待っていた。

 かつてヤマザキナビスコカップを制し、大型スポンサーに頼らない経営スタイルで“地方クラブの星”と呼ばれたことがあった。11月の日本代表戦では、先発メンバーに西川周作(浦和レッズ)、森重真人(FC東京)、金崎夢生(鹿島アントラーズ)、清武弘嗣(ハノーファー/ドイツ)が名を連ねていた。彼らは大分でプロサッカー選手としてキャリアをスタートさせ、ユニフォームのエンブレムの上に輝く星にプライドを持っていた選手たちである。この輝かしい時代から一転したのが2009年。J2降格が決まり、約12億円の債務超過が発覚して経営危機が訪れる。前述の4選手を含め、大量の主力選手がチームを離れることを余儀なくされた。クラブとして最も低迷したのが、この時期だったかもしれない。だが、この苦難をサポーターや県民、行政、経済界の三位一体で力を合わせて乗り越え、2013年に一度はJ1復帰。一年でJ2に降格したが、それでもJ1のステージで戦うことが大分のミッションであることは、誰もが信じて疑わなかった。

 それがまさかのJ3降格――。なぜ大分はこのような状況に陥ってしまったのか。

 そこにはビジョンと危機管理の欠如が大きな背景にある。

 まず一つ目はチームの構成を考える補強のつまずきだ。末吉隼也(現アビスパ福岡)、FC東京から期限付き移籍していた林容平を始めとする主力級の慰留に失敗し、彼らが相次いでチームを去っていった。ところが今シーズンの補強を見ると、結局は昨シーズンの戦力に匹敵する人材を集めることができなかった。確かに補強はしていたが、様々な人材に手を出しながら、新たなチームの軸になれるようなタレントを獲得できなかったのが現状だ。また、戦力として計算できにくい新外国籍選手の補強でもエヴァンドロ、ムリロ・アルメイダ(3月からAC長野パルセイロへ期限付き移籍)は不発に終わり、加入2年目のダニエル、4年目のキム・ジョンヒョンも期待どおりに活躍したとは言い難い。シーズン途中に永井龍(期限付き移籍期間終了につきセレッソ大阪へ復帰)や荒田智之、パウリーニョなどJ2で実績のある選手の補強を敢行したこともあったが、起用法がままならず、場当たり的と言わざるを得ないケースが少なからずあった。

 しかも今シーズン途中、成績不振を理由に田坂監督解任に踏み切ったが、肝心の次期監督を見つけることができなかった。新指揮官の条件に「Jクラブの監督経験者で、アカデミーなどで育成の経験がある人」を挙げ、条件を満たす3人の候補と交渉しながら話がまとまらず、強化部門のトップを務めていた柳田伸明氏が監督になる事態まで起きてしまった。いつ、何が起こってもいいように水面下で監督候補をリストアップしておくのが強化部長やGMの仕事だが、有事の際のリスクマネジメントを欠いていた。しっかりとした方向性がないまま監督を解任し、選手をかき集めたとしても、中身がないため“張りぼてのチーム”しか作れない。そのツケがそのまま崩壊につながってしまった。ピッチで結果を出せなかったのは選手たちだが、その裏側で強化面での失敗は否めず、クラブ側が持つ責任はやはり大きい。

 戦術的なことを言えば、前体制を踏襲した柳田監督がメスを入れたのは、「サッカーの本質をしっかりやる」ということだった。ここで言う“本質”とは、「攻守の切り替えを早くする」、「球際で負けない」、「相手より運動量で勝つ」、「戦う姿勢」といった戦術以前のこと。選手としてはポジションを獲得するため、ピッチで存在を示すために監督の方針に従い、戦術を厳守してプレーしなければならない。それが田坂体制では選手たちが監督の教えを必要以上に聞き過ぎている感があった。過敏に監督の言葉に反応し、ある意味で戦術に縛られ過ぎていたように思えた。

 対照的に柳田監督は「ピッチに出たら選手が考えてプレーしろ」というタイプで、最低限の決まりごとはあったが戦術らしき戦術はなかった。良くも悪くも選手任せの部分が多く、選手に頼り過ぎていた感はある。柳田監督就任後は試合翌日に出場したメンバーでミーティングを開くことを義務づけた。この話し合いに柳田監督は参加せず、まずは選手間だけで思いの丈を吐露し合わせたようだ。為田大貴曰く、「決してネガティブなものではなく、選手に何ができるか、そしてどうやって結果を得るかを再認識する」ものだったという。選手たちはミーティングの内容をまとめたレポートを監督に提出して考えを伝えた。その結果、監督は選手の意見を前向きに捉え、双方の合意の下、いくつかのマイナーチェンジを施していったようだ。ただ、監督が先に選手の意見を聞き、それを受け入れて戦い方を決めていくスタイルは、サッカーチームとしての組織系統が破綻していると言わざるを得ない。

 そして致命的だったのは、最大の武器であった“大分愛”を持つ選手が少なくなったことだ。これまでチームに脈々と流れていた「ひたむきに仲間のため、チームのために走って戦うサッカー」ができなくなった。サッカーを根性論や感情論で語るつもりはないが、今シーズンは「チームのために」、「監督のために」といった発言をする選手があまりに少なかった。また、松本昌也が「今年のチームは危機感が足りなかったし、選手がもっと話して自分たちのやりたいことを共有しなければいけなかった」と振り返ったように、選手たちがどこか他人ごとのように淡々とプレーしていた。悪いプレーやミスに対して誰かが怒るわけでもなく、そこに危機感を感じる者もいなかった。誰も矢面に立たないし、立とうとしない。誰も責任を取ろうとしない。戦う気持ちが伝わってこず、チームとしてバラバラな感じすら漂った。一昨年までなら宮沢正史(現岐阜/今シーズン限りで現役引退)、昨年なら高木和道(現FC岐阜)のようにキャプテンシーを発揮できる選手がピッチ外でチームをまとめていた。しかし、表面に現れない仕事をしていた功労者を評価することなく放出したツケが出た。ここが誤算の原点だったかもしれない。リーダーなき後はまとまりを欠き、いつしか一体感のある戦いでリーグを沸かせていた「トリニータらしさ」が抜け落ちてしまったのではないだろうか。

 来シーズン、J3で戦うことになってしまった大分だが、まずはいかに早くJ2へ戻ってこられるかが大きな宿題となる。西山哲平強化育成部長代理は今回のJ3降格を受け、「育成型クラブというコンセプトを掲げている以上は、そこからブレずにチームを作りたい」と話した一方で、「既存の戦力を極力残したいが、選手たちにも生活があり、厳しいものがある。ただ、アカデミー出身選手を中心に構成し、足りない分は(アカデミーの選手を)2種登録することなどで補いたい」と現時点でのプランを明かした。今後のポイントはここにある。かつて大分が好調だった時代のベースには、まさに“育成”があった。今年もU-18がJユースカップで準決勝進出を果たすなど結果を残している。かつては西川や清武、梅崎司(現浦和レッズ)らを輩出し、現在のチームでも為田が中心選手として活躍。クラブとしてはアカデミー出身の選手がトップチームの根幹を担うという成功例を持っている。もちろんそれにすがっているだけでは勝てないが、再建のヒントはそこにあるはずだ。

 J1からJ2への降格をきっかけに「強豪」と呼ばれるようなポジションへ巻き返したクラブは多い。J2で基盤を整え、昇格後に旋風を巻き起こす形だ。しかし、一方で降格から立て直せずになかなか昇格できないクラブ、J1に定着できず何度も昇降格を繰り返す“エレベータークラブ”もある。大分の場合はJ3降格となり、経営面でさらに厳しい状況に追い込まれることは間違いない。重要なのは今回の降格をどう受け止め、どう進むか。とにかく根幹をしっかりと考えなければ先はない。今後、大分がどのような道を歩むか分からないが、クラブとして何度も同じようなことを繰り返し、ついにJ3降格という屈辱を味わうことになってしまった。不本意な形ではあるが、ようやく生まれ変わるチャンスを得たと言えるのかもしれない。これまでの歴史は終わった。しかし、それは新しい時代の始まりでもある。明確なビジョンを築き、力強い第一歩を踏み出してほしい。

文=柚野真也

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