涙が止まらない。自軍のベンチ前でフラッシュインタビューを受けたJFLの奈良クラブ(奈良県代表)のFW岡山一成が、日立柏サッカー場のセンターサークルへ向かおうとした直後だった。
スタンドに残っていた柏レイソルのファンやサポーターが総立ちになって拍手を送り、自らの名前をコールしてくれる。まるで映画のような光景。もう限界だった。ピッチの中央からすべての方向へお礼をするつもりだった38歳の大ベテランは、右手で目頭を押さえながら、人目をはばかることなく号泣した。
「まずは悔しさがあって、そこへ拍手されてやはりうれしかったというか、何かこう(グッと)来ちゃって。今までになかった状況の中で、正直、僕自身も感情を抑えきれなくなってしまって……」
3日に行われた第96回天皇杯全日本サッカー選手権大会2回戦で、奈良クラブは柏に2-5で敗れた。2006シーズンから1年半にわたって柏でプレーした岡山は、古巣とのゲームに83分から途中出場。かつて熱き思いのすべてを捧げ、「いつか必ず戻ってきたい」と誓いを立てたピッチに、約9年4カ月ぶりに立った。
涙腺を決壊させた最大の理由となった悔しさは、88分のシーンに凝縮される。右サイドから上げられた絶妙のクロス。ペナルティエリアのやや外側から勢いをつけて、滞空時間の長いジャンプからヘディング弾を見舞おうとしたが、ミートしきれなかったシュートは力なくゴールバーを越えていった。
「自分の感覚では“もらった!”と思ったんですけど……。僕は今までああいう場面で、特にこの日立台では必ず決めてきたつもりなんです。でも、今日はダメだった。奈良クラブの選手たちは持っている力のすべてを出して、2度もリードを奪って、レイソルを本気にさせたと言ったらあれですけど、相手の力をも引き出した。その時に自分が最大限の力を出せなかった。それがとにかく悔しくて……」
この時点でスコアは2-4。岡山がシュートを決めていれば、4分間と表示されたアディショナルタイムを含めて、その後の状況は予断を許さないものになっていたはずだ。実際、ベンチで戦況を見守っていた柏のキャプテンで、かつて岡山と同じ時間を共有しているMF大谷秀和は、ピッチの中央からベンチへ戻っても泣き続けていた岡山へこんな言葉を掛けている。
「ああいうところでオカさん(岡山)は決めてきた。だから危ない、やられたと思いましたよ」
岡山は2006シーズンにともにJ2を戦い、柏をJ1へと導いた同じ1978年生まれのエースストライカーで、ロアッソ熊本移籍後の2013シーズン限りで現役を退いた北嶋秀朗(現アルビレックス新潟コーチ)の言葉をふと思い出していた。
「キタジ(北嶋)が引退する理由として“ここぞという時に決められなくなった”と言っていたんですね。僕はその意味がずっと分からなかったんですけど、ちょっと今日は本当に……いや、僕は絶対に(引退は)しないですよ。絶対にしないんですけど、この大舞台で、しかもレイソル相手にあの場面で決められなかったことで、キタジの言葉の意味が分かったというか。あれこれ(外した)理由を言っても、周囲からは“岡山は衰えた”と見られちゃうのもやっぱり悔しい。でも、この悔しさを味わいたくないから、明日から……明日はちょっと休ませてもらいますけど、その次の日からまた練習しないと」
JFL昇格2年目となる今シーズン。岡山はすべて途中出場で3試合、計37分間しかピッチに立っていない。コンディションは問題ない。日々の練習で若い後輩たちと切磋琢磨しながら、全力で競い合った結果として、ベンチ入りを勝ち取れなかった。
それだけに、柏戦で遠征メンバーに入ると連絡を受けた9月1日の午後には、武者震いを抑え切れなかった。奈良クラブの選手たちは、チームのスポンサー企業で働いているケースが多い。岡山もチームグッズを製造・販売する会社のアドバイザーを務めている。ベンチ入りの連絡は中村敦監督から、メールもしくはLINEで仕事中に届く形になっている。
「もちろんうれしかったけど、正直、今日の試合を見てくれたら分かりますよね。みんな本当に頑張るし、誰が試合に出ても遜色なくプレーできる中でしのぎを削り合っている。僕がメンバーに入ったということは、誰か一人が外れたことを意味する。みんなJリーグでプレーしたいと頑張っているからこそ、今日は勝つために来た。その舞台で何もできなかったことが悔しいんです」
試合前の練習。慣れ親しんだピッチの感触を味わいながら、岡山は柏ファン・サポーターから温かい出迎えを受けた。川崎フロンターレ時代に有名となり、いつしか『岡山劇場』と命名された試合後のマイクパフォーマンスは、日本で最も観客席との距離が近い日立柏サッカー場でも瞬く間に名物となった。
ゲーフラに書かれたセリフがきっかけとなって、サポーターからは毎試合のように「オカヤマ、柏に、家買っちゃえ!」と熱いコールを受けるほど、老若男女の誰からも愛される存在になった。柏とガンバ大阪が激突した2009年元日の天皇杯決勝では、当時無所属だった岡山が柏のユニフォーム姿でゴール裏へ駆けつけ、最前列で熱い声援を送り続けてもいる。
柏に注ぎ続けた愛情の深さを知っているからこそ、ファンやサポーターも聖地・日立台への“凱旋”を喜んだ。それでも岡山はセンチメンタルな思いを封印して、恩返しとなる勝利をもぎ取るために集中した。果たして、注目の一戦は岡山をして「奈良クラブ、なかなかやるなというのは分かってくれたんじゃないかな」と言わしめる展開となる。
前半から鋭い出足で柏にプレッシャーを掛け続ける。セカンドステージで6位につけ、8月27日には首位の川崎を5-2で撃破した好調の柏相手に堂々のスコアレスで折り返すと、後半開始直後からは一方的に主導権を握り続ける。
迎えた55分。右サイドからDF三浦修が放った低く鋭いクロスに、FW小笠祐史がリオデジャネイロ・オリンピックのバックアップメンバーだったDF中谷進之介と競り合いながら右足を合わせる。この鮮やかなボレーが、同じくリオの舞台に立ったGK中村航輔の牙城を打ち破った。
3分後にFW大津祐樹に同点弾を喫したが、わずか3分後の61分には再び勝ち越す。右CKをファーサイドに詰めたDF谷口智紀が豪快な右足ボレーを見舞った。岡山のゴールなどでベガルタ仙台を撃破し、痛快なジャイアント・キリングを演じたのが2014年の天皇杯2回戦。世紀の番狂わせが再現されるのかとスタジアムも騒然となった。
しかし、直後に柏がギアを一気に上げる。大津とクリスティアーノの2トップ、さらには途中出場のMFドゥドゥが“個”の強さを存分に見せつけ、足が止まり始めた奈良クラブを圧倒する。それでも目の前でもぎ取られた怒涛の4連続ゴールが未来への糧になると、岡山はポジティブに受け止めていた。
「本気を出された時の大津、クリスティアーノ、ドゥドゥといった一線級の選手たちのすごさ。今まで自分たちがやっていたサッカーとは違ったスピード感があったけど、そこを出させたことは逆に良かったと思っている。いくら僕が口で“上のレベルはこうやぞ”と言っても、肌で感じることが一番早いじゃないですか。みんな小さかったり、あるいは細かったりと何かしら足りないんですけど、それでもとにかく一生懸命に。それだけではたどり着けない場所もあるんですけど、だからこそこの奈良クラブはどのようにすれば柏のようなチームと戦えるのか。そこを突き詰めていきたい」
83分に投入された岡山は、186センチの長身を駆使して前線でターゲットになり続けた。競り合った相手は20歳の中谷。柏時代の岡山は背番号「32」だったが、奇しくも中谷もユースから昇格した2014シーズンに「32」を背負っていた。何よりも将来のJリーガーを夢見ながら、日立柏サッカー場でトップチームを応援していた柏レイソルU-12時代。目の前で岡山が奮闘していたことを中谷は覚えている。
「あの時は確かセンターバックで、負けているとFWで出ていましたよね。記憶の中にある選手と戦えたことはすごく楽しかったけど、今日はヘディングの競り合いでけっこう負けてしまいました」
岡山との空中戦を苦笑いしながら振り返った中谷は、奈良県初のJクラブを目指す奈良クラブが掛けてきた想定外の圧力に慌ててしまったことを認める。
「思っていた以上の圧力でした。正直、後半は割り切って(中村)航輔のところからパスをつながずに、前でセカンドボールを拾おうと。クリスティアーノのところで、勝負ができたので」
コンサドーレ札幌を退団した後の約8カ月間のブランクを経て、岡山が奈良クラブとアマチュア契約を結んだのが2013年8月。当時関西サッカーリーグ1部だった奈良クラブは中村監督の下、翌2014シーズンに3年ぶりの優勝を達成。全国地域サッカーリーグ決勝大会も制し、JFLへの入会を勝ち取った。
昨シーズンのJFLは7位。残り8試合となった今シーズンも16チーム中で14位と苦戦を強いられているが、古巣柏に一敗地にまみれた瞬間、岡山の中で目指すべき場所が改めて鮮明になった。
「ここでやり残したことは一つだけ。奈良で初めてとなるJクラブになりたい。J3から、いずれはJ2、J1と上がっていく中で、今日のような相手と対戦したい。レイソルやフロンターレ、横浜F・マリノスといった自分が所属チームのスタジアムに(敵として)帰ることも、個人的なモチベーションにはなりますけど、一番は奈良クラブをJリーグに昇格させること。地域リーグからJFLへ上げたことで、一つの目的は成し遂げたけど、今はJFLでちょっと停滞している。その中で僕自身もあまり活躍できていませんけど、残り試合をすべて勝っていくという気持ちをみんなで一つにしていく。1位との勝ち点差や(J3昇格への)可能性がどうこうと考えることなくやっていくと、今日改めて認識しました」
試合後の取材エリア。涙はもう乾いていた。人前で号泣したことを照れながら、それでも10日に再開されるリーグ戦へ、さらにその先に待つ戦いへ――。柏のファンやサポーターからもらったエールを力に変えて岡山は決意を新たにしている。
「もうちょっと頑張ろうかな、と。まだまだ、やれるだけ選手をやろうと。そんな感じです」
思い出の日立台。ミックスゾーンの片隅で、彼のトレードマークでもある誰からも愛された人懐っこい笑顔が弾けた。
文=藤江直人