さりげなく発した短い言葉に、小野伸二の熱い思いが込められていた。
「ここには絶対に来たいと思っていたので」
こことは、かつて主役として躍動した浦和レッズのホーム・埼玉スタジアム。北海道コンサドーレ札幌の「44番」を背負い、79分から途中出場した22日の明治安田生命J1リーグ第8日。希代の天才と謳われる37歳が、清水エスパルス時代の2011年6月18日以来となる“凱旋”を果たした。
札幌が5シーズンぶりとなるJ1昇格を果たした今シーズン。日程が発表された1月下旬の段階から、「4月22日」を強く意識していたのだろう。
雪の積もる札幌を離れ、開幕へ向けて1月中旬から沖縄・金武町で行っていた長期キャンプで、小野は常に別メニュー調整を強いられた。グラウンドの周囲をゆっくり歩く日もあれば、隣接した施設でバイクをこぐ日も、宿泊先のホテルのプールで歩くだけの日もあった。
原因は昨シーズンから悩まされているグローインペイン症候群。股関節周辺に発生する疲労性の痛みがなかなか治まらない状況に、四方田修平監督も慎重な言葉に終始していた。
「個人差があるので、骨折などと違って全治何カ月とは言えない。無理をすればできるけど、ちょっとプレーしてはまた痛みが大きくなる、という状態を繰り返すよりは、根本的に痛みを取り除きたい。いまは焦らずという感じで、見通しも立てていません」
2月25日に開幕したJ1でも4戦連続でベンチ外が続いた。しかし、“凱旋”にかける思いが回復を早めたのか。今月2日のヴァンフォーレ甲府との第5節の81分から1709日ぶりにJ1のピッチへ帰還すると、同16日の川崎フロンターレとの前節でも途中出場。浦和戦でもベンチ入りを勝ち取った。
「もう少し長くピッチに立てれば本当に良かったんですけど、チームの戦術というものもあるので。ここに来る前は拍手かブーイングかどっちかな、という感じで思っていたけど、たくさんの方が拍手してくれたのですごく嬉しかったですね」
キックオフ前の選手紹介。リザーブとして「小野伸二」の名前が読み上げられた瞬間、スタジアムは割れんばかりの拍手に包まれた。2人目の交代選手としてスタンバイした時も然り。一転してピッチに足を踏み入れると、赤く染まった浦和サイドのゴール裏から大きなブーイングを浴びせられた。
もっとも、敵意や悪意が込められたブーイングではないと感じていたのだろう。試合後の取材エリアで、小野は「嬉しい限りです」と声を弾ませた。
「気持ち的には『あっ、ブーイングだ』と思いながらピッチに入っていきましたけど、それは当たり前のことなので」
状況は浦和が3‐1とリードしていた。4連勝での首位キープを阻む、危険なジョーカーだととらえられたからこそブーイングの対象となった。迎えた86分。小野の代名詞でもある、絹のように柔らかいパスでチャンスを演出する。
右サイドで相手に囲まれながら、左足で中央のスペースへ緩やかなパスを送る。MF菅大輝が全力で走り込んでくる軌跡と、鮮やかに一致する状況に危機感を覚えたのか。思わずファウルで止めたDF森脇良太に警告が与えられた。
ゴールまでの距離は約25メートル。ボールの背後にDF福森晃斗とともに立ち、一度、二度と蹴るしぐさをする。15秒のほどの沈黙の後、福森の左足から放たれた低く速い弾道は、日本代表GK西川周作の左手をかすめてゴールの右隅に吸い込まれた。
「自分で蹴りたかったんですけど、あの距離であのコースだとフク(福森)の左足で蹴った方がいい。ウチでキックの質が一番良いし、(ゴールの)可能性も高い。いちおう自分が蹴るぞ、という雰囲気は出しておいて、後は信頼関係でフクに任せようと」
西川も「伸二さんが蹴らないことは分かっていた」とフェイントを見破っていた。それでも小野によれば、福森は「蹴るまでにけっこう時間がかかる」という。沈黙の間に極限まで集中力を高め、ここしかないというコースを正確無比に射抜いた。これも“アシスト”と言っていい。
試合はそのまま2‐3で敗れた。1点差にされた浦和は、3分間が表示されたアディショナルタイムを含めた残り時間で、ほとんど札幌にボールを前へ運ばせなかった。「相手の質の高さにやられましたね」と、小野も古巣の底力を認めた。
「後半になってけっこうスペースも空いていたので、そこでボールを受けてFWを生かすとか、サイドへ広げるとかいろいろ考えていましたけど…時間が時間だったので、何もできなかったですね」
離れてわかった浦和の恵まれた環境
試合が終われば、もうブーイングは起こらない。J2に降格した2000シーズンも残留して、キャプテンとして1年でのJ1復帰へ尽力してくれた愛すべき男が目の前にいる。悲願のJ1初制覇を果たした2006シーズンに、至福の喜びを分ち合った盟友が目の前にいる。
スタジアム全体から万雷の拍手が降り注ぐ中で、小野はロッカールームへ戻る直前に何度もスタンドへ向けて手を叩き、最後はピッチへ向けて深く一礼した。古巣のサポーターへ、心の中で「いつもレッズを応援してくれてありがとう」と感謝していた。
「これだけ大勢の人がいつも駆けつけてくれるのは本当にありがたいこと。自分がレッズにいた時は当たり前のように思えていたことが、今はそうではないと気づいたことで羨ましさもありますけど、コンサドーレのサポーターにも常に似たような思いを感じるので。負けたことは悔しいけど、この素晴らしい環境の中でサッカーができたことが感慨深かったし、今日という日の僕の財産です」
試合後に清水商業高校時代からの盟友・浦和DF平川忠亮、浦和の一つ先輩で今は札幌でともにプレーするMF河合竜二と写真に収まった。
「久々に3人で出会えたことに感謝して。またの機会に、ピッチで一緒にプレーできれば。僕もコンディションの高い状態をキープしていかないと」
そこにはセンチメンタルな思いはない。大好きなサッカーを、とことん楽しもう。熱いエールを込めながら、笑顔で思い出深いスタジアムを去っていった。
文=藤江直人