今年の天皇杯では特別指定で加入した古巣・水戸とも対戦。川崎がPK戦の末に勝利していた [写真]=J.LEAGUE PHOTOS
昨季のJリーグ王者が、J2のモンテディオ山形相手に不覚を取る結果となった。NDソフトスタジアム山形での天皇杯準々決勝・山形戦で、川崎フロンターレは2-3で敗れた。
試合後にキャプテンの小林悠は、負けた悔しさを握りしめながらも、迷うことなく山形側のベンチに歩み出した。そこに、どうしても感謝の言葉を述べたい人がいたからだ。
それは、山形の指揮官である木山隆之監督。「お久しぶりです」と告げると、指揮官から肩を組まれて、しばし談笑する小林の姿があった。
両者の関係性を明かすと、小林にとって木山監督は恩師と言える存在になる。
今から10年前の2008年。当時拓殖大学の3年生だった小林は、JFA・Jリーグ特別指定選手で水戸ホーリーホックのユニフォームに袖を通してプレーしているが、その時にオファーをしたのが他ならぬ木山監督だったのである。
その頃の小林は、関東大学サッカーリーグ2部でやや目立ち始めた程度の存在だった。ただ当時の水戸のチーム事情もあって、特別指定の打診を受けたという。その経緯をこう振り返っている。
「拓殖大学と水戸で練習試合した時に、僕がけっこう活躍したんですね。ちょうど水戸のFWがケガ人だらけで、荒田くん(荒田智之)ぐらいしかいなかった。そこで木山監督から『ぜひ力を貸して欲しい』と言われました。ちょうど前期が終わって大学リーグが休みで、僕からしたら『よろしくお願いします』という気持ちだけでした」
夏休み限定の所属ということもあり、出場は5試合にとどまった。無得点に終わり、特筆すべき活躍をしたわけでもない。しかしプロ選手とともに練習場での日常を過ごし、Jリーグという舞台で経験を積んだ濃密な1カ月は、彼のキャリアの中で大きな糧になっている。
あれから10年が過ぎた現在、Jリーグでの小林の活躍は、語るまでもないだろう。去年はチームを初優勝に導き、自身はJ1得点王にも輝いた。そしてJリーグ年間最優秀選手を受賞し、Jリーグの歴史にも名前を刻む選手になった。そのJリーガーとしてスタートするきっかけを作ってくれた存在が水戸時代の木山監督だと言っても、決して言い過ぎではない。だからこそ、小林はこの山形戦を「すごく楽しみですね」と意気込んでいた。
「自分にとってはJリーガーになって最初の監督。すごく会いたかった人なので、成長した姿を見せたい。終わった後に挨拶をしに行きたいですね」
しかしその試合で小林は得点を奪うことはできなかった。開始2分にセットプレーから失点すると、分厚く守りを固める山形守備陣に大苦戦。人数をかけて中央を守る相手に手こずり、小林自身も思うように決定機を作り出せなかった。
10人となった後半には、知念慶とのポストワークからフリーになり、中央から鋭いミドルシュートを放つ。相手GKの手のすり抜けた一撃はゴールネットに突き刺さるかと思ったが、ゴールポストに弾かれて同点とはならなかった。試合終盤の猛攻も実らず、そのままタイムアップ。J1首位の川崎が敗れる波乱となった。
そして試合後、冒頭に触れたように小林は木山監督に元に挨拶へ向かっている。その時のやり取りで、こんな言葉をかけてもらったと小林は明かす。
「木山さんが『お前たち、本当にすごいよ』って言ってくれて。連覇しろよって。それはうれしかったですね」
聞くと、試合に向けたミーティングでも、木山監督は川崎の完成度を「本当に隙のない素晴らしいチーム」と非常に高く評価していたという。試合後の小林に、それだけの賛辞を送ったのは、お世辞ではなく、おそらく本音だったのだろう。だからこそ、勝って挨拶に向かいたかったと小林は悔やむ。
「勝てなかったので、まだまだですね。『フロンターレに勝ったから、(天皇杯)頑張るよ』っとも言ってくれました。でも、やっぱり勝って成長した姿を見せたかったです」
目標として掲げていた、リーグと天皇杯の2冠という夢は破れた。だが、恩師からの激励を受け、リーグ連覇を目指すチームを引っ張るキャプテンとして、また気持ちを新たにしたに違いない。
文=いしかわごう