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「心が折れた時もあった」…苦難を乗り越え、田中隼磨が導いた“あと1勝”

2018.11.13

松本山雅は首位を堅守し最終節を迎える [写真]=Jリーグ

「この状況をエンジョイできるのは限られたチームだけ。我々も楽しめるかだ」と反町康治監督は語っていたが、試合前の選手たちにはただならぬ緊張感が漂っていた。

 川崎フロンターレがJ1リーグ連覇を決め、鹿島アントラーズが悲願のアジア王者に輝いた10日のことだ。J2リーグでは大分トリニータと横浜FCが揃って勝ち点3を上積みした。この時点で松本山雅は暫定2位となり、翌日の栃木SC戦を落とすようなことがあれば、さらに順位を落とす可能性さえあった。

 迎えた11日、敵地にもかかわらず、約4500人もの山雅サポーターが駆け付けた。しかし、彼らの思いとは裏腹にチームは苦戦を強いられる。山雅は序盤から相手の高さを活かした攻撃に苦しめられた。前半は攻撃の起点を作れず、工夫を凝らしたリスタートも不発。スコアレスで折り返すのが精一杯だった。それでも後半は相手がペースダウンすると、持ち前の迫力ある攻撃を見せられるようになる。そして後半26分、誰もが待ちに待った瞬間がついに訪れた。

 藤田息吹のタテパスに左サイドで反応した石原崇兆がドリブルで仕掛け、相手DFをかわす。

「中に(前田)大然とハユ(田中隼磨)さんがいるのが見えたんで、マイナスで折り返して後は『中頼み』という感じだった」と石原はグラウンダーのクロスを供給した。これが田中隼磨の下へ届くと、ダイレクトで左足を振り抜く。決して力強いシュートではなかったが、執念でゴールに押し込むと大歓声が沸き起こった。山雅はこの1点を守り切り勝ち点3をゲット。首位を奪回すると同時に、次の最終節で勝利すれば、無条件でJ2優勝と4年ぶりのJ1昇格が決まるという状況までこぎつけた。

「ボールがこぼれてきたのは本当に運も味方してくれたと思います。ただ何もしていない人には運は来ない」

 殊勲の男は試合後、神妙な面持ちでこう言った。サッカーの神様は真剣に努力した人間にしか微笑まない。どんなに苦しい時も手を抜くことなくひたむきに前進し続けたからこそ、大一番でゴールという最高の結果を残すことができたのだろう。

首位の座を堅守し最終決戦へ

[写真]=Jリーグ


 振り返ってみれば、田中にとって今季は苦難の連続だった。反町監督は昨季途中から「隼磨の代わりになる選手がいたらとっくに代えてる」と語り、厳しい評価を下すようになっていた。その発言を行動に移すかのように、今季序盤から田中を控えに回し、3年ぶりに古巣復帰した岩上祐三を起用し始めたのだ。その状況は7月まで続いた。

 横浜F・マリノスと名古屋グランパスでJ1制覇を経験。山雅移籍後は1年目からJ1初昇格の請負人になった。そんな男が、ここまで公式戦から遠ざかったのは「サッカー人生初」とも言える状態だった。

「正直、心が折れた時もあったよ。練習場ではそういうのを出しちゃいけないと思ってグッと我慢したけど、家では相当辛かった」

 胸の奥に悲痛な思いを募らせていた。それでも、努力をやめたら、巻き返しの可能性もなくなる――、彼は自分にそう言い聞かせて、ひたすらトレーニングに励んだ。

「シュート練習したり、クロスを上げたり、ドリブルで切れ込む練習をしたり、フィジカルコーチの人に付き合ってもらって走ったり、色々なことに取り組みました。俺がシュート練習するのを見て、周りは『ハユさん、何でシュートなんか練習してるの?』と思ったかもしれないけど、運を引き寄せようと思ってガムシャラにやりましたね」

 そういう姿勢を反町監督は何よりも重視する。町田ゼルビア、横浜FCに連敗した後に迎えた水戸ホーリーホック戦(9月1日)、指揮官は満を持して背番号3を右サイドバックでスタメン出場させた。この一戦で田中は同点弾を決め、チームに貴重な勝ち点1をもたらした。

「あの試合は自分にとって大事だったね。俺がゴールしたことによっていろんな人が喜んでくれた。普段、連絡が来ない人からも連絡が来たし、本当に嬉しかったよね」

 田中の完全復活はチームの起爆剤となり、山雅は復調した。チームの停滞感を完全に拭い切ることはできなかったが、田中が常に声を出してチームを鼓舞し、鬼気迫る表情で相手を追いかけ続けた。その姿に導かれるようにチームは奮起し、自動昇格圏の2位以内を死守した。そして、極めつけが、今回の栃木戦の決勝弾だった。

「我々はハートレートモニターをつけて練習をしますけど、選手のスプリント回数の平均が10~15回だとしたら、隼磨はつねに30回を超えている。普段からそういうことを蓄積しているから、こういう大きな試合で力を発揮できる。サッカーの神様も彼にきちんとチャンスを与えてくれた」(反町監督)

 ただし、戦いはまだ終わっていない。チームの運命が決まる最終節が待っている。首位の山雅は勝てば文句なしで自動昇格の権利を手にする。が、負ければ昇格レースから脱落し、プレー進出という可能性もあり得る。全ての努力が水の泡となることも考えられるのだ。

「ここまでやってきたことを無駄にしないためにも、次、J1昇格を決めて優勝したい。このクラブはまだタイトルを取ったことがないので。J2だろうが関係ない」

 こう語気を強めた田中は、最後の最後まで力強くチームを牽引してくれるはずだ。決戦は11月17日、ホームに徳島ヴォルティスを迎える。

文=元川悦子

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By 元川悦子

94年からサッカーを取材し続けるアグレッシブなサッカーライター。W杯は94年アメリカ大会から毎大会取材しており、普段はJリーグ、日本代表などを精力的に取材。

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