川口能活(左)と望月重良(右)。対談を行うのは初めて [写真]=SC相模原
望月重良と、川口能活。清水市立商業の先輩、後輩は、日本代表で共に戦い、2016年からはSC相模原の代表と選手という立場になった。特別な絆を持つ2人が、12月2日に迎える川口の現役ラストゲームを前に、初めて対談を行った。
インタビュー・文=北健一郎
「1年生でこんなすごい奴がいるのかと驚いた」(望月)
――2人で対談するのは……。
望月 初めてだよね。現役時代はチームも違ったし、ここに来てからは代表と選手という立場だったから。
――お互いにとって、どんな存在なんでしょうか。
望月 誰もが認めるように、日本のサッカーの一時代を築いた選手ですよね。ただ、それ以上に高校の時の3年生と1年生というのが大きいかな。
川口 そこは永遠に変わらないですね(笑)。
――高校時代の先輩後輩関係はシゴキとかもあったんじゃないですか?
川口 もちろん、ピッチ上ではシゲさんから厳しい要求をされたことはあります。ただ、これは言っていいのかな……後輩をパシらせるというんですか、それをシゲさんは絶対にさせなかったんですよ。
――そうだったんですね。てっきり、望月さんはプレースタイル同様に王様キャラだったのかと(笑)。
望月 自分が1年の時にそれをやられて嫌な思いをしたし、やる必要もないから。昔、よくあった上下関係とか、理不尽なのはあんまり好きじゃなかったし、先輩を見てきて、自分が最高学年になったらやりたくないと思ってた。
川口 練習が終わった後って、僕らは1年生なので片付けとかしなきゃいけないんです。そこで先輩にあれをしろ、これをしろと言われるとやっぱりキツイんです。でも、シゲさんは自分のことを自分でやっていて、優しい人だなという印象が残っていますね。
――そもそも、川口さんを清水市立商業高校に誘ったのは望月さんだったんですよね。
川口 シゲさんは清水FC(小学生の選抜チーム)、中学の時には東海選抜に選ばれていて、スターでしたから。そんな人に「能活、お前、清商に来いよ」と言われた時は本当にうれしかったですね。
望月 実は、大滝(雅良)先生から「こういう良いGKがいるから行ってこい」と言われていたんです。僕が新チームのキャプテンになることが決まっていたので。強いチームを作るためには、ある程度は良い選手を集めなきゃいけない。能活のことは良いGKというのは僕も知ってましたから。
川口 シゲさんが1年の時に全国優勝を経験していて、3年生の時にインターハイに出られなかったんです。僕は1年生で出ていたんですが、シゲさんが1、2年生だった時よりも戦力的には落ちるチームでした。3年生でレギュラーで出ていたのはシゲさん、西ヶ谷さん(隆之/現SC相模原監督)とか数人だけだったので。僕自身も1年生から試合に使ってもらっていましたけど、足を引っ張っていたと思います。
望月 そんなことはないよ。全然やれていたし、1年生でこんなことができるのかって思って見ていた。しかも、GKってチームの中で核となるポジションですからね。安心感を後ろから出してくれていたし、最後の砦じゃないけど、本当に頼もしかった。
川口 ありがとうございます(笑)。
――Jリーグに入ってからは対戦相手になることが多かったですよね。望月さんは川口さんから点を取ったことは……。
望月 あるよね。僕がグランパスで、能活がマリノスだった時に。
川口 ありますね(笑)。覚えてます。
――お互いをどんな選手だと思っていましたか?
川口 先輩に対してこういう表現が良いのかわからないですが(笑)、厄介な選手でしたね。どんな時も落ち着いていましたし、技術が高いので、ちょっとでも隙を見せるとやられるなと思っていました。
望月 僕の能活への印象は高校時代から変わらないですね。1年生の時からプロの世界で活躍できると思っていたし、すぐにレギュラーになったのも、日本代表になったのも、能活なら当然だろうなと。
川口 僕自身は、シゲさんと一緒にとったアジアカップ(2000年)のタイトルがサッカー人生のハイライトのひとつなんです。
望月 すごかったよな。サウジアラビアとの決勝戦(1-0)は、本当に神がかってたと思う。
川口 シゲさんが決勝ゴールをとって、そこからサウジの怒涛の攻めが始まって。予選リーグは4-1で勝っていたんですが、決勝は全然違う試合になりました。あのアジアカップは予選リーグから準決勝まではほぼパーフェクトで、決勝だけが難しい試合になった。東アジア勢が西アジアで優勝したことはなかったので、そこでタイトルをとったこと、シゲさんが決勝戦で決めてきてくれたこと、特別な思い出がありますね。
「シゲさんの言葉が僕の現役生活を伸ばしてくれた」(川口)
――それから時は過ぎて、望月さんはSC相模原というクラブを立ち上げました。そこに2016年から川口さんが加入することになりました。
川口 確か、2014年にW杯のトークショーで久しぶりに会って、そこで「能活、相模原に来てくれよ」と言われていたんですよ。2015年末にFC岐阜との契約が満了になった時にも、すぐにシゲさんからオファーをもらいました。
望月 個人的には能活にはいずれウチでプレーしてもらいたいと思っていました。だから「行きます」と返事をもらった時は本当にうれしかったですね。そこから3年間を振り返って、能活がもたらしてくれたものはクラブにとって大きいものであるし、これを次のSC相模原の成長につなげていかないといけない。
――今日(11月14日)はこの後に引退記者会見、そして12月2日の鹿児島ユナイテッドFCとの最終戦の試合後は引退セレモニーを行います。
望月 川口能活という日本サッカー界の歴史に残る選手を、それにふさわしい形で送り出すというのは、我々クラブとしての責任だとも思っています。
――川口さんにお聞きします。SC相模原との契約を交わした時から、現役生活をあと何年続けられるかなというのは考えていたのでしょうか。
川口 正直に言えば、年齢もそうですし、ケガのこともそうですし、引退を何年か前から意識していたのは事実です。その一方で、サッカー選手としてはいつまでもプレーしていたいという気持ちもありました。悩むこともあったけれども、グラウンドに行った時にみんなとボールを蹴る。それが自分の生きがいだったし、苦しんでいた時には救いにもなっていました。SC相模原が声をかけてくれたおかげで現役生活を長く続けられましたし、シゲさんに三島の治療院の先生を紹介していただいてから自分の体の動きもすごく良くなってきました。
――望月さんは、川口さんが試合に出られない時に悔しそうな表情をしていて、「まだまだやれるな」と感じたそうです。
望月 歳を重ねるごとに、勝ち負けというものへのこだわりは薄れていくもの。それでみんな引退しちゃうんだけど、能活の表情を見ると、まだまだ情熱は枯れていないというはわかった。ただ、今シーズン、引退という決断をした背景には、能活の気持ちの中でいろいろなものがあると思うし、そこを尊重して良い形で送り出すのが我々クラブのやるべきことだと。
川口 SC相模原に行く決め手になった言葉が、「最後に一花咲かせてほしい」だったんです。ただ、ピッチ内で自分が納得のいく結果を残せたかというと……。それでも自分の中ではベストを尽くしたと胸を張って言える、そんな3年間だったと思います。
望月 高校の先輩後輩というのもあるし、言い方が合っているかはわからないけど、他の選手とは結びつきが違うから。だから、セカンドキャリアも能活にふさわしいものを築いていってほしいなと思っています。だって、能活ほどのGKは日本にはいないわけだから。今までのサッカー人生の中で体得した哲学や理論を伝えていってほしい。
川口 引退しますと話した時も、シゲさんは「能活には常に輝いてほしい」と言ってくれたんですよ。「最後に一花咲かせてほしい」もそうですけど、節目節目で前向きな言葉をかけてもらっています。高校からの先輩という立場で、常にあたたかいアドバイスをしてくれる。本当にうれしいし、幸せだなと思います。
――12月2日の最終戦に向けては。
望月 僕の立場からは「期待してください」と。それだけです。
川口 僕はSC相模原に来て、若いGKたちと競争してきましたから、自分のやることは変わらないし、これから3週間、今まで通り、練習の時から自分にできる最高の準備をしていきたいです。
望月 でも、それが清商に1年生で入った時からのスタイルだから。最初に来て、最後に帰る。それは今もずっと変わっていない。きっと、マリノスでも、ジュビロでも、FC岐阜でも、海外でもそうだったんだと思う。本当に驚きだし、自分にはとても真似できないなと。
川口 それが自分の支えというか、不安だから練習するしかないんです(笑)。最後まで、それを貫いていきたいと思います。
■インフォメーション
川口能活現役引退セレモニー開催!SC相模原ホーム最終戦
12月2日(日)vs 鹿児島ユナイテッドFC
相模原ギオンスタジアム 13:00キックオフ
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By 北健一郎