高校最後の選手権に出場し、Jリーグへ挑戦する選手たち [写真]=小林渓太、松橋隆樹、野口岳彦、梅月智史、佐藤博之
1月13日に行われた、第98回全国高校サッカー選手権大会・決勝戦、前年度王者・青森山田(青森)に真っ向勝負を挑み、2点差をひっくり返した静岡学園(静岡)が24年ぶり2度目の優勝を手にした。
令和最初の選手権が幕を閉じ、“プロ”としてJリーグに挑む選手たちがいる。今大会には15人のJリーグ内定選手が出場。さらに、「就活の場」として選手権に挑み、大会後に内定を勝ち取った選手までいた。
そこで今回は、ジェイ・スポーツでJリーグ中継担当プロデューサーを務め、選手権を現場で取材した土屋雅史氏に、高校卒業後にプロの世界へと挑む16人をエピソードとともに紹介してもらった!
取材・文=土屋雅史
※カッコ内は(生年月日/出身校/ポジション/加入クラブ)
武田英寿
(2001年9月15日/青森山田/MF/浦和レッズ)
1つ先輩の檀崎竜孔(北海道コンサドーレ札幌)から10番を引き継ぎ、「自分は全然プレースタイルも違うので、自分なりの“キャプテンで10番像”をしっかり作っていきたいと思います」と語っていたように、前任者とは違う新たな“キャプテンで10番像”を確立し、浦和レッズ内定を勝ち獲った。涙を流した決勝の悔しさを糧に、今度はホームとなる埼玉スタジアム2002で輝きを放って欲しい。
古宿理久
(2001年4月18日/青森山田/MF/横浜FC)
横浜FCジュニアユースに在籍した中学3年生の夏にユース昇格を見送られ、「まず単純に強くなりたかったのと、高卒でプロになりたいと思って」青森山田へ進学。ようやくレギュラーを掴んだ3年時に大きな成長を遂げ、今年からプロとして横浜FCへ帰還する。広い視野を生かしたパス精度の高さは、下平隆宏監督の志向するスタイルにも間違いなくマッチするはず。高校生活では決められなかった直接FKでのゴール、楽しみにしてます!
鎌田大夢
(2001年6月23日/昌平/MF/福島ユナイテッドFC)
どうしても「鎌田大地(フランクフルト)の弟」という側面が注目される中で、周囲とのコンビネーションの中で生きる技術と、プレースキッカーも務めるキック精度は兄以上のポテンシャルを秘める。今大会は2列目起用だったが、本人は「ラストパスにも自信があるので、ボランチで関わりながらゴールに直結するプレーができたらいいなと思います」と3列目でのプレーにも意欲を。チームの大半が20代前半と同世代の揃う福島の地で飛躍を期す。
畑大雅
(2002年1月20日/市立船橋/DF/湘南ベルマーレ)
右サイドを全力で駆け上がる姿はスピード違反レベル。U-17日本代表の短距離走でも、2位以下に圧倒的な差を付けていた。ちなみに長距離走も得意で、校内マラソン大会(陸上部長距離は除く)はぶっちぎりで優勝したことも。なお、『Foot!THURSDAY』取材時に元日本代表で番組MCの名良橋晃さんを知らず、そこからインタビュー時には選手に名良橋さんが「僕のこと、知ってますか?」と必ず聞くという、お決まりの流れができました(笑)
鈴木唯人
(2001年10月25日/市立船橋/FW/清水エスパルス)
葉山町立葉山中学校サッカー部出身という中体連の星は、かなりの熱さを持ち合わせているナイスガイ。チームの調子が最悪で、崩壊寸前だった際のミーティングでは波多秀吾監督に「フォワードをやらせろよ」と直訴。サイドハーフから本来のストライカーへ戻り、流通経済大柏との選手権県予選決勝では優勝を決めるゴールを叩き出した。普段のクールさとキュートな笑顔のギャップもあり、エスパルスでも人気が出るでしょう!
吉田晴稀
(2001年4月20日/帝京長岡/DF/愛媛FC)
チームスタッフが「長岡市内で一番速い」と言い切るスピードを武器に、攻守で戦えるディフェンダー。昨年度の選手権ベスト8を右サイドバックで経験すると、今シーズンは可変式3バックの右センターバックを受け持ち、「上がりたい気持ちはありますけど、まずはチームのため」とプライオリティを置いてトレーニングを積んだ守備の安定感が格段に増した。「練習に行って一番しっくり来た」愛媛FCでのさらなる成長に期待したい。
谷内田哲平
(2001年11月1日/帝京長岡/MF/京都サンガF.C.)
取材エリアでは多弁という訳ではないものの、実際の彼は良い意味での“王様キャラ”。昨年度の選手権2回戦で17対16という壮絶なPK戦に勝利した試合後、キックを止められた先輩が取材されていると、「オレらのおかげで勝てたんだからな(笑)」とわざわざ言いに来て、ニコニコしていた姿が忘れられない。エグい技術と対照的にかわいらしい所のある子なので、サンガの選手やサポーターの皆さんにも愛されることでしょう。
晴山岬
(2001年6月30日/帝京長岡/FW/FC町田ゼルビア)
3歳から長岡JYFCでプレーしてきたこともあって、“長岡愛”は人一倍。「プロサッカー選手になれるまで長岡で育ててもらったので、日本一を獲って恩返ししたい」という想いで臨んだ今大会は3回戦でハットトリックを達成するなど、県勢初のベスト4進出を最前線で牽引した。賢そうな雰囲気で喋る合間に、ニコ~っと音のするような笑顔を見せるのが印象的。ポポヴィッチ監督に好かれそうなタイプだけに、1年目からの活躍も可能性は十分だ。
松村優太
(2001年4月13日/静岡学園/MF/鹿島アントラーズ)
24年ぶりの日本一に輝いた“シズガクの10番”は、大島僚太(川崎フロンターレ)や名古新太郎(鹿島アントラーズ)、谷澤達也(藤枝MYFC)といった、やはり“シズガクの10番”を背負った先輩たちとはやや毛色の違う、縦突破系のドリブラー。OBで例えるならサイドは逆だが、ブラジル時代の三浦知良(横浜FC)が一番タイプは似ているかもしれない。準々決勝で見せた2つのロングドリブルは、もはや高校レベルを遥かに超越していた。
森夢真
(2001年7月2日/四日市中央工/FW/アスルクラロ沼津)
1年時から伝統校の10番を背負ってきたファンタジスタは、自ら“就職活動”と位置付けて挑んだ選手権で、5ゴールを記録して得点王を獲得するなど大ブレイク。大会後にプロ内定を勝ち獲る“吉原宏太パターン”で、アスルクラロ沼津の一員となった。以前からパス、ドリブル、シュートと攻撃に必要な能力を高次元で持ち合わせていた中で、敗れた準々決勝では試合後に倒れ込むチームメイトに率先して声を掛けるなど、精神面での成長も著しい。
田口裕也
(2001年4月8日/四日市中央工/FW/ガイナーレ鳥取)
小倉隆史に代表される17番は、四中工のエースナンバー。今年のチームのそれを託された田口も、178センチのサイズを生かしたエアバトルの強さに、柔らかい足元を駆使した丁寧なポストワークも兼ね備えたストライカーとして最前線に君臨。チームメイトの森夢真に注目が集まりがちだったが、1回戦では柔らかいループで、2回戦では抜群の裏への抜け出しで、今大会は2得点を記録。ゴールへの嗅覚という部分で確かな才能を発揮した。
高安孝幸
(2001年9月25日/興國/DF/ツエーゲン金沢)
今回の選手権に出場したプロ内定選手の中では、唯一Jリーグの公式戦を既に経験している。昨シーズンのJ2第42節。J1昇格を争っていた大宮アルディージャとの一戦で、後半開始から右サイドバックとしてピッチに投入されると、鋭いクロスから決定機を演出し、サポーターの度肝を抜いた。サイドバックにコンバートされたのは高校3年からということもあって伸びしろも十分。長谷川巧との若きポジション争いが今から楽しみだ。
田路耀介
(2001年4月8日/興國/MF/ツエーゲン金沢)
267人もの部員をまとめるキャプテンは、球際の勝負に長けたボールハンター。元々はセンターバックだったこともあって、守備力には定評があったが、攻撃的なチームスタイルの中で確かな配球力も身に付けている。柳下正明監督の的確な指導による若手育成に定評があるツエーゲンでは、同じポジションに大橋尚志と藤村慶太というJ2屈指のドイスボランチが控えているが、この山を超えていけば年代別代表やその先も確実に見えてくる。
田平起也
(2001年5月10日/神戸弘陵/DF/セレッソ大阪)
昨年度まではBチームでプレーしていたが、自ら「あの大会がすべてでした」と言い切る3月のイギョラ杯で一気にブレイク。6月にU-18日本代表へ初選出されると、9月にはU-15時代に昇格を見送られたC大阪への入団も内定するなど、積み重ねた努力の花を一気に開花させた。188センチというサイズ感に加え、左足で蹴り込む対角へのフィードも実に魅力的。U-23で実績を積めば、ロティ―ナ監督が早々にJ1のピッチへ送り出しても何の不思議もない。
高橋裕翔
(2001年9月19日/米子北/DF/大分トリニータ)
188センチの長身を誇る上に、左利きという高スペックを有するセンターバックも、1年時の立ち位置は大型レフティボランチ。2年時もインターハイはフォワード登録だったが、シーズン途中にディフェンダーにコンバートされ、持ち前の空中戦の強さはもちろん、広い視野と正確なキックを生かしたフィードがより生きる形となった。今大会2回戦の青森山田戦では手痛いミスから失点を献上。その悔しさを是非プロの世界で晴らして欲しい。
山田真夏斗
(2001年5月31日/立正大淞南/MF/松本山雅)
滋賀県のSAGAWA SHIGA ACADEMY JYから島根の地に飛び込んだアタッカーは、3年連続で冬の全国のピッチを経験。1年時は29番、2年時は15番を背負い、今回はチーム伝統のエースナンバーでもある17番を付けて大舞台に臨んだものの、初戦の富山第一戦ではPK戦でのキックをGKに止められ、チームも敗退の憂き目を見た。チャンスメイクよし、フィニッシュよしというスタイルは、あまり山雅にいないタイプだけに、アピール次第で早期出場も。