[写真]=白石秀徳
「すべては人間関係でうまくいくんです。でも実は、自分はその生き方しかできないんですよ(笑)」
中国放送で報道、営業として着実にキャリアを積み、RCCフロンティアでは取締役会長を務めた。
一方で、未知の業界であるサッカー界への転身を「本当に不安だらけです」とお茶目に語る。
仙田信吾さんの言葉には、論理とユーモアがある。
そして、経験に裏付けされた揺るぎない信念がある。
1月1日、地元広島のメディア業界内で、数々の実績と幅広い人脈を持つ経営者が、
サンフレッチェ広島の代表取締役社長に就任した。
クラブをどう動かしていくのか、期待せずにはいられない。
インタビュー・文=武藤仁史
写真=白石秀徳
——まずはこれまでの経歴について教えてください。
仙田信吾(以下、仙田) 昭和53年(1978年)に中国放送へ入社しました。最初に与えられた仕事は、本来は専門職であるフィルムカメラマンでした。いきなり16ミリのムービーカメラを扱わないとならなかったんですよ。当時はカメラマンを専門職で採用していた時代です。例えば東京写真専門学校や日大芸術(日本大学芸術学部)の生徒を、プロのカメラマンとして採用していた。私はというと中国放送に一般職で入っていたんです。それなのに、その専門職の方に病気やケガが相次いで、ニュースカメラマンをすることになったんです。その仕事を4年半やっていましたね。それから、今は「大和ミュージアム」で有名になっている呉という町がありまして、そこの支局で5年やりました。そこでは記者カメラマンとして一人で10キロのカメラを担いで、自分で原稿も書いていました。それを夕方のニュース番組になんとか間に合わせるということをやっていましたね。そこからですよ。これでやっと本社の報道に帰れると思ったら、営業に配属されたんです。私は「飛ばされて」と自分で言っているのですが(笑)、まさかの営業になってしまった。それからテレビの営業、後にはラジオとテレビの両方の営業をやりました。夕方の大型ワイド番組の初代プロデューサーなんて役割もありましたね。それ以降は東京支社に12年間いました。これは私の経歴として一番長い期間になります。そして広島に帰ってきて、常務取締役としてテレビとラジオ事業の責任者を務めた。それで中国放送を卒業していきました。そこから2年半は株式会社RCCフロンティアという中国放送のテレビやラジオの番組の多くを作る制作会社で役員をやっておりました。
——中国放送時代は、「報道と営業」という全く異なる職種を経験されていたんですね。
仙田 放送局に入る人間は、だいたいが報道や制作事業をやりたい人ばかり。採用面接で「営業をやりたいです」と言ってくる人間がいたら、「商社にいきなさい」と言い返されていたくらいです(笑)。ところが、自分が営業に配属されて、実際に予算を取ってくるようになる。すると、それで会社を動かせたり、自分で希望するような、あるいは地域貢献ができるようなイベントや番組を仕掛けられたりする。その喜びを発見できました。そうした感覚が芽生えてきたのは、営業に移ってから2、3年が経ったときですね。それは自分にとって大きな体験になっています。もともと10年間の報道経験があったので、たとえ1枚の企画書でも、自分の頭の中ではその企画の完成形が想像できるようになっていました。そこに営業を経験することで、企画を通す際の説得力が備わってきた。お得意様に説明するときに、報道と営業のどちらも経験できたことが大いに生かされていると感じています。
——就任会見では「これまで率先垂範型で走ってきた」という言葉を口にされていました。人の先頭に立って動いていくうえで、どのような信念を持っていますか?
仙田 私の信念は「自らが動かなければ、世の中は変わっていかない」ということです。深く椅子に座って、指示や命令を出すだけではいけません。私は“自分で動く”をポリシーにしています。その上で、“know-what”よりも “know-who”であると。何を知っているかよりも、誰を知っているか。ある課題が出てきたら、あの人に聞けばいいとすぐに判断できる。要するにすべては人間関係でうまくいくんです。でも実は、自分はその生き方しかできないんですよ(笑)。
——そのような信念に基づく行動が、サンフレッチェ広島の社長就任に結びついているのかと思います。実際に就任に至った経緯について聞かせてください。
仙田 一つ目の理由は、新スタジアムの建設における地元の調整役として、サンフレッチェから声をかけていただいたことです。新スタジアムは2024年のリーグ開幕での開業を目指していて、まさに調整が佳境を迎えています。そこで私には行政や経済界の皆さまとの調整を期待されていると思います。もう一つは売上です。今のJ1クラブの平均売上は50億円に近づいています。サンフレッチェの売上は30億円の半ばを少し超えるあたりで、しかもここ数年は数字が横ばいです。選手強化の費用をなかなか捻出できない現状があるのです。だからこそ、なんとしても営業売上を伸ばしていかないといけません。営業売上を伸ばすためには、観客動員数を増やす、広告を増やす、グッズの売り上げを増やすという三本柱が重要になる。そのテコ入れを行うという点において、特に地元の経済界との人間関係の濃さに期待を持っていただいていると認識しております。
——サッカー界とは異なる業種からの転身になります。期待されている事柄に対して、現時点でやり切れる自信をお持ちですか? それとも不安を抱えているのでしょうか?
仙田 いやいや、本当に不安だらけですよ(苦笑)。決して自信満々ということはありません。実は社長就任のお話をいただく前は、大学教授の道に進むつもりでいたんです。それこそ最初は社長の話に断りを入れていますから。正直、売上に追われる人生から卒業したいという気持ちもありまして(笑)。ただそこで、新スタジアムの建設のことがある、それから思い返すとサンフレッチェ広島とは奇しき縁があった。そのことを思い返すと、これは自分の人生の大きなエポックになるという思いが湧き出てきました。サンフレッチェ広島を通して、地域に貢献できることがあるだろうと。それとない表現で言うと、男冥利に尽きるなと。それで翻意して、社長就任を受けるということにしました。
——社長就任前はサンフレッチェ広島に対してどのようなイメージを持っていましたか?
仙田 野球の場合はホームゲームが約70試合行われます。サンフレッチェ広島の場合は約20試合。その20試合の中にはリーグ戦のほかに、天皇杯やルヴァンカップ、AFCチャンピオンズリーグも入っている。一般的な感覚として「今日は何の試合が行われているのか」が分かりにくい状況だった。もう一つ、広島においてはマツダスタジアムに移ってからの広島東洋カープさんの伸長が目覚ましい。そこに遅れを取っているとも思っていました。しかし、サンフレッチェ広島は日本サッカー界の中では宝のような存在です。決して売上は大きくないけれど、背負っている歴史は大きい。Jクラブの中でも光っている存在だという認識を持っていました。
——1月1日から正式に社長に就任され、実務がスタートしています。実際に業務を始めて感じたことがあれば教えてください。
仙田 感じるという以前に、スケジュールを見ただけでとにかく開幕までの時間がないなと(苦笑)。1月6日が仕事初めで、リーグの開幕は2月23日。今年は世界の祭典の影響がありますから、特にスケジュールがタイトになっています。2月23日の開幕から逆算すると、始業日から全社一丸になって開幕の盛り上げに取り組まないといけない。それがまず自分の背中を押すわけです。2月23日に向かって何ができるのだろうと考えたときに、選手一人ひとりがもっともっとメディアに取り上げてもらう必要性を感じました。一般の人たちに自ら訴えかけていき、自らのキャラクターを売り出していく。それが野球と比べるとサッカーに不足していた点だと感じました。まずはメディアへの露出を増やす。いわゆるライト層の方に対して、サンフレッチェの存在を大きく訴えていく。オールドメディアだと言われる地上波の出身ですから、だからこそ少し意地もありまして(笑)。オールドメディアで広島に新風を吹き込みたいという思いがありました。
——サッカークラブにおける商品の本質についてはどのような考えを持っていますか?
仙田 サッカークラブの商品の本質は、やはり選手だと考えています。これはサンフレッチェ独自のことだと思いますが、選手たちがものすごくひたむきな点が素晴らしい。また、サンフレッチェは成り立ちからしても育成型のクラブです。同時に広島は日本初といえるサッカーの国際親善試合が行われた場所でもある。サンフレッチェの選手たちは、そういう歴史を背負っているサッカーチームの選手であるということです。これはすごく誇らしいことです。
——会見では「広告主、得意先から新規顧客にも、サッカーの広告とはスタジアム看板の掲出だけではないと理解してもらいたい」という言葉もありました。今後そうした理解を深めてもらうために、どのようなアプローチが必要になってくると思いますか?
仙田 それは短兵急にはいかないけれども、とにかく歩き回ることが必要になりますね。お得意様に“サンフレッチェ”というものの魅力を、自ら伝えていくしかない。それは地道な作業でしか解決しないと思っています。ただし、“J1のサンフレッチェ”はピラミッドの頂点、本当に先っぽに過ぎないんです。その下には広い裾野があって、そこにはキッズ、ジュニア、育成まである。その中から世界に羽ばたいていくような選手を育てていく。そのことをご理解いただけるようにしていきたい。今は子供たちの体力低下が問題視されていますが、スマホの小さい画面の世界に閉じこもるのではなくて、目線を上げたら広い青い芝生の世界がある。そこには歓声と喜びと感動が待っている。それを一緒に応援していただけませんかと、そういうアプローチを地道に続けていきたいと思っています。
——「まずは営業売上を40億円に乗せる」という目標に向けて、新規層の開拓も必要になってきます。
仙田 ありがたいことに、サンフレッチェ広島にはコンペティターがいないんです。私の務めていた中国放送であれば、会社の商品であるテレビスポットを売っていくときに、必ずライバル局さんがいるわけです。ところがありがたいことに、Jリーグクラブは広島に一つなんです。つまり、サンフレッチェは全県民が愛してくれる存在なんです。また、広島県は日本国内でも生産県として非常に優れています。流通の多くも広島発祥のものがある。そういったお得意様に対して地に足のついたアプローチを重ねていくことで、必ず成果が生まれてくると思っています。
——新しい取り組みとして、広島カープとの連携が発表されています。
仙田 「カープさんとの連携」という表現を、私はおこがましいと思っています。確かに多くの人たちから「広島にはカープとサンフレッチェがあるよね」と言っていただきます。しかし、売上規模にも観客動員数にも段違いの差があります。「連携」ではなく、カープさんが「一緒にやってくださる」という施策に対しては、我々は積極的にアプローチしていきます。とはいえ、あくまでベースは独自の道です。サッカーチームはサッカーが大事であることが大前提にあるので、サッカー一途、サンフレッチェ一途。それでいきたいと思っています。
——新スタジアム構想についても聞かせてください。これは仙田社長にとっても大きなプロジェクトの一つになると思います。
仙田 さまざまな要因があって、サンフレッチェは「サッカー専用スタジアムが欲しい」と言い続けてきました。それが県、市、商工会議所、地元経済界のご理解を得て、ようやく成立する見込みが立ちました。本当に感謝を申し上げます。新スタジアムにおいてまず大事になるのは、ファン・サポーターが見やすい環境であることと、選手が戦いやすい環境であること。これがベーシックなところです。そのうえでサッカーの試合がないときにどうやって楽しんでもらえるかということを、関係する皆さんとともに、これから4年間をかけて考えていきます。広島の歴史を考えたときに、平和記念資料館があって、それから北に行くと原爆慰霊碑があって、原爆ドームがある。その延長線上に新しいサッカースタジアムができる予定です。これは“丹下ライン”と言われています。丹下健三さんが平和記念公園と平和資料館を設計したときに、その直線上にサッカースタジアムを建設する構想があったんです。今回それが実現すれば、世界中のサッカーファンが広島に来たときに、「ここがサッカー王国広島と言われるスタジアムで、平和と復興の象徴であるんだな」と体感していただけると思っているんです。具体的に言いますと、例えば原爆の日は昭和20年8月6日でありますが、その2年後と3年後、そしてその4年後に広島の高校が全国高校サッカー選手権で優勝してるんです。それが広島がサッカー王国と言われている所以です。また、サンフレッチェ広島の初代の総監督であった今西和男さんは、サッカーのユニフォームを着るのが恥ずかしかったそうです。なぜなら原爆のケロイドがあるから。そういう方たちが努力して努力して、今のサンフレッチェの母体である東洋工業サッカー部を強くし、それからサンフレッチェを作った。そのことへの感謝のメッセージは、新スタジアムに必ずあるべきだと思っています。1968年のメキシコ・オリンピックでは銅メダルを取りました。殿堂入りした主力メンバー14人のうち、長沼監督はじめ5人が広島県出身です。本当に広島はサッカー王国なんです。試合がなくても、新スタジアムに来てもらえたらその歴史を知ることができ、同時にワクワクしてもらえるようなものにしたいと思っています。
——最後に、これからのサンフレッチェ広島が目指す姿を聞かせてください。
仙田 中四国の雄、西日本の雄としての存在価値。これが第一です。そのうえでしっかりとした経済的基盤を、私が作っていかないといけない。選手の育成、強化については、ありがたいことに歴史があります。その歴史に培われた人間関係と人脈、これはやっぱり他チームが刮目するくらいの強さがあると思っています。そこは強化部門に任せて、私は「営業をやれ」ということになる。サンフレッチェの生き方としては、先ほど述べたように中四国ないし西日本の雄として存在価値を高め、地域に貢献をしていく。サッカーを通して夢と感動を与えていくことが我々の役目だと思っています。
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By 武藤仁史
元WEB『サッカーキング』副編集長