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コラム「浦和駒場スタジアムでのJリーグ開催に寄せて」

2024.07.05

7月6日、J1第22節の浦和対湘南は浦和駒場スタジアムで開催される [写真]=浦和レッズ

 カレンダーに赤い○をつけている日はいつもとちょっと違う。キックオフまで1時間を切ると、まもなく、ファン・サポーターの声が風に乗って浦和駅近くまで聞こえてくる。スタジアムに向かう人々の足取りが速くなる。浦和駒場スタジアム。ここを発信源とする声と熱量が、浦和の街を非日常の高揚感で包み始めてから30年以上の時が流れた。


 7月6日、明治安田J1リーグ第22節。浦和レッズは浦和駒場スタジアムに湘南ベルマーレを迎えて試合を行う。スタジアムの収容人員は2万1500人。埼玉スタジアムの3分の1ほどだから、興行収入を第一に考えるなら選択肢にはなりにくい。でも、浦和レッズは浦和駒場スタジアムで試合を行うことを選ぶ。なぜならそこはクラブが大切にしている「ふるさと」だからだ。

 駒場で試合をすると、Jリーグが開幕した頃の感覚が街のあちこちからにじみ出てくる。クラブのフィロソフィーや街との関係、ファン・サポーターとの関係がすべて駒場の試合に詰まっている。浦和レッズはなぜここにあるかをすべて思い出せる。浦和駒場スタジアムとは、クラブにとっても原点に戻れる特別な場所なのだ。

そうなったのは、浦和レッズがこの地に誕生した独特な経緯による。浦和駒場スタジアムが誕生したのは1967年。第22回埼玉国体のサッカー会場として建設されたものだった。つまり、浦和レッズのために作られたスタジアムではなく、今も持ち主はさいたま市だ。街の歴史が詰まったスタジアムで浦和レッズがスタートし、そこで多くの人々との絆を作っていった。だから、すべての原点は浦和駒場スタジアムにあることを忘れてはいけないし、だからここで開催することには意義がある。浦和レッズはそう考えている。

 当時を知る人々には高揚感の原点を思い出してもらえるし、「俺たち、ここでこういうことをしていたよな」など立ち話でもしてもらえば、若い人々にとっては温故知新にもなる。革新のために伝統を知るのはクラブにとっても大事なこと。浦和駒場スタジアムを使って試合をすることは、みんなで新しいことを考えていくきっかけにもなるのだ。

 浦和レッズが誕生してからの30年余りの歴史を紐解けば、1993年のJリーグ開幕から10年近くは、ホームゲームのほとんどを浦和駒場スタジアムで開催してきた。「ほとんど」というのは、スタジアムの改修などで使えない時期もあったからだ。また、2010年から2019年までは照明設備がJリーグの基準に達しなくなり、使用できなかったが、2019年にさいたま市が照明を新しくしたことで2020年から再び使用が可能になった。

 このことをきっかけにクラブ内であらためて浦和駒場スタジアムや浦和の街との向き合い方について議論が生まれ、翌年の2021シーズンから再び駒場で試合を開催する機会が設けられた。駒場での試合開催は、クラブにとっては「Jリーグ開幕時にやってきたことを思い出す場」であり、ファン・サポーターにとっては「浦和の街のど真ん中で試合がある幸福感をみんなで共有する場」であるということが再確認されたからだ。

 余談だが、今季のシーズンチケットが販売されたときに、ホームゲーム19試合中1試合が含まれていなかったことによって水面下で噂されたのは、「1試合は国立競技場で開催されるのでは」という予想だった。しかし、蓋を開けてみると違っていた。関東近辺のクラブを中心に6万7750人収容の国立競技場を使うクラブが多くある中、浦和レッズは「駒場」にこだわった。

 理由は集客よりも大切にしたい思いがあったからであり、それは、浦和レッズの伝統と歴史の詰まった駒場を感じてもらうことだった。クラブにはJリーグが開幕した約30年前から「浦和のホームタウンの人々に地元で試合を見てもらい、その話で持ちきりになる地域を作り、地域の方々に必要とされるクラブになることが使命」という思いがあり、それが脈々と受け継がれている。浦和レッズというクラブにとっても駒場は「ふるさと」なのだ。

 この思いは2012年に、さいたま市が所有する「駒場運動公園競技場及び補助競技場」のネーミングライツを浦和レッズが取得したときに、とりわけ色濃く出た。自治体がネーミングライツを売り出した場合、これまでならば企業が買い取ってその企業名や商品名がつくのが通例だったが、浦和レッズは自分たちが駒場に来る前から続いてきた埼玉サッカー100年の歴史と文化を継承し、誇りを持つ人々の思いに寄り添うことが何より大事だと考えた。そして、ネーミングの選考委員会を発足させ、幅広い意見を募った。すると、「浦和駒場スタジアム」が圧倒的に多いという結果。市民が感じていることとクラブの思いが一致していることをあらためて知る機会となった。そして、浦和レッズを誇示するためではなく、大切にしてきたものをそこにずっと残しておきたいという気持ちを込めて「浦和駒場スタジアム」と命名した。

 浦和レッズは、サッカーへの特別な思いのある街で自分たちのクラブが誕生したことを幸せだと思っている。なぜなら、チームの元々の母体は日本サッカーリーグの三菱重工サッカー部(後の三菱自動車工業サッカー部)であり、浦和の街にはゆかりがなかったからだ。

 一方で、1908年(明治41年)に埼玉師範学校(現埼玉大学)に蹴球部が創設されて以来、サッカーが盛んだった浦和の街では1990年前後から、プロサッカークラブを招致する機運が沸き上がっていた。この流れから旧浦和市商工会議所青年部が浦和にプロサッカークラブを招致する活動を始め、三菱重工サッカー部を招致した。クラブが事業としてファン・サポーターの集団を形成していったのではなく、スタートは地域の任意団体だった。

 Jリーグ開幕時、駒場でやった試合はほとんど負けだった。Jリーグ初年度の成績は最下位。1999年にはJ2リーグ降格を味わった。それでもスタジアムに集うファン・サポーターは熱狂的な応援をやめなかった。試合後は歩いて行ける浦和の街に繰り出し、飲み明かし、「浦和レッズ」を語り合った。

 クラブには、「俺たちは外から来たんだからこの街を自分たちから愛するんだ」という思いがあった。双方のこの積み重ねが、浦和レッズと浦和の街の「相思相愛の関係」を生んだ。自治体も動いた。旧浦和市は1993年にスタンドを8000人から1万人に増やすなどの改修工事を行ったうえで、わずか1年後の1994年には2万1500人への再改修を決めた。改修工事を2年連続で行うのは異例中の異例。行政を動かすほどの熱量の原点が、浦和駒場スタジアムにあった。

 駒場で試合がある日は、サッカーファンでなくとも浦和の人々は試合があることを知っていたし、街全体が試合を気にかけていた。もちろん、ファン・サポーターにとっては喜びも悲しみもすべて詰まっているのが浦和駒場スタジアムだった。
 7月6日の湘南戦は原点回帰の日。特別な1日を過ごしたい。

文=矢内由美子


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