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愛媛から振る『復興の旗』サッカー選手ができること

2014.03.11

文=清水英斗

 早いもので、東日本大震災から3年の月日が流れた。“早いもの”というのは個人的な感覚で、むしろ被災した当事者の方々にとっては、果てしなく長い3年間だったのかもしれない。ともすれば“早い”と感じるのは、自分の中から震災の記憶、復興への思いが薄れつつあることを証明しているのではないか。そう自問自答せざるを得ない。

「年月が経つにつれ、風化していく現実があります。どうか、たくさんの人が忘れないでほしいし、関心を持ち続けてほしい」

 上記のように語るのは、昨年まで愛媛FCレディースで活躍した、中田麻衣子選手だ。宮城県の仙台市に生まれた中田は、常盤木学園を卒業した後、岡山湯郷Belleで7年間プレー。2006年と2007年には、なでしこリーグオールスター戦にも2年連続で出場している。

 中田が故郷の東北に対する支援活動を始めたのは、愛媛FCレディースに所属していた2011年のことだ。クラブの協力を得て、チャリティーフットサル大会を年に1~2回開催。出場者から集めた参加費を全額寄付することで、遠く離れた愛媛から少しでも東北の力になろうとした。

 そして昨年末、愛媛FCレディースを退団した中田は、それまでに行っていたチャリティー活動を、自分自身で実践するようになる。先々月の1月には、チャリティーフットサル大会を1回と、チャリティーサッカー教室を2回行い、20万円近くの募金を集めた。そこから会場費を除いた全額が寄付されている。また、そのうちの一つのチャリティーフットサル大会には、愛媛トップチームに所属する河原和寿選手、関根永悟選手、大西勝俉選手の3人が駆けつけ、チャリティーオークションにも出品を申し出てくれた一幕もあったそうだ。

 このようなイベントを主催する試みは、やってみなければわからない難しさがあったと中田は語る。

「自分が主になって運営をやったことがないので、来てくれた人を待たせてしまったりとか、時間厳守で“何時から始めます”と言っているけど、それが出来なかったりとか。フットサル大会にしても、チーム編成がうまくいかずに時間がかかって遅れてしまったり、要領の悪いところがあったかなと思って、それは反省点ですね」

 クラブに助けてもらわず、自分自身で実践することには苦労も多い。しかし、その一方で、新たな充実感も大きかったようだ。イベントへの参加者を、チーム単位ではなく、個人単位で集める方式も、中田自らが運営者になってから変更した点だ。そのぶん、仕切りやチーム分けは大変になるが、少しだけ楽しくボールを蹴りたい人も気軽に訪れるなど、参加のハードルはぐっと下がった。うまい人も初めての人も関係なく、ワイワイボールを蹴る。そんなチャリティー。

 言い出した中田自身も、東北から遠く離れた愛媛の松山市で、これほど多くの賛同者に助けてもらえていることに驚きを隠せない。

「愛媛と仙台って離れているから、震災が起きたことを忘れている人のほうが多いと思っていたんです。だけど、こうやって“やる”と言ったら、いろいろな人が集まってくれるし、協力もしてくれるし。集客もFacebookでしかやっていなかったんですけど、いろいろな人がシェアしてくれました。参加した人から“やってくれてありがとう”と結構言われるんですけど、自分としては来てくれてうれしいし、“ありがとう”という気持ちです」

 “やってくれてありがとう”というのは、震災の記憶が薄れつつあることに自ら違和感を覚えながらも、実際には、どう行動すればいいのかわからない。もやもやする気持ちを抑え切れない、そんな自分に機会を作ってくれて、“ありがとう”。そういうことではないだろうか。

 『復興の旗』を振ることができる、サッカー選手の働き。2014年も期待させてほしい。

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