悪夢の記憶――。
その端緒は2010年10月11日にまでさかのぼる。U-20ワールドカップの予選を兼ねるU-19アジア選手権の準々決勝がその舞台だ。中国で行われたこの大会、日本はFW宇佐美貴史(ガンバ大阪)、MF酒井高徳(現ハンブルガーSV/ドイツ)といった後の日本代表選手を擁して勝ち残っていた。そのチームに、遠藤航(現浦和レッズ)はリオデジャネイロ・オリンピック世代として唯一“飛び級”で選出され、センターバックのレギュラーとして奮闘していた。勝てば世界切符というベスト8で日本と相対したのは、他ならぬ韓国だった。
FW指宿洋史(現アルビレックス新潟)の2得点で先行した日本は、そこから信じられないような大逆転負けを喫することになる。FWチ・ドンウォン(現アウクスブルク/ドイツ)らを目掛けて執拗に蹴り込まれた韓国のロングボールに対して遠藤は抗しきれず、敗因の一つを作ってしまった。アジアの怖さ、予選の厳しさなど「何も分かっていなかった」高校生は、世界を目前にした戦いでの敗北に際して呆然とするしかなかった。
翌2011年11月10日、先のユース代表世代で最年少選手だった遠藤が、今度はキャプテンかつ守備の要としてAFC U-19選手権予選に臨んでいた。いわゆる一次予選である。その最終戦の相手は、またも韓国。FW久保裕也(現ヤングボーイズ/スイス)、MF原川力(現川崎フロンターレ)、GK櫛引政敏(現鹿島アントラーズ)といった現在のU-23日本代表メンバーも多く名を連ねたチームは、この試合で0-1と敗戦。タイにはすでに引き分けていたため、グループ3位という屈辱的な戦績に終わることとなった。幸いにも他グループとの比較によるワイルドカードで勝ち抜けには成功したが、「リオ五輪世代は弱い」と言われるようになる一つの契機ともなってしまった。迎えた最終予選でも準々決勝でイラクに敗れ、またも8強で敗退。遠藤は二大会連続して世界切符を逃すという悔恨を抱えることとなった。
遠藤にとって、リオ五輪代表はいわば“3度目の正直”と言うべき代表である。チーム結成当初から「アジアは甘くない」といった発言が自然と飛び出していたし、「大人しい選手が多い」という危惧も重ねて口にしていた。ただ、チームが活動を開始した2014年の段階では、そこまで絶対的な選手でもなかった。そもそもキャプテンでもなかった。
転機は同年秋のアジア競技大会で訪れる。グループリーグでイラク、そして準々決勝では韓国と、遠藤の世界行きを阻んできた二つの国に敗れ、“アジアの厳しさ”を再度痛感することになる。試合後、「下を向いていても仕方ない」と自分に言い聞かせるように話していた様子は、何か深い覚悟を決めたようでもあった。
2015年3月のリオ五輪アジア1次予選から遠藤はキャプテンマークを託されることになる。アジア競技大会を通じての、おそらくオフ・ザ・ピッチも含めたパフォーマンスが手倉森誠監督に決断を促したのだろう。「僕はアジアの厳しさを知っているから」と、仲間に緩まぬ姿勢を求め、少しずつチームは変わっていった。
「練習の雰囲気とかは最初の頃に比べてずっと良くなったと思う」とも語っている。妙な言い方に聞こえてしまうかもしれないが、それはアジア競技大会で韓国に負けたことが作用したものでもあったのだろう。指揮官の言葉を借りれば、「悔しさが人を育てる」のである。
1次予選終了後、最終予選に向けてのポイントを問われた遠藤は、「代表を背負う覚悟を一人ひとりが持ち続けないといけない。メンタル的にいかにいい準備ができるか。戦う覚悟ができているかということだと思います」と専ら精神面に特化した言葉を残した。アジアでの苦い敗戦で痛感させられた“甘さ”の払しょくこそが世界への道を切り開く。そういう確信があったのだろう。
アジアで味わった初めての敗北から5年あまり。初々しさも残っていた高校生DFは、たくましさを感じさせるキャプテンになった。Jリーグで実績を積み上げ、日本代表という高みにも触れて、新シーズンからは日本最大の予算規模を誇るクラブへと籍を移すことにもなった。新たなシーズンを前にしたアジアでの戦いは、自らの過去をすべて洗い流すための戦いでもあったのだろう。キャプテンとして日の丸を背負うプレッシャーもあった。準決勝のイラク戦に勝利してリオ行きが確定すると、その頬を熱いモノが伝っていったのは自然なことだった。「この大会に臨むにあたっても、うまくいくのか不安になるところはあった」というキャプテンはしかし、「ずっと負けていた悔しさもありましたし、『アジアで勝てない世代』と言われていた部分があったので、負けていた悔しさもあった」と振り返った。
そして決勝、韓国戦。言ってみれば、“アジアで勝てない世代”にとっての総決算の戦いとなる。「あとはホント、韓国に勝つだけ」と言い切った遠藤は、「アジアで優勝したことはもちろんないので、しっかり勝って監督を胴上げしないと」と言って微笑んだ。準決勝終了時にも監督の胴上げは一瞬考えたが、「まだ早い」と結論づけた。「俺たちは優勝するためにここへ来た」のだから、その結論は当然だった。
最後の相手が因縁深い韓国になったことは紛れもない“縁”である。世界大会に行けなかったコンプレックスも、アジアで勝てなかった屈辱の記憶も、そのすべてをアジアのファイナルマッチで終止符を打つ――。ここで韓国に勝って、リオ五輪世代につきまとってきた負の歴史を終わらせる。断固たる決意を持って、若きサムライたちが運命の日韓戦へ挑む。
文=川端暁彦