日本代表を率いるヴァイッド・ハリルホジッチ監督 [写真]=兼子愼一郎
ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の就任からちょうど一年が経った。最初の親善試合で2連勝を飾るなど“名刺代わり”としては上々の出だしだったが、FIFAワールドカップロシア アジア2次予選の初戦でシンガポールと0-0の引き分けると、国内組で臨んだEAFF東アジアカップ2015は2分け1敗の最下位に終わってしまった。期待は一転して失望に変わり、チームの求心力が低下した状況で迎えた9月の2連戦。ホームでカンボジアに勝利し、イランのテヘランでアフガニスタンと対戦する前日の会見で指揮官にこんな質問をぶつけた。
「現在メディアやサポーターの間で非常に厳しい声が上がっているが、ブラジルW杯で世界に衝撃を与えたアルジェリア代表でも、強化の過程では非常に厳しい批判にさらされたと聞きます。そうした状況でどう立ち回り、本大会まで持っていったのか。日本ではどういうビジョンを描いているのか」
彼の答えはこうだ。
「このようなプロジェクトを持ったチームで仕事をするのは初めてではない。デリケートな状況から向上させて発展させていかなければならない。もちろんフットボールに関してはすぐには発展しないということ。多くの人はなかなか待てない。特にサポーターとメディアは早く結果が欲しいと。何日かでいろいろなことがすぐに変わると思ってしまう人もいます」
その言葉に続き、チームには意識の変化が表れていること、そして守備や攻撃のインテンシティに「かなり興味深いもの」があり、そこから良くなっていく確信があるが、様々な批判が起きることは「ノーマルだと思っている」と認めながらも、こう付け加えた。
「世界中の代表監督はいつも批判されています。ただ、私はするべきことを分かっていますし、おそらく1年後、2年後、3年後にはまた別の話になっているのではと思います」
当時の状況から考えれば、2次予選を無敗の首位で突破し、8試合で27得点無失点で終えた現在の状況はすでに違っている。辛辣な言葉を並べて解任論まで打ち出していた評論家の言葉も、また違ってきたものになっているのも確かだ。ただし、さらに相手が厳しくなる最終予選、そして世界に挑むロシアW杯本大会を見据える場合、日本代表の近未来に懐疑的な見方もある。
「するべきことを分かっている」という言葉は、チームの始動から本大会から逆算してチーム作りを進めていることを意味する。指揮官が「1年後、2年後、3年後」という表現を用いたのは、最近になって言葉にし始めた「第一段階、第二段階、第三段階」を示唆するものだったのだろう。
もちろん、日本という“未知の国”で手探りの部分もあったはずだが、Jリーグの視察やスタッフとのディスカッション、さらに合宿で選手たちと交流を重ねる中で、指揮官が学んできた部分はあるはず。最終予選に向けた強化はさらに難しいものになるが、“第二段階”は日本サッカーに関してより理解したところからスタートできるメリットもある。
それではここから始まる“第二段階”とはどういうものになるのだろうか。
第一段階のファイナルと位置づけたシリア戦でチームのスタンダードを示すことはできたが、より厳しい戦いを想定した実戦的な強化を進めていく必要があることは明らかだ。指揮官も「(最終予選は)もっと強いチーム、問題を起こすチームも出てくるだろう」と展望する。
「守備にも厳しさが求められる。我々の弱い時間帯に、もっとコントロールをしなければいけない。お互いにコミュニケーションを取ったり、集まってブロックを作ることもそう。まだまだディスカッションを重ねて準備する必要がある」
チームのベースになる「縦を狙う攻撃意識」や「攻守の切り替え」、「デュエル(一対一や競り合いでの厳しさ)」はトレーニングの継続で精度と質を上げていき、そこにバリエーションやマネジメント、バランスといった要素を組み込んで実戦的なレベルアップを図ることになるだろう。また選手たちの判断に関しても、より応用的なものが求められていくはずだ。
“第一段階”は日本人選手のチェックや基本的な方向性を植え付けるため、ある意味で頑なまでにメッセージを発信し続けた部分があった。つまり戦術的なオートマチズムを身に付けさせ、いかなる時でも選手が同じ方向性でプレーできるようにすることを目標にした形だ。
その中でハリルホジッチ監督も日本人の習性やメンタリティについて理解した部分もあるだろう。飲み込みが早く、高い集中力を持つ代わりに、そこに執着して柔軟な発想を失いがちになる。そうしたところは指揮官が理解していく課程で、ピッチ内で選手たちに声を出させ、自主的な問題解決を求めるようになった。その点に関しては岡崎慎司(レスター/イングランド)の言葉が実感と説得力を持っている。
「個人的には今まで監督からの要求が多かったですけど、攻撃に関しては、そこがあまりなくなった。(要求は)言うんですけど、そんなに強く言い過ぎなくなったかな。例えば、自分に関しても『(サイドに)流れるな』と言っていたのが、流れるプレーに関しては言わなくなったし、個人的には(香川)真司のスペースを空けたり、チームのプラスにはつながっていたから」
ザックジャパンで最終予選を経験している長谷部誠(フランクフルト/ドイツ)や長友佑都(インテル/イタリア)、川島永嗣(ダンディー・ユナイテッド・スコットランド)といった選手たちは二次予選と最終予選が“別物”であることを強調する。結果的に5-0で勝利したシリアも、2次予選2位の上位グループとして最終予選に進出するが、アジアカップ王者のオーストラリアを始め、イラン、韓国、サウジアラビア、ウズベキスタンなど2次予選の相手より一枚も二枚も実力があり、チームとしての勝負強さを持つ国が相手になるのだ。
こういった相手に対しては、状況や時間帯によって引いた位置でブロックを作り、時にはゆっくりボールを回すような戦い方も効果的になってくる。そうした発想はもともと日本人選手が備えているものだが、最初にその戦い方を許容してしまうと、チームが目指すべき“高いスタンダード”がなかなか身に付かない。それが就任当初から方向性を徹底してきた理由だが、ここから先は戦い方のバリエーションや柔軟なマネジメントを取り入れていかないと実力が接近した相手から勝ち点を重ねることは難しくなる。
採用するシステムや起用する選手も、今まで以上にテストではなく信頼を伴ったものになるはずだし、対戦相手への意識がより強く反映されたものになるだろう。とはいえ、例えばアフガニスタン戦で使った中盤ダイヤモンド型の4-4-2に関して「あまり大げさに考えてほしくないですが」と前置きしながらこう説明している。
「このシステムがうまく行くかどうかも分からないですし、1試合で判断することはなかなかできない。数カ月をかけてシンクロナイズさせていくとか、動きの連携を取っていくことなどが必要になってくる」
同じアフガニスタン戦におけるハーフナー・マイクの投入にしても、シリア戦での原口元気のボランチ起用にしても、特長を持った選手を生かすことで新たな可能性を見いだしたが、これを現状の成果としてチームの共通理解の中に組み込むことは簡単な作業ではない。テストしたことをすべて汲み上げていては強化の時間が足りず、バランスを失うリスクもある。
おそらくハリルホジッチ監督とスタッフは一年間の強化と2次予選の情報をさらに整理し、ベースになる戦い方にどういったシステムや選手起用のオプションを加えるべきなのかを探り出し、6月のキリンカップに向けたメンバー選考を進めていくのだろう。指揮官は最終予選に向けて候補選手を30人前後に絞り込むことを示唆していたが、もちろん入れ替わりは発生し得る。ただし、それもベースになる選手構成とのバランスを考えながらのものになる。
日本では物事を習得するための師弟関係を“守・破・離”という世阿弥の言葉に例えることがよくある。“守”とは言葉の通り師匠に言われたことを守ること。“破”はその型を自分なりに研究し、自分に合ったより良い型にしていくこと。“離”は自由自在になり、新しい型を生み出すことだ。
それを日本代表の監督と選手の関係になぞらえるならば、“破”が始まる段階になる。つまり選手たちにはベースを理解しながら試合の状況に応じて、より実戦的な判断をしていくことが求められる。ただ、習得と異なるのはハリルホジッチ監督も選手をさらに理解しながら、同時的にオプションや新戦力の組み込みを行い、チーム構成をブラッシュアップさせていかなければならない部分。それが最終予選を勝ち抜くだけでなく、ロシアW杯に向けた強化となる“第三段階”のための要素になるからだ。
「おそらく1年後、2年後、3年後にはまた別の話になっているのではと思います」
その2年後に向けたステップでハリルジャパンはどういった進化を見せ、最終予選でアジアの強豪に挑んでいくのか。世界を知る指揮官に導かれたハリルジャパンの冒険はさらに目が離せなくなってくる。
文=河治良幸
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By 河治良幸