手倉森ジャパンの切り札となるか…「やたらと速い」柏の“IJ”こと伊東純也とは

伊東純也

圧倒的なスピードを武器にFWからDFまでをこなすことができる伊東純也 [写真]=Getty Images

 リオデジャネイロ・オリンピックの開会式は8月5日。男子サッカー競技はそれより早く8月4日に開幕を迎える。日本代表の初戦まで残り100日を切り、手倉森誠監督のチーム作りは詰めの段階に入った。U-23日本代表は5月11日にガーナ代表、6月29日にはU-23南アフリカ代表との親善試合を予定している。ガーナ戦に向けた代表メンバーは、間もなく発表される予定だ。

 そんな“手倉森ジャパン”の切り札として推薦したい選手が一人いる。それが柏レイソルの“IJ”こと伊東純也だ。

 U-23日本代表には昨年11月に行われた候補合宿で初招集され、今年1月のリオ五輪最終予選では予備登録入りを果たしたが、まだ日の丸を着けてプレーした経験はない。では、そんな彼を推す理由は何か――。

 4月24日の明治安田生命J1リーグ・ファーストステージ第8節の鹿島アントラーズ戦で彼が見せた驚異的なスピードとドリブルをご記憶の方は多いだろう。前半アディショナルタイム、縦へ仕掛けてスピードに乗った彼は、マークに寄せてきた選手の直前で機敏に妙技を披露。両足でボールをポポーンと軽快に弾いて縦に出る“ダブルタッチ”で相手を抜き去ると、そのまま日本代表DF昌子源も振り切って約40メートルの独走ゴール。63分にもフルスピードで右サイドを切り裂き、武富孝介の追加点をアシストした。伊東は5月1日に行われた第9節ヴィッセル神戸戦でもゴールを決め、目下2試合連続得点中。リーグ戦4連勝で一気に4位浮上を果たした柏にあって、躍進の立役者となっている。

 柏は現在、下平隆宏監督がU-18時代にも指導したGK中村航輔、DF中谷進之介、MF小林祐介、MF中川寛斗ら“リオ世代”が主軸になっている。ロンドン五輪代表の大津祐樹、日本代表経験を持つ田中順也、ブラジル全国選手権得点王のエデルソンらがリザーブに回る厳しい争いがある中で、伊東はチームに適応し、その“個”でアクセントを加えている点も見逃せない。

「おー純也 伊東純也 やたらと速い」とは柏のゴール裏が歌うチャントの歌詞。「やたらと」、「とんでもなく」、「恐ろしく」といった修飾語を付けなければ、彼のスピードは表現できない。多くの快足選手がいる中でも、彼が現在のJ1で最速なのではないかと思うほどだ。

 何より特筆すべきは、一歩目から抜群に速いこと、そして相手に寄せられてもスルッと抜けてしまうしなやかさを併せ持つことだ。「前からのプレスは得意」と自認するように、その速さは守備面でも生かされている。あれだけのスピードとスムーズな重心移動で追い回されるDFは、悪夢を見るような思いだろう。

 伊東が世に知られるようになったのは、実はごく最近。神奈川大を卒業してプロ入りしたのは昨年のことだった。大卒2年目ながら早生まれ(1993年3月9日)のため、ギリギリでU-23日本代表入りの資格を持っている。プロデビューを果たしたヴァンフォーレ甲府では、新人ながら30試合に出場して4得点をマーク。まだ“青田買い”の感はあったが、柏が彼を引き抜いた。

 神奈川県横須賀市で生まれ育ち、中高では全くの無名だった“IJ”。彼が所属していた神奈川県立逗葉高校は1997年度の第76回全国高等学校サッカー(帝京高と東福岡高による“雪の決勝”があった大会)で全国8強に入っているが、彼の在学期間は全国とは無縁。高3秋の高校選手権予選は県のベスト32で敗退している。ちなみに伊東と逗葉高の3年次に同級生だった小野裕二(横浜F・マリノスユース→横浜FM、現シントトロイデン/ベルギー)は高校在学中にJ1デビュー。17試合に出場して3得点を挙げている。しかし、当時の伊東は比較すらできない次元にいた。

 ただし、高3の頃には県内で知られた存在になっており、関東大学リーグ1部の神奈川大に推薦入学を果たした。当時のキャプテンは佐々木翔(サンフレッチェ広島)で、同級生にも高木利弥(モンテディオ山形)、星広太(福島ユナイテッドFC)といった後のJリーガーがいた。

 佐々木が「入ってきた時に“違うな”と思いました」と当時の伊東を振り返るように、その潜在能力は光っていたようだ。1年次は30名強の登録枠にも入れなかったものの、2年になると徐々に頭角を現した。しかし、チームは1部から降格。彼は3年、4年を関東大学2部リーグで過ごすことになる。

 大学3年次に20試合17ゴールで得点王を獲得し、4年次にはアシスト王に輝いた。4年春には全日本大学選抜に招集され、“ブレイク”した2年間だった。ただし、活躍したといっても2部。持ち前の驚異的なスピードで期待を抱かせる存在ではあったが、伊東にオファーを出したのは甲府と山形だけだった。

 単位を取り終えていた彼は甲府入りを決めると、JFA・Jリーグ特別指定選手に承認。チームがJ1残留を決めた2014シーズン終盤には3週間ほどチームへ帯同し、清水エスパルスとの最終節ではベンチ入りも果たしている。とはいえ、戦術理解などで未熟な部分は否めなかった。伊東が1年目からJ1で戦力になったことは甲府のクラブ関係者にとっても想定外だったという。

 柏に移籍した伊東だが、今シーズン開幕前のキャンプでは本人も驚がくする“事件”が起こった。キャンプ地の指宿でミルトン・メンデス監督(当時)からホテルの一室に呼び出され、右サイドバックへの転向を切り出された。

「絶対に俺が成功させるみたいな感じで言われて……。真剣な顔で熱く語られました。前でやりたい気持ちもあったし、最初は結構悩んだんですけど、言われたらしょうがない。俺に決定権はないので(苦笑)」

 伊東の攻撃力は、大きなスペースを活かせるワイドなポジションで生きる。加えて瞬発系の選手にもかかわらず長距離も走れるタイプで、サイドバック向きのフィジカルを持つことは間違いない。そして右サイドバック転向は彼の新たな可能性を引き出すきっかけになった。

 3月12日にミルトン・メンデス監督が退任した後も第7節ガンバ大阪戦までサイドバックで起用され、守備も含めて適応を見せる。第8節鹿島戦、第9節神戸戦は右サイドハーフに戻り、今度は2戦連発という結果を残した。彼自身も「どっちでも大丈夫になりました」と微笑むように、プレーの幅は大きく広がったと言っていいだろう。サイドバックを経験したことで、中盤に戻っても後ろを気づかったポジション取りができるようになったという“副産物”もあったという。

 柏は現在、守備時に4-4-2、攻撃時に3-4-3へと移行する可変システムを採用している。いずれにしても伊東が攻撃時に中盤の右ウイングバックへ入ることはDF、MFのどちらで起用されても不変。右の大外から前を向いて仕掛けるプレーが、彼の持ち味をもっとも発揮する形だからだ。

 容姿、プレーともに華やかな彼だが、性格はかなりおっとり型。言葉数も多いほうでなく、威勢のいいコメントで盛り上げるタイプではない。柏に移籍した直後は少しおどおどした様子が見て取れ、「大丈夫かな?」と心配した時期もあった。しかし脚光を浴びない時期にも地道に努力を積み上げたからこそ、今のブレイクがある。話していてふと芯の強さを感じることはあるし、最近は取材慣れをしてテレビカメラに対しても堂々と向き合うようになってきた。

「高校、大学の時から速いだけと思われたくなかった。そういう部分はずっとやってきた」

 超俊足プレイヤーは“速さだけ”で通用してしまう部分がある。だが、伊東は決してそういう選手でない。スピードに乗った状態でボールを扱え、周りを見てしっかり蹴れるからこそ、彼の強みはJ1で生きている。それを象徴するのが、このコメントだ。

 伊東を手倉森ジャパンに推す理由がもう一つある。それが複数ポジションへの対応が可能な点だ。五輪の本大会は登録が18名に限られ、23名枠だった予選から5名を削らなければならない。今シーズンの伊東はサイドバック、サイドハーフを経験し、昨年までは主にFWで起用されていた。国際経験は少ないものの、積極的なプレスも大きな武器であり、時間帯や戦い方によっては“カウンター要員”として前線に置いても彼は生きるはず。ロンドン五輪で同じタイプの永井謙佑(名古屋グランパス)が大会を席巻したのは記憶に新しい。

 U-23日本代表には残念ながら負傷者が相次いでいる。特に右サイドバックは指揮官も頭を悩ませるポジションだろう。最終予選で活躍した室屋成(FC東京)が2月に左第5中足骨を骨折。松原健(アルビレックス新潟)も3月に右ひざ外側半月板損傷で手術を行った。3月のポルトガル遠征ではオランダリーグでプレーするファン・ウェルメスケルケン・際(ドートレヒト/オランダ)が抜てきされるなど、手倉森監督が新戦力を発掘しようと模索している。さらに最終予選で前線の推進力が光っていたFW鈴木武蔵(新潟)も負傷離脱中だ。

 本大会までの限られたスケジュールで、世界と戦える武器を手にするために――。卓越したスピードを持つ“IJ”ならそんなチームのすき間を埋め、代役以上の存在になれるはずだ。

文=大島和人

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