攻撃をけん引し、先制点をアシストするなど勝利に貢献した清武弘嗣 [写真]=Getty Images
気がついた時には、喜びを爆発させながら日本のベンチへ駆けていくMF山口蛍(セレッソ大阪)の背中を必死に追いかけていた。
イラク代表を埼玉スタジアム2002に迎えた6日の2018 FIFAワールドカップ ロシア アジア最終予選の第3戦。1-1の膠着状態が続いたまま、「6分」と示された後半アディショナルタイムが5分台に入った直後に奇跡のドラマは幕を開けた。
パワープレー要員として前線へ上がっていたDF吉田麻也(サウサンプトン)が粘って獲得した直接FKのチャンス。左コーナーフラッグ付近からゴール中央へ蹴り入れたクロスが、相手選手に弾き返されるのを見たMF清武弘嗣(セビージャ)は次の瞬間、“夢の世界”へと引きずり込まれる。
「こぼれ球に行こうとして、ホントに一瞬だったので。うれしすぎて何だか分からないです。ホタル(山口)に抱きつきに行ったのは覚えていますけど」
セカンドボールに誰よりも早く反応し、ペナルティエリアの中へ駆け上がってきた山口が迷うことなく右足を振り抜く。ダイレクトで放たれた強烈な一撃が、日本代表にとって“特別な意味”を持つ勝利を手繰り寄せた。
負けはもちろん、引き分けでも指揮官の進退問題に発展しかねない正念場。日本代表を率いるヴァイッド・ハリルホジッチ監督は「4-2-3-1システム」を継続させた一方で、攻撃の要となるトップ下を香川真司(ドルトムント)から清武へと代えた。
「清武は(セビージャで)プレー時間が短い現状があったが、(香川)真司よりも1日半早く帰国したアドバンテージがあった」
清武が予定を早めて直前キャンプ初日の2日から参加したのに対して、香川の帰国は3日。時差ボケと長距離移動による疲労を取り除く時間があったことが重視されたのか。清武は最後までピッチに立ち、香川は自身3度目のワールドカップ・アジア最終予選で、負傷欠場を除いて初めて出番なしに終わった。
この試合では75分にFW岡崎慎司(レスター)がFW浅野拓磨(シュトゥットガルト)と、81分にはMF本田圭佑(ミラン)がFW小林悠(川崎フロンターレ)との交代でそれぞれベンチに下がる。必然的に残り9分間プラス、アディショナルタイムは国際Aマッチにおける合計出場数が「269」に、合計ゴール数が「112」に達する本田、岡崎、香川の3人がピッチ上からいなくなった。
2010年9月に発足したザックジャパンで、3人はそろってレギュラーの座を不動のものとした。翌2011年1月にカタールで開催されたアジアカップから香川は「10番」を託されるなど、いわゆる“ビッグ3”は攻撃陣をけん引しながら、ハイペースでゴールを積み重ねてきた。そしてアギーレジャパンを経てハリルジャパンに変わる過程で戦ってきた公式戦--つまりワールドカップのアジア予選やアジアカップ、コンフェデレーションズカップで、3人のうち誰か一人を欠いた陣容で3人以外の選手がゴールを奪い、白星をもぎ取ったケースは一度もない。
指揮官が代わる中で、いつしかA代表内における選手のヒエラルキーが固定されていたことを物語るデータ。それだけに時計の針を自分たちの力で動かした実感があったのだろう。イラクを突き放した劇的ゴールを、清武は感無量の表情を浮かべながら「試されていたと思う」と振り返る。
「常に3人が引っ張ってきたチームで、(彼らが)誰もいなくなった中で取れた1点は、チームを底上げするためにもすごく大事なゴールだった。ワールドカップに行くために、引き分けじゃなくて勝てたという意味でも大きな1点だったので、ホント、ホタルに感謝です」
言うまでもなく、試されたのは代わりにピッチに立った選手たちの力となる。清武自身、アジア2次予選を戦っていた昨秋から「ハリルジャパンのトップ下を担いたい」と公言してきた。C大阪時代にエースナンバーの「8番」を受け継ぎ、今も畏敬の念を抱きながらその背中を追う香川への挑戦だった。
迎えたイラク戦。清武は念願のポジションでキックオフ直後からエンジンを全開にして躍動した。相手GKに防がれたものの、11分には強烈なミドルシュートを一閃。26分にはプレスバックしてきたFW原口元気(ヘルタ・ベルリン)のカットしたこぼれ球を拾い、猛然とドリブルを開始する。
前へ突進すること約25メートル。右サイドに開いた本田へボールを預けると、コースを右へ旋回してさらに加速。外側から本田を追い抜いてパスを受け、ゴール前へすかさずグラウンダーのクロスを送る。ニアサイドに走り込んできた原口の、右足のヒールによる華麗な先制点を泥臭くアシストした。
「パスを出してから(味方を)追い越す動きをすれば、やっぱりアジア(の選手)ではついて来ることができない。それは分かっていたことなので、(原口)元気が決めてくれて良かった」
実は先発メンバーを告げられてから、香川は「リラックスしてプレーしたほうがいい」と清武にアドバイスを送っていた。
「監督に求められるプレーをしなきゃいけないという気持ちを抱きながら、もうちょっと自分のイメージもあると思っていたところに、(香川)真司くんからそう言われて。すごく力になったし、うまく気持ちを切り替えることもできた。もっとボールを触りたい、リズムを作りたいという気持ちもあれば、監督に求められるのは“我慢して、我慢して、ボールをもらって落として背後”という動きで、それをやっているとボールタッチ数は少なくなるんですけど、今日はそういう規律を守りながらも少し自由に、伸び伸びとプレーできたのかなと」
トップ下に求められる動きの違いに戸惑い、試行錯誤気味だった清武を、香川の一言が呪縛から解き放った。そして、ドイツ代表のマリオ・ゲッツェ、アンドレ・シュールレの両MFが加入し、潜在能力のある若手が台頭してきたドルトムントで出場機会を失いつつある香川も、確固たる結果を残した清武から刺激を受けたと試合後に明かしている。
「結果を残した選手はどんな場であれ、それが何よりも大事だと思うし、そうやって評価を勝ち取っていくものだと思う。自分には自分の良さがあるし、キヨにはキヨの良さがある。それは監督が判断することだし、今は結果を残した者が残っていけばいい。自分が必要になった時に、しっかりとピッチで表現できるように準備していきたい」
清武にとってはここからが勝負だ。ワールドカップの代表メンバーに選出されながら出場機会ゼロに終わったブラジル大会。コロンビア代表に惨敗を喫してグループリーグ敗退を喫した翌日、清武は山口、同じくピッチに立てなかった酒井宏樹(マルセイユ)、酒井高徳(ハンブルガーSV)の両DF、FW齋藤学(横浜F・マリノス)らと地球の裏側で汗を流している。
2018年のロシア大会こそは、自分たち“ロンドン五輪世代”が中心になってみせる。捲土重来を期した決意表明でもあり、ブラジル大会に選ばれなかった原口がドイツの地でたくましく成長して加わった今、チーム内に切磋琢磨する関係を生み出し、組織全体を成長させる競争原理がようやく働くようになった。
「チームが強くなるためには、普段出ていない選手が出た時にしっかりプレーすることが大事だし、そうなれば底上げがうまくいっている証にもなる。僕自身はA代表に入ってから5年間、試合に出られない悔しさや結果を出せないもどかしさを抱えながらやってきた。今日のホタルみたいに途中から出て、ゴールを決めたことは、自分たちにとってもものすごくモチベーションになります」
こう語る清武は言葉の合間に、しきりとユニフォーム越しに左手で腹部をさすっていた。そのたびにジャリジャリという音がかすかに聞こえてくる。先制点を奪った直後の27分。本田にパスを当て、ペナルティーエリア内に侵入してリターンを受けようとした際に、相手選手に蹴られて悶絶した跡が疼くのを、氷を入れたビニール袋を巻いて冷やしていたのだ。
「チャンスだと思って行きました。絶対にあれはPKだと思ったんですけどね」
武器でもある高精度のキックだけではない。果敢に、かつ泥臭く。自身が何度も唱えてきた“デュエル”を実践した清武を始めとする選手たちへ、ハリルホジッチ監督は賛辞を惜しまなかった。
「初めて選手たちがピッチ上で叫んでいた。それが報われた。美しい勝利ではないが、勇気の勝利だった」
日本時間の7日未明に行われた試合で、ともに連勝スタートだったオーストラリア代表とサウジアラビア代表が引き分け、初戦で日本を破ったUAE代表はタイ代表を撃破した。3試合を終えた段階で日本は4位に順位を下げ、11日にはグループBで最も手強いオーストラリアのホームでの大一番が待つ。
ロシアの地につながる厳しい戦いは、まだまだ道半ば。これから先もいくつもの苦難が待っているはずだ。だがしかし、それらを乗り越える力を秘めた新しい、それでいてたくましい“鼓動”もまた、2016年10月6日に埼玉スタジアムのピッチで奏でられ始めたことをしっかりと覚えておきたい。
文=藤江直人
By 藤江直人