U-19日本代表でエースとして活躍するFW小川航基 [写真]=JFA
U-19日本代表の内山篤監督は、ストライカーに対して並々ならぬこだわりを持っている。これはチーム結成からの2年間だけでなく、U-17日本代表監督だった2014年から取材してきて強く感じた部分だ。そして一連の話から感じ取れるのが、同監督におけるストライカーとしての一つの理想像に、かつてジュビロ磐田の黄金時代を象徴するポイントゲッターとなり、日本代表としても不朽の活躍を見せた中山雅史がいるのではないかということである。
得点を取れた試合でも取れなかった試合でも、内山監督のコメントはしばしばFWの動き方についての話に集約されることが多い。「ゴールから逆算して動いていない」、「点を取ることではなく、ボールに触ることを意識している」、「いるべきところに入っていない」。少し取材ノートを振り返るだけで、こんな言葉が溢れてくる。
同時にこちらはこうも感じるのだ。
「それはつまり、中山雅史の動きだな」と。
ゴールから逆算して動き、ボールに触れなくとも虎視眈々と点を狙い、いるべきところに必ず入ってくる――。“ゴン中山”の愛称で知られ、1998シーズンにリーグ戦27試合36得点、4試合連続ハットトリックといったあり得ないレベルの記録を残したストライカーは、まさにそういう選手だった。そして当時の内山監督は、そんな磐田のコーチを務めていた。その影響は端々に感じられる。
一方、内山監督率いる現在のU-19日本代表にも“磐田のストライカー”がいる。桐光学園高から今年プロ入りしたばかりの小川航基だ。それまで代表歴が真っ白だった小川をU-18日本代表へ抜てきし、主軸として使ってきたのが、他ならぬ内山監督である。ストライカーとしての可能性を見いだして使ってきた指揮官に対して、小川も「感謝しているし、信頼も感じている」と期待へ応えようと努力を重ね、着実に進歩してきた。
両足と頭で点を取る技術的、身体的なベースを備えている小川のストライカーとしての課題(あるいは伸びしろ)は比較的明瞭で、本人も自覚的である。つまり「自分がいかにシュートを打てるような形でパスをもらえるか」という一点だ。かつて中山にパスを供給していた磐田の名波浩監督も小川に「シュートは打たなければ意味がない」と重ねて強調してきた。練習試合などで「(シュートを)打たなかった時は本当に怒られます」と小川は苦笑を浮かべる。どんな状況でもガムシャラに(しかし実は知的に)ゴールを狙っていた中山雅史の残像は、こんなところにも見え隠れする。
そもそも小川が本格的にFWに専念するようになったのは高校入学後で、経験自体は浅い。今年に入ってからは、中盤に絡むことも求める磐田の名波監督の指導と、まず前線に張ることを求める代表の内山監督の指導のギャップをうまく消化できず、悩んでいる姿も見られた。
ただ、二人の指導者が共通して小川に求めていたことがある。それが常にゴールを意識して、シュートを打つための動き出しを繰り返すこと。かつて中山が見せていたような、ストライカーの動き出しを体得するよう小川に求めていたのだ。
今回のU-19アジア選手権が開幕した当初、小川のプレーには迷いが見え隠れしていた。磐田で試合に出られない日々を過ごすうちに、少し自信が落ちていた部分もあったのだろうか。内山監督の言葉を借りれば、「余計な動きが多すぎる」ということになる。イランとの第2戦終了後には、映像を使いながらマンツーマンでの指導も行った。ここでも指揮官が口酸っぱく求めたのは、やはり動き出しの部分である。するとカタールとの第3戦でクロスボールに対する動き出しが劇的に改善。イラン戦までは数えるほどしかなかったシュート数も「カタール戦では6本くらい打てた」と本人も手応えを得た。そして迎えたタジキスタンとの準々決勝。開始8分にしてクロスに“点”で合わせた先制点は、まさにその賜物だった。この勝負強さを含めて、ストライカーとしての小川の可能性を証明するような、そんなゴールだった。そして“ゴン中山っぽい”得点でもあった。
これは単純に小川と中山が似ているという話ではない。むしろ大して似てはいないだろう。小川のほうがもっと器用だし、背も高く、シュートレンジも広い。ただし、ゴール前での怖さに関して言えば、小川は中山にまだまだ遠く及ばない。中山が遅咲きの選手だったように、小川の本格的な開花は、この先になるのではないか。内山監督と名波監督という磐田の黄金期を知り、偉大なストライカーのプレーを知る二人は、そんな未来を見ているように感じるのだ。
日本サッカー界は“ストライカー不在”と言われて久しい。U-19年代でも、その敗因として「決めるべき時に決めていれば」というお馴染みのフレーズが聞こえてきた。しかし、10年ぶりの世界切符を手にした東京オリンピック世代には、確固たるエースストライカーがいて、アジアを勝ち抜く上でも一つの進化を見せた。その意味するところは、決して小さなものではない。
文=川端暁彦
By 川端暁彦