「この仕事量は捨てられない」と彼は言う。「仕事量」という独特の表現を聞いて、昨年11月のサウジアラビア戦が脳裏をかすめる。
原口元気(ヘルタ・ベルリン)が必死の形相でボールを追いかける姿に、埼玉スタジアムが沸いたのは前半40分のことだった。敵陣のペナルティエリア手前から相手のパス回しに食らいつき、猛ダッシュで自陣まで戻る。奪ったボールを受けた清武弘嗣(セビージャ)がすぐに失うも、長谷部誠(フランクフルト)が素早くこぼれ球を拾う。そこから左サイドのスペースに出されたロングパスに反応したのは、またも原口だった。惜しくもパスはつながらなかったが、この“走り”は見ている者の心を打つだけの迫力があった。
2016年、原口は日本代表の舞台で強烈なインパクトを残した。ワールドカップ・アジア最終予選での4試合連続ゴールは日本史上初。最終予選初戦でまさかの敗戦を喫し、窮地に立たされていたハリルジャパンの救世主と見なされ、各報道記事には「日本代表の主役」、「攻撃のキーマン」といった見出しが踊った。
だが本人に驚きはない。当然の結果であり、むしろ取り組みの成果が“やっと”出てきたという感覚だったのではないだろうか。原口の躍進を支えているのは、2018年6月に向けて練られた綿密な肉体改造プランだ。ロシア・ワールドカップに出場するためには何をすればいいのか、憧れのプレミアリーグにはどうすれば行けるのか――。常に何が必要かを考え、人一倍の努力を重ねてきたという自負がある。
今回は原口の肉体改造プランを1つのテーマに、アスリートとしての成長の軌跡について掘り下げてみたい。
インタビュー・文=高尾太恵子
取材協力・写真=ナイキジャパン
■手応えを感じている。でも、まだまだ伸びる要素がある
――リーグ前半戦を振り返ってみていかがでしょう?
最初の10試合は手応えを感じていたんですけど、そこからの5、6試合は落ちたという印象です。
――シーズン開幕前に話をうかがった際に「次はスプリントの質を上げていく段階」とおっしゃっていましたが、その辺の手応えは?
手応えはありますよ。もちろん、目標とするところはまだまだ先ですけど、パワー系のトレーニングを始めたことによって、昨シーズンよりもパワーが出ていると感じる場面は多くなりました。
――一方で、10試合を越えた辺りで「落ちた」という要因は何でしょう?
1つではないですけど、大きく考えられるのはメンタル的な疲れかなと。
――それはリーグ戦と並行して、W杯アジア最終予選というプレッシャーのかかる試合を戦ってきたことによるもの?
そうですね。代表戦は相当プレッシャーがかかるので、それによる反動は感じました。普段の試合でプレッシャーを感じることはあまりないんですけど、やっぱりW杯出場が懸かっていますし、日本中の期待を背負っているというか。すごくプレッシャーを感じます。
――そのプレッシャーがかかる中、サウジアラビア戦では攻守に渡ってハードワークしながら決勝点も決めました。まさにマン・オブ・ザ・マッチ級のプレーだったと思います。
まあ、トレーニングの成果が出ているのはサウジ戦だけではなく、多くの試合で感じることができています。でも、まだ6割くらい。フィジカル的にはまだまだ伸びる要素があるので、ここからもっとパワーが出てくると思いますし、もっとスピードが出てくるはず。自分自身に期待しています。
――サウジアラビア戦では27分、大迫勇也選手からのロングパスに反応した場面が印象的です。ハーフライン付近からギアを上げて、エリア手前でボールにたどり着いた時にピタッと止まり、ついてきた相手選手を追い越させてうまくマークを外しました。「スプリントの質を上げることで余裕が生まれる」という言葉を体現していたプレーだったのでは?
それが目的でしたからね。速く走って、なおかつプレーの質が落ちないような体を作ろうと思い、約3年間トレーニングをやってきました。2018年のロシアW杯が1つの集大成になる。そこを目指してやっているので、感触としてはまだ6、7割くらいです。
――W杯に向けての長期プランになるわけですが、その過程にある短期的な目標はどれくらいのサイクルで設定しているのでしょうか。
半年です。日本に帰って来たタイミングで筑波大学に行って、そこで新しいトレーニングを取り入れています。大事なのはトレーニングを継続すること。継続しながら、徐々に負荷を上げていっています。
――具体的にどういうステップアップを踏んできたのでしょう。
まずは“止まる”ことを徹底してやりました。速く走るためには、止まれないといけない。だから、最初は止まるような動作のトレーニングをしました。もちろん、速く走るためには体の軸が大切なので、その軸を作るようなトレーニングを約2年間、毎日やりましたね。それは今でも継続しています。ベースができてきたので、2016年の夏からは負荷を上げてきました。
――当初のプランに対して、ステップアップは順調に進んでいますか?
あくまで僕の感覚ですけど、今の段階でもう少し速くなっている予定でした。きっと谷川(聡)先生の中では、そんなに遅れていないと思います。
――そこで焦りはありませんでしたか?
そりゃあ、ありましたよ。トレーニングの進行を「早くして!」とこれまでに何度も言ってきたんですけど、「いや、まだ待て。今、スピードを上げたらケガをするから」と言われて。でも、すぐに結果が欲しいから「いや、早くしてくださいよ!」って。同じようなやり取りを何度もしましたね(苦笑)。そこで辛抱強く僕と向き合ってくれた先生にはやっぱり感謝しているし、2018年までに必ず仕上げてくれると期待しています。
――これまでにも長期的なトレーニングに取り組んできた経験はありますか?
周りの人よりもトレーニングをしてきた自負はありますけど、これほど長期的なプランを立ててやっているのは初めて。むしろ、この長期的なプランに魅力を感じたし、このトレーニングに賭けてみようと感じました。
――「賭けてみよう」というのは、谷川先生と話していてフィーリングが合ったから?
いや、話すだけではなく、実際にやってみてから決断しました。これまでにもいろいろなトレーナーさんの下でトレーニングをしましたけど、何カ月かやってみないと分からない。「違う」とまでは言いませんけど、「もっと伸びるトレーニングがあるのではないか」と思って探し続けた結果、やっとたどり着いたのが谷川先生でした。
――谷川先生にたどり着いた経緯は?
知り合いを通じてですね。やっぱりサッカーに特化した専門のフィジカルコーチを勧めてくれる方が多いんです。それが悪いとは思わないんですけど、それだけだと「普通の選手で終わってしまうな」という感覚があって。みんなと同じことをやっていてもダメだと思っていましたし、僕は“走り”を伸ばしたかったので、そこに特化した人に教わりたいと考えたんです。そして実際にトレーニングを試してみて、変わっていくのが分かったので「これだな」と思いました。
――走りを伸ばすトレーニングはボールを使った練習に比べるととても地味で、成果がすぐに出るものではない。その地道なトレーニングを継続するための、メンタルコントロールが大変だったのでは?
先生がすごくマメな人なんですよ。それも良かった点ですね。ほったらかしにされていたら続かなかったと思うんですけど、頻繁にコンタクトを取ってくれました。今でも週2〜3回はやり取りをしていて、僕の状態に合わせたトレーニングを考えてくれるので、そういう意味では本当に二人三脚でやってこられた。だからこそ、続いたんだと思います。
――とは言え、チームでの練習をこなしながらのトレーニング。日単位でやるメニューは自己判断の部分も出てくると思います。
はい。そこは自分の感覚ですね。
――例えば、出場機会が限られてしまった時はあえて負荷をかけるメニューを課したり?
そうです。自分で(強度を)上げます。
――そのコントロールにも慣れてきましたか?
慣れましたね。最初は合っているか、合っていないかも分からなかったので。もちろん、谷川先生にも聞きましたけど、陸上の先生なのでサッカーをパーフェクトに理解しているわけではない。コンディション面に関しては、浦和レッズでお世話になったトレーナーさんに聞いたりして試行錯誤しました。「自分で判断しろ」という先生なので、自分の感覚を一番大事にしています。
――谷川先生とディスカッションをしながら最終的な決断は自分ですると?
はい、最終的には僕が決めます。
■仕事量を減らすという選択肢はない
――フィジカル面で成果が表れてきたからこそ、チームでの前半戦の数字には納得いっていないと思います。
もちろん。納得していたらおかしいでしょう(笑)。でも、僕は自分の仕事量を減らしたくないんですよ。サボって前に残っていたら、もしかしたら点を取れるかもしれない。でもそれはしたくないし、できない。トップ下の選手が羨ましかったりもしますよ。でも、どうやったら次のクラブにステップアップができるのか、僕の行きたいプレミアリーグから声が掛かるのか、と考えた時に「この仕事量は捨てられない」と。この持ち味を生かしながら、数字を残さなければいけない。そのジレンマはありますけど、この仕事量は僕にとって最低限やらなければいけないことなんですよ。これを減らすという選択肢はない。
――数字が出ない原因は、守備から入るチームの特性も影響している?
それもありますけど、一番の原因ではないと思っています。ヘルタはリスクを冒さないチームなんですよ。例えば、0-0だったとしてもリスクがあるボールを入れない。だから変な失点が少ないんです。それでも点が取れるのは、センターフォワードの選手のクオリティが高いからです。
――代表だとゴール前に入っていくチャンスがありますけど、チームでは(ヴェダド)イビシェヴィッチ選手がいるのでそのスペースがほとんどないですよね。
そこが点を取れない一番のポイントです。でも、彼が取るんで仕方ないですよ。「そこどけ!」と言っても、監督も彼も「何言ってんだ?」ってなりますからね。だから、ヘルタで急激に何かが良くなることは多分ないと思います。でも数字を残すためには、どうにか試行錯誤しながら続けるしかない。簡単な仕事ではないです。
――仕事量を落とさずにゴールやアシストを積み上げるにはどうしたらいいのでしょう?
ミドルシュートですね。そこのクオリティを上げる以外ない。ラッキーなゴールが2、3点あったとして、ミドルシュートでさらに3点くらい取らないと。1シーズンの目標である6、7点は達成できません。僕のようにサイドでプレーしながら点を取っている選手は大体ミドルシュートを決めていて、今の僕にはそのクオリティがない。点は取れないけど、仕事量で他よりも勝っているから、試合で使ってもらえていたんです。
――中にスペースがあれば、ドリブルで切り込んで行く自信はある。そう考えた時に、今の自分に必要なのはミドルシュートだと?
はい、ミドルだと思いますね。同じサイドの(アレクサンダー)エスヴァインが前半戦で取った2点はミドルで決めたもの。だからミドル以外で狙うのはむずかしいんですよ。そこを磨くために、練習後はほとんど毎日打っていますね。でも、それに気づいたのは最近で。
――それに気づくまでは?
クロスですね。途中から右サイドで起用されるようになって、右だとクロスがうまくないと中にも切り込めない。外国人選手は日本人よりもクロスがうまいんですよ。なぜかと言うと、真ん中の選手がそれで点を取れるから。でも、日本のうまい選手はドリブルで行くじゃないですか。そこが違うんですよね。僕も小さい頃からドリブルで行くタイプだったので、クロスを上げた経験があまりないんですよ。だからそこの感覚や精度も高めないといけないところだと思っています。
――なるほど。原口選手のさらなる進化が楽しみです。2016年は代表戦での評価が上がってきていろいろな声が聞こえてきたと思いますが、そこに対してギャップを感じることはありませんでしたか?
ギャップは感じていないですけど、「自分のペースがあるから」とは思います。「別にいきなり良くなったわけではないんだよ」っていう。これからも一歩一歩、自分のペースで良くなっていくことを伝えたいですね。
――あれだけ称賛されることに驚きもないと。
何も気にならないです。僕の中で大切なのは、チーム監督の評価と代表監督の評価。今はステップアップするための評価と自分の感覚しか大切ではないので。だから、ポジティブなことを書かれようと、ネガティブなことを書かれようと気にならないですね。
――最後に、次のステップとして掲げている目標を教えてください。
自分がもう1つ伸びるために、クラブ的なステップアップをしたい。ヘルタで伸びる部分もまだまだあるとは思うんですけど、もっと攻撃のクオリティを伸ばしていきたいので、できれば攻撃的なチームにステップアップしたいですね。
原口元気を初めて取材したのは2016年5月、彼がドイツでの2シーズン目を終えて帰国した時だ。そして、彼がスプリント能力を高めるトレーニングを長期的に行っていると知ったのも、その時だった。やっとスピードが出てもケガをしない体になってきたこと、バランスが良くなり負荷をかけられるようになったこと、これからスプリントの質を上げる段階に入ること――。自分への期待感を抑えきれないのだろうか。トレーニングについて話す時、原口はニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
その頃すでに日本代表ではヴァイッド・ハリルホジッチ監督からの信頼を高めていた。原口の進化は誰が見ても明らかであったし、何より勢いがあった。
一体、どんなトレーニングが彼をここまで変貌させたのだろう? そんな好奇心が誰かに通じたのか、ほどなく原口のトレーニングを取材できる幸運に恵まれ、片道1時間半をかけて筑波大学を訪ねた。
よく続けてこられたな、というのが最初に浮かんだ感想だ。それくらい地味なトレーニングだった。歩行、スキップ、ストレッチから始まり、メディシンボールや専用器具を使った筋力トレーニング……。屋外グラウンドに出ると、ミニハードルを使った数種類のスプリントドリルをこなしていく。さすがに最後は30メートルくらいの加速走をするだろうと思っていたが、それもなし。陸上部出身の私から見ても、それは本当に地味なトレーニングだった。
コーチを務めるのは、同大学体育専門学群の谷川聡准教授。110メートルハードルの選手として2大会連続でオリンピックに出場した経験を持ち、アテネ五輪では日本記録を樹立した走りのスペシャリストである。そんな彼が本格的に原口の指導を始めたのは2014年2月のことだ。
「最初、私はノータッチでした。責任を持てないので」
谷川さんは当時をそう振り返る。「たまに来るんですよ。『速くしたい』って。だから最初は大学院生に『これとこれをやらしといて』と指示を出しました。原口選手のことも知らなかった(笑)」。一時的な指導で足を速くすることは可能だが、本質的には何も変わらない。速くなったところで体はそのスピードに耐えられず、ケガをするだけなんです、と谷川さんは言う。「能力をもっと上げたいのであれば、順番に(トレーニングを)やらないといけない」という指摘を原口は受け入れた。それが進化の始まりだった。
原口は筑波大学に週1回のペースで通い、課されたメニューを欠かさずにこなした。そう、まだ浦和レッズに所属していた時から、すでに改造計画は始まっていたのだ。目標は2018年に開催されるロシアW杯で活躍すること。4年後に照準を合わせた原口はケガをしない体を作るとともに、まずは「止まる」動作を身につけた。体幹を鍛えながらランニングフォームを整え、2016年の夏ごろから徐々にスプリントの質を上げていった。そしてようやく、本人いわく「最初の3、4歩だったり、最初の5〜10メートルをもっと速くしたい」と初速アップに取り組み始めたところだという。
トレーニングを開始した当初、原口の体は硬かった。巧みなドリブルを繰り出す姿からは想像しにくいが、特に足首が硬く、言うなれば常にヒールの高い靴を履いているような状態だった。しかし、谷川さんはそこにフィジカル的なポテンシャルを感じたという。「体が硬いのにうまいということは、ポテンシャルがものすごく高いということ。柔らかすぎると、最も力が発揮できる正しい位置に持っていくことが逆にむずかしい。最初は硬いほうが、こちらでコントロールしやすい」。ある程度の硬さがあったほうが接地中の関節角度変位が少なく、短い接地時間で次の動作に移ることができるんです、と谷川さんは説明する。つまり、ポンと着地しただけでも大きな力を発揮できるため、速く走ることができるというのだ。“硬すぎる”足首をコントロールすることで、原口はスプリント能力を高めていった。
谷川さんは原口を「ピュアなアスリート」と表現する。
「彼の強みはとにかく前向きで、物事に真摯に取り組むところ。自分の中で大切なものはとにかく競技だという点がぶれていない。そこが一番のポテンシャルです。人間なのでいろいろな欲があるもの。でも、彼は競技に対する優先順位が群を抜いて高いんです。平気で私にサッカーのことを聞いてきますからね(笑)」
原口は、約2時間のトレーニングを終えた後でも無邪気にボールを蹴り続けるようなサッカー小僧だ。床に転がるメディシンボールを足で蹴り、「何でもすぐに蹴らない!」と注意を受ける姿には思わずクスッと笑ってしまう。でも、だからこそ、全くボールに触れることのない地道なトレーニングを黙々とこなす姿勢に、並々ならぬ覚悟を感じた。
取材の最後、谷川さんが語った言葉が強く印象に残っている。「そのうち私から離れていくと思いますよ。私が『こうしたほうがいいな』と思わなくなる選手になってほしいですね。『こうしたほうがいいな』とまだ私が思えているうちは、もっとやることがあるんでしょう」。それは何だか寂しいセリフにも聞こえたが、感傷的な響きはない。谷川さん自身、アスリートとして高みを目指して戦ってきたのだ。むしろ教え子が巣立って行く日を待ちわびているように見えた。
谷川さんは「基本的にどのスポーツでも、ピークは27歳前後」だと語る。ロシアW杯が開催される2018年、原口はまさに27歳を迎える。野心に燃える男が、集大成と位置付ける世界舞台で一体どんなプレーを見せてくれるのか。期待せずにはいられない。
By 高尾太恵子
サッカーキング編集部