[写真]=野口岳彦
乾貴士にとって、2年目のリーガ・エスパニョーラにはキャリアハイと言える充実感があった。
浮き沈みはあった。スタメンから外され、ベンチから外された試合もひとつやふたつじゃなない。それでも、ふてくされることもなければイラつくこともなく、乾はただ、信頼できる監督の下で同じ価値観を持つチームメイトとの“サッカー”を楽しむことに没頭した。
チャンスはやがてめぐってきた。結果を出したのはシーズン終盤。左サイドを主戦場とするチャンスメーカーは第29節ビジャレアル戦でシーズン初得点を記録し、最終節ではバルセロナから2得点を奪った。シーズンを通じた成績は28試合出場・3得点。1年目とほぼ変わらない数字だが、数字に表れない手応えが確かに残っている。
3年目のシーズンが、間もなく幕を開ける。目に見える目標は「5、6得点」と控えめだが、何より「サッカーを楽しみたい」という気持ちはこれまで以上に強い。厳しい競争に身を置くからかそ、楽しんだもん勝ち。29歳になった日本屈指のテクニシャンは、スペインの地で、選手にとって大切な確固たる価値観を手に入れつつある。
文=細江克弥
写真=野口岳彦、Getty Images
■とにかく練習が楽しかった
―――ちょうど1年前にお話を聞いた時に、「スペインに行って、ようやくサッカーを楽しめる感覚を持てるようになった」と言っていました。そうしたモチベーションを持って臨んだ昨シーズン、改めてどんな気持ちで迎えたのでしょう。
乾貴士(以下、乾) そうは言っても不安はありました。補強もあったし、「今年は試合に出られるなかあ」という思いもあって。新加入の選手は僕でも知っているような選手で、例えばラージョ・バジェカーノから来たベベは「コイツ、めちゃくちゃええ選手やな」と思っていたくらい。正直、「だいぶ出られへんようになるかもなあ」という気持ちのほうが強かったかもしれません。
―――2年目だからの難しさや厳しさも予感していた。
乾 もちろんありました。開幕戦はスタメンだったんですけど、僕自身のプレーが全く良くなくて。なんでやろ……。気持ち的に中途半端だったというか、準備はできていたんだけど、僕自身の遠慮がちな性格がちょっと悪い方向に働いてしまって。あの時は「何してんやろ」と思いましたけど、切り替えてやるしかなかったですね。
―――そういうところを見ていたのか、ホセ・ルイス・メンディリバル監督も次の試合からはスタメンで使いませんでした。
乾 予想はできていました。そのタイミングじゃなくてもいつかくると思っていたので、「もう来たか」という感じ。すごくわかりやすい人なので、態度でなんとなく伝わってくるんですよ。ただ、監督は試合に出ている選手も出ていない選手も一人ひとりをちゃんと見ているから、「チャンスはまたある」と思っていたんです。練習は楽しかったし、コンディションも良かった。下半身の筋トレをやり直したり、全体トレーニングに追加して走るようにしたり、そうするうちにどんどん良くなっていく手応えはあったんです。
―――焦りは?
乾 もちろんありました。コンディションが良くてもなかなか使ってもらえなかったし、ベンチ外の試合も多かったので。「厳しいかな」と思いながらも、チャンスを待つしかなかったですね。
―――我慢できる、モチベーションを下げないというメンタリティは、ここ数年における乾選手の成長を意味しているような気がします。
乾 そう言ってもらえるのは嬉しいです。でも、そういうメンタリティがここ数年で備わったというよりは、僕、もともと自分が尊敬する監督にメンバーから外されてもなんとも思わないんですよ。
―――なるほど。
乾 メンディリバル監督はまさにそういう人で、言っていることも考えていることも理解できるし、誰に対しても同じように接する。だから尊敬できる。ウチのチームにはいい選手がいるので、もし自分が試合に出られなくても納得できるところもあるんです。だからふてくされることもなかったし、とにかく練習が楽しかったので、モチベーションを保つのは難しくなかったというか。
―――メンディリバル監督との相性がいいんですね。
乾 うん、そう思いますね。
■今までで一番嬉しかったかもしれません
―――スタメンに戻ったのは第9節エスパニョール戦。どんな変化が?
乾 コンディションはずっと良かったんです。チームが結果を残していたからなかなかチャンスをもらえなかったけど、エスパニョール戦のひとつ前、オサスナ戦(第8節)で負けて、内容もあまり良くなかったんですよ。だからチャンスをもらえることになって。
―――その時期は、特に守備に対する意識の高さを感じました。
乾 連続して試合に出るうちに、戦術理解度がどんどん上がっていった感覚はありました。メンディリバル監督の場合、もちろん1対1の守備の強さも求めますけど、それよりもチームとして、戦術としての機能性やポジショニングの精度を求めるんです。それさえ理解すれば、監督の要求に応えることはできる。
―――乾選手のようなタイプの場合、つまり足下がうまくて線が細い選手の場合、どうしても「守備ができない」という偏見を持たれやすいところもありますよね。
乾 正直、それはありますね。だけど監督がそういうタイプだから、戦術に合ったポジショニングさえ守れば認めてもらえる。まあ、「守備ができない選手」とはたぶん思われてますけど(笑)、試合に出るようになって、戦術を理解して、最低限はできるようになった気がします。
―――そのハードルをクリアしたことは、すごく大きかったのでは?
乾 守備に関してはすごく細かい監督なんですけど、戦術を覚えるのはすごく楽しいです。「こうやったらこうハマるんや」という感覚が、試合中に何回もありますから。チーム全体としても、そういう感覚があったから勝点を積み重ねることができたことは間違いないと思いますね。
―――待望のシーズン初ゴールは第29節のビジャレアル戦。まさに守備から生まれたゴールで、めちゃくちゃ興奮しました。
乾 ハハ。ありがとうございます。実はあのプレーの直前にヘンなポジショニングをして監督に怒られてたんで、そういう意味でも、僕にとってはすごく意味のあるゴールだったのかなと思います。
―――ゴールによる意識的な変化は?
乾 楽にはなりました。だけど、それまでもずっと楽しくやれていたので大きな変化はありませんでした。何より、チームメイトがめちゃくちゃ喜んでくれたのが嬉しすぎましたね。なかなかない光景だと思いますし、うーん……そういう意味では、今までで一番嬉しかったかもしれません。
―――乾選手自身もめちゃくちゃ興奮してるように見えましたよ(笑)。
乾 そうですねえ……ちょっと恥ずかしいですけど(笑)。
■プレーすること以前に楽しむこと
―――お話を聞くと、最終節のバルセロナ戦のゴールも“たまたま”ではなく、1年間の積み重ねによって生まれたものであることがよくわかる気がします。
乾 もちろん嬉しかったんですけど、周りとの温度差がすごくて(笑)。
―――“あの”バルセロナから奪った2ゴールですから(笑)。
乾 日本に帰る時、いつもマネージャーから「空港に記者さんが来るから」と言われるんですよ。でも、いつもほとんどいない。なのに今回は、本当にたくさんの記者さんが来てくれてました。「わかりやすいなあ」と思いましたね。
―――ちなみに、リーガ1年目は27試合3得点。2年目の昨シーズンは28試合3得点。残した数字はそれほど変わらないものの、対戦するチームの監督や選手に与えたインパクトは大きく違うと思うんです。
乾 うーん……もしそうであれば確かに嬉しいことなんですけど、自分として一番嬉しいのは、やっぱりスタメンで試合に出る数が増えたことなんです。逆に言えば、その中でもっと結果を残せなかったことが悔しい。ただ、それももう終わったことなので、また次のシーズンに向けて頭を切り替えなきゃいけないんですけどね。
―――スペインでの3年目に向けて、自分の力を発揮するために最も大切なことは?
乾 やっぱり、プレーすること以前に楽しむことなのかなあ。ドイツにいた時も、セレッソ大阪にいた時も、うまくいかへん時はどうしてもイライラしてしまうことがあって。今はそれがなくなって……というか、波がなくなってきた気がするんですよ。ちょっと前までは、いい時と悪い時の差が激しくかった。でも、昨シーズンはその部分がすごく安定してきて、精神的にも落ち着けるようになったというか。だから「楽しもう」と思えるようになったのかな。
―――そういう部分は、プレーを見ていると伝わってくる気がします。試合に出ても出られなくても、“楽しさレベル”は変わらないというか。
乾 そうそう。それは本当にそう思います。昨シーズンはどんな時でも楽しくサッカーができた1年で、最後の代表だけちょっと悔しかったくらい(笑)。
―――そうですね(笑)。
乾 だって、ネイマールなんていつも楽しそうやないですか。ああいう選手を見ていると、「そりゃあ、楽しむヤツには勝てっこないよなあ」と思うんですよ。あそこまでにはなれへんけど、自分として1年を通じて“楽しさ”を感じられたのは昨シーズンが初めて。状況はどんどん変わるからどうなるかわからないけど、これを続けたいですよね。うらやましいなあ、ネイマール(笑)。
■この先、楽しみなことはいっぱいある
―――代表については、ちらほらと待望論も聞こえてきました。
乾 「あの場所にいたい」という気持ちは、やっぱりあります。レベルの高い選手たちと一緒にサッカーがしたいし、日本のために頑張りたいとめっちゃ思う。もちろん選ばれたら全力でやります。ただ、日本代表だけが、もしくはワールドカップだけが自分のサッカー人生ではないので、それが実現しなくても、スペインで活躍できれば自分のサッカー人生が誇れるものになるんじゃないかと思っていて。
―――わかります。
乾 だから、まずはそっちですよね。クラブの試合は代表よりもはるかに多いから、まずはそのためにサッカーをやる。その結果として選ばれたら、代表のために頑張る。そういう切り替えはたぶん誰でもできると思うし、もちろん僕もそういう気持ちでいます。
―――とはいえ久々の代表、どうでした?
乾 僕が出場したのは親善試合だったのでアレですけど、やっぱりすごく盛り上がるし、そういう環境の中でやるのは気持ちいいですよね。
―――今年6月で29歳。ロシアW杯の開催時には30歳を迎えます。
乾 早いですね~。「あと何年サッカーできるんやろ」とか思っちゃうし、「もし引退したら何するんやろ」と思うこともあります。でもまあ、僕はできるだけ長くサッカーをやりたいので、カテゴリーを問わず、とことん続けたい。そう考えると「まだ29歳か」とも思えますけど。
―――「まだ29歳」でオーケーなのでは? だって、28歳にして過去最高の充実感のあるシーズンを過ごしたわけですから。
乾 そういう意味では、この先、楽しみなことはいっぱいありますよね。例えば、ポジションが変わったり、プレースタイルが変わったり、サッカー観が変わってヤットさん(遠藤保仁/ガンバ大阪)のすごさを改めて実感したり(笑)。そうやって自分自身がいろいろ変わっていくことは、すごく楽しみにしているところもあります。
―――マタ抜きはするけど、走らないサイドバックになったり。
乾 ハハ! でも、現代サッカーでは、走らないサイドバックは絶対にダメっす(笑)。
―――最後の質問です。具体的な数字を出して目標を設定することが嫌いな乾選手が、昨シーズンの開幕戦後、自分に発破をかけるために「10得点」という数字を口にした。迎える新シーズンは、この段階で口にしてもいいのではないかと。
乾 うわあ、イヤやなあ(笑)。そうですねえ、来シーズンは……「10得点」とは言わないけど、「5」か「6」か……。
―――消極的。
乾 いやいや、「現実的」と言ってください。これでも厳しいかなと思うくらいなんですから。29歳にもなれば、自分の実力はよくわかっているつもりです(笑)。
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By 細江克弥